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心をこめて 18

「芽生、食欲はどうだ? 弁当は無理そうか」 「んー 少しだけ食べたいなぁ」 「そうか、じゃあ梅のおにぎりはどうだ?」 「たべる!」  芽生くん、だいぶ食欲が出てきて良かった。  僕の方はホッとしたのもあって、お腹がぐぅと鳴ってしまった。 「瑞樹は腹ぺこだな」 「は、恥ずかしいです」  宗吾さんが広島の駅弁やもみじ饅頭を買ってきてくれたので、助かった。今日は買い物に行けなかったし、日中はずっと芽生くんの様子が気がかりで、何か作る気力は、湧かなかった。  世の中のお母さんはすごい。  子供の面倒をみながら、家事もこなして……  僕は一度にあれこれ出来る器用な人間ではないので、尊敬するよ。 「瑞樹、そんなに欲張らなくていいんだぞ。俺は物事と丁寧に向き合う瑞樹が好きなんだから」  ほんの少しの落ち込みも、宗吾さんがすぐに掬い上げてくれる。宗吾さんと共に暮らすようになって、僕がどんどん前向きに明るくなれる理由はそこだ。 「わぁ、お弁当の唐揚げ、美味しいですね」 「支社の同僚のオススメだ。地元では有名らしいぞ」 「広島には行ったことないので、いつか行ってみたいです」 「連れて行きたいと思ったよ。今回は時間がなくて宮島に行けなかったので、宮島に泊まらないか。ロープウェイもあってハイキング出来るそうだから、芽生も喜ぶぞ」 「いいですね。叶えたい夢です」  叶えたい夢がある。  ずっと夢なんて抱いてはいけないと思っていたのに、宗吾さんと暮らすようになって、どんどん夢が増えていく。 「叶える夢だ、君と芽生と俺で……」 「はい、そうですね」  その晩、芽生くんの熱もだいぶ下がってきたので、入浴した。 「お兄ちゃん、やっと、さっぱりしたよ」 「よかったね。さぁ、お薬を飲んで眠ろうね」 「うん、今日は昨日よりもっと、ねむれそうだよ」 「よかった」  芽生くんが寝付くまで、宗吾さんと見守った。  熱があるせいか、芽生くんの寝顔はいつもより幼く、身体も小さく頼りなく見えた。 「可哀想に」 「すみません。気をつけていたのですが」 「何を謝る? 子供の病気は突然だ。それに俺こそ悪い。俺がいなくて……さぞかし心細かっただろう」  宗吾さんが傍にいてくれると、やはり落ち着く。  一人より二人の方が、断然心強い。 「宗吾さんもお疲れでしょう」 「あぁ……流石に今回は責任が重くてな」 「成功おめでとうございます」 「ありがとう」  宗吾さんも相当疲れているようで、大きな欠伸をしたので、僕たちも今日は大人しく眠ることにした。  真夜中、小さな声で目が覚めた。 「……おにいちゃん……おにいちゃん」  芽生くんだ!  寝室の扉をあけておいたので、なんとか声を拾えた。  時計を観ると、真夜中の2時。  こんな時間に起きてしまうなんて、熱が上がってしまったのか。  慌てて子供部屋に入ると、芽生くんがふぅふぅと荒い息をしていた。 「あぁ、またしんどくなってしまったんだね」 「う……ん……もうなおるかなっておもったんだけど……なんかヘン……」  ぐったりとしているので電気をつけると、芽生くんの両目が真っ赤に充血していた。 「目……どうしたの?」 「えっ、ヘン?」 「痛くはない?」 「うーん、わからない」  確かに、何かがヘンだ。 「ちょっとパパを呼んでくるね」 「……うん」  ぐっすり眠っている宗吾さんを必死に起こして事情を話すと、飛び起きてくれた。 「どうした? 芽生」 「うーん。もうなおるかなっておもったのに、またぐあいわるいんだ」 「熱は?」 「また39度近く上がっています」 「……俺が帰ってきて、はしゃいでぶり返しちゃったのか」 「あの……それに……芽生くんの目が……目がすごく充血しているんです」 「本当だな」 「どうしたら?」 「明日の朝一番に病院に連れて行こう。明日は俺が休むよ」  宗吾さんが、すぐにスマホから病院の診察予約画面を開く。 「あー、駄目だな。月曜日だからか予約で一杯で、午後しか空いてない。しんどい中、病院で待つより、予約して午後行った方がいいか」 「……そうですね」  それでいいのだろうか。  こんなに目が赤く充血することは初めてだ。 「目が赤いのはどうしたんでしょう?」 「確か小さい頃プール熱をした時もこんなに目が赤くなったぞ。それじゃないか」 「……」  不安、不安、不安…… 「とにかくまだ夜中だ。朝までひとまず寝かせた方がいいんじゃないか」 「……芽生くん……辛そうです」 「瑞樹、落ち着け。大丈夫だよ。もう赤ん坊じゃないんだから」 「……はい」 「お兄ちゃん、ぼく……ねむれそうだよ」 「そうなの? でも……」 「明日、びょういんにいくよ」  芽生くんもそう言うので、ひとまず眠ることになった。  だが僕の心臓は、さっきからずっと警笛を鳴らしている。  どうしよう……もしも大変な病気だったら。  芽生くんに何かあったら、僕は生きていけないよ。 「瑞樹、さぁ、俺たちも休もう。明日も忙しくなりそうだ」 「……はい」  だが……目を瞑っても、眠れるはずもない。  ふと以前、月影寺の丈さんから声をかけられた言葉を思い出した。  あれは開業祝いのパーティーでのことだった。 …… 「丈先生、洋くん、開院おめでとうございます」 「瑞樹くん、私も開業医になったので大学病院時代よりも融通も利くようになったよ。だから何か家族で気がかりなことがあったら、夜中でもいいから電話をしてくれ。これは緊急時のダイヤルだ」 「ありがとうございます。有り難いお申し出です」 ……  あの名刺には、夜間の電話番号が記されていた。 「宗吾さん……やっぱり月影寺の丈さんに連絡をしてもいいですか」 「……どうした? そんなに震えて、怯えて」 「どうしても気がかりなんです。何か……うまく言えないのですが」  僕の取り乱し方が尋常ではなかったのだろう。 「瑞樹、落ち着け。深呼吸しろ」 「あ……はい……」  宗吾さんにすっぽり抱きしめられて、背中を何度も撫でられた。 「すみません、丈さんに相談して大丈夫なら安心出来るので……」 「分かった。君のしたいようにしてくれ。悔いの残らないように」 「ありがとうございます」  真夜中のコールにもかかわらず、丈さんは出てくれた。 「あのっ、葉山瑞樹です」 「どうした?」 「実は……芽生くんの様子が変で……」  なかなか熱が引かないこと、目が尋常ではない程、真っ赤なこと。  苦しくて眠れない様子などを、事細かく伝えた。 「あの……大丈夫でしょうか。明日病院に行くので遅くはないでしょうか」 「なるほど。一つ二つ、すぐに確認して欲しいことがある」 「はい」 「唇が赤くなってないか。舌が苺のように赤くブツブツしてないか。手足に赤い発疹や腫れがないか。至急確認してくれ」 「はい!」  具体的に指示を仰ぎ、緊張した。  子供部屋に行くと、芽生くんがベッドに蹲っていた。 「やっぱり眠れないんだね」 「お兄ちゃん、身体が熱いよう……しんどいよぅ」 「辛いね、芽生くん、ちょっと舌を出してごらん」 「う……ん」  芽生くんが舌を出すと、赤くブツブツとしていた。 「……手と足も見せて」 「うん……」  手と足にも赤い斑点が……さっきまでこんな症状は出ていなかったのに。 「丈さん、斑点とブツブツが出ています」 「まずいな。至急、今から告げる救急外来に行った方がいい」 「今から?」 「重大な病気の可能性があるから、早く診て貰った方がいい。私の後輩が勤めているので話はしておく」 「ありがとうございます。分かりました」  傍で聞いていた宗吾さんも、事の重大さに真っ青になっていた。 「宗吾さん、しっかりして下さい」 「あ、あぁ……よし、芽生、すぐに病院に行こう」  僕たちはすぐに着替え、宗吾さんの運転で指示された病院に芽生くんを連れて行った。どんどん熱が上がりぐったりする芽生くんのことが、心配で胸が張り裂けそうだ。  病院に到着すると丈さんから連絡が入っていたようで、スムーズに診察をしてもらえた。  すぐに血液検査やエコーなどを撮って、全身の血管に炎症が起こる川崎病と診断された。 「川崎病? それって確か……赤ちゃんがかかるものでは?」 「8歳や9歳のお子さんでもかかることがあります。いいですか。この時期に全身の炎症を抑える治療をすることが大切です。急性期に適切な治療を受けることで、今後の後遺症を防ぐ可能性が大きくなるので、このタイミングで病院に連れて来て下さって良かったです」  モニターで見せてもらったエコーには、芽生くんの血管が白くチカチカ光って見えた。 「これ、全身の血管が炎症を起こしている証しなんですよ。川崎病は原因不明ですが治療法は確立していますので、すぐに治療に取りかかります」 「どうか、宜しくお願いします」  宗吾さんの動揺は激しかった。  僕がしっかりしないと。    治療への同意書や入院手続きなど、パニックになっている暇はない。      自分でも驚くほど冷静になっていた。  芽生くんを救いたい一心だった。 「お兄ちゃん、ボク……ひとりで……にゅういんするの?」 「そうだよ。しっかり治していただこうね」 「お兄ちゃん……お兄ちゃん……ちゅうしゃ、いやだ」 「芽生くん……」  医師から説明された治療は、免疫グロブリン製剤という薬を静脈内に点滴して全身の炎症を抑え冠動脈瘤ができるのを防ぐというものだった。現時点では標準的な治療法だそうだ。  信じよう!  信じるしかない。 「お兄ちゃん……ボク、どうなるの? サッカーもうできないの?」  不安に怯える芽生くんを、ギュッと抱きしめてあげる。 「芽生くん、大丈夫だよ。今日見た夢を思い出して……ちゃんとちゃんと……治るから」    信じることしか出来ないが、信じることが全てを導いてくれる。 「うん……うん」  芽生くんは治療を受けるために、治療室に連れて行かれてしまった。  やがて夜が明け、朝日が昇る。  窓から空を見上げると、有明けの月がぽつりと残っていた。  待合室に呆然と座る僕たちの元に、息を切らせてやってきてくれた人がいた。  月のような二人の清廉とした姿に、心から安堵した。 「丈さん……洋くんっ」       あとがき(補足) **** 物語は、急展開です。 今回の入院は……実は以前から幼い子供の話を書く機会があったら、どうしても書いておきたいことでした。実は私の娘も、小3(9歳)で川崎病にかかった経験があります。当時、芽生のように溶連菌の陽性反応が出ていたので、容体が急変したことにすぐに気付けず、病院に連れて行くのが遅くなってしまった後悔があります。 この物語を読んで下さる方で、お孫さんやお子さんに、もしもこんな症状が現れた時は川崎病も疑って欲しいと願って。娘は幸い後遺症なく元気に過ごしておりますので、ご安心下さい。 芽生の初めての入院を通して、宗吾さんと瑞樹が協力して乗り越えていきます。家族の繋がりがますます深まるように丁寧に書いていきたいと思っています。 今回、専門的な治療については当時受けた治療と現在の治療法を参考に書きましたが、今後の細かい処置内容は医療ドラマではないので省略し、初めての入院を通しての滝沢ファミリーの心の変化に焦点を当てていきます。 これは、正直、読者さまが望まれる展開ではないかも知れませんが、伝えたいことがあるので頑張って書いていきます。どうか滝沢ファミリーの応援を宜しくお願いします。

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