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心をこめて 20
「芽生くん、私のことが分かるか」
あ……もしかして……この声って。
涙でぐちゃぐちゃの目をこすって見上げたら、じょう先生が立っていたよ。
「じょう先生?」
「そうだよ」
「うっ、うっ」
だれも知らない人ばかりで、こわかったからホッとしたよ。
「芽生くん、どうした? 何が怖い? 話してごらん」
じょう先生がしゃがんで、ボクの頭を優しくなでてくれたよ。
「……ボク……ちゅうしゃ……キライ」
「そうだったな。前に教えてくれたな。どんな所が嫌か教えてくれ」
「針がキランと太くて、とんがっていて……こわいもん!」
「そうだな、尖ったものは怖いよな」
「……うん」
「あとは? 他にもなにかあるか」
「あのね……テンテキってなに? なんでこんなの打つの? ハリずっとさしたままだって言ってたよ」
「あぁ、そこか、確かにそうだよな」
じょう先生は、ボクの話をしっかり立ち止まってきいてくれる!
「芽生くん、君の体は……今、どんな状態かな? 普段とは違うよな」
「うん……ずっとお熱があって、息がはぁはぁして、しんどいの。いつもとちがうかんじで、こわいよ」
「そうだな。かなり辛いよな。この袋の中には、芽生くんの身体に入り込んだ病気をやつけてくれるお薬が入っているんだよ。少しずつ送り込んで、大きな敵を倒すんだよ」
えっ、病気をやつけてくれるお薬が入っているの?
そうだったんだ。
「しっかり治したいか」
「うん、なおしたい」
「点滴、頑張ってみるか」
「……うーん」
注射はこわいけど、しんどいのもやだよ。
パパとお兄ちゃんのつくってくれるおいしいものもいっぱい食べたいし、いっしょにあそびにもいきたいし、学校にもいきたいし、おともだちともあそびたいし……
「……がんばってみる」
「ようし、じゃあ、ちょっと待っていてくれ。すぐに必ず戻って来るから」
「うん」
じょう先生が、しばらくすると、何か手に持ってもどってきたよ。
「さぁ、これを握っているといい」
「あ! これって……」
渡されたのは、おうちでよく見かけるタオルだった。
よつばのマークは、お兄ちゃんの印だよ。
「芽生くんが大好きな瑞樹くんから借りてきたよ。瑞樹くんもパパも、この壁の向こうにいるよ」
ほんと?
だれもいないと思ったのに……ちゃんといてくれたんだね。
「ボク、がんばる」
「ようし! 偉いな」
ほめられたら、なんだか元気でてきたよ。
「私も暫くここにいる。ちゃんと見守っている」
「うん……じょう先生……ずっと前に、海でいっぱい助けてくれたもん」
「あぁそうだったな。だから信じて欲しい」
「信じるよ」
「芽生くんはカッコいいから、将来はカッコいい男になるな」
「ボクね、キシさんになるんだ」
「きっとなれるぞ」
チクッとしたので、腕を見たら、もうテンテキの針がささっていたよ。
あれ? いつの間に?
「どうだ? 怖くなかっただろう? 暫く刺さったままだが、頑張れるかな?」
「うん、がんばる! かっこいい大人になって、お兄ちゃんのキシさんになりたいから」
「……そうか、瑞樹くんは幸せ者だな」
「たいせつだもん」
「君は、とても大切なことを知っているんだな。処置が早かったから、大丈夫だ。自分を信じて」
「はい!」
じょう先生の言葉って、すごくおちつくよ。
「点滴が軌道に乗ったら病室に移れるから、そうしたらちゃんと会えるよ」
「よかった。会えるんだね」
「あぁ、だから少し頑張ろう」
「うん、がんばる!」
お兄ちゃんのタオルをぎゅっとにぎると、ボクの大好きなお兄ちゃんがおそばにいるみたいで、ほっとしたよ。
****
処置室の前に行くと、壁越しに芽生くんの泣き声が聞こえた。とても怯えているようで、一気に不安になった。
「芽生っ」
宗吾さんが真っ青になって扉を開けそうになったので、慌てて引き止めた。
「宗吾さん、今はっ」
「あぁ、悪い。俺、さっきからどうかしてんな」
「いえ、無理もないです。分かります」
「ありがとう。瑞樹……君が冷静でいてくれて……頼もしいな、今日の君」
「宗吾さん」
自分を責めてしまう宗吾さんの気持ちも、痛い程分かるんだ。
あの時こうしておけば良かったと……人生には後悔がつきものだ。
でも過去は絶対に変えられないことを、僕は身をもって知っている。
「大丈夫です。丈さんが駆けつけてくれましたし、今、芽生くんと話してくれています」
「そうだな」
処置室の前で宗吾さんとじっと待っていると、白衣を羽織った丈さんが一度出て来た。
「すまない。この病院の方針もあり、時間外でスタッフが足りなくてバタバタいるので親御さんが処置室に入れなくて……少し気を遣う点滴で……」
「分かっています。すぐに処置していただけて感謝しています」
宗吾さんは、真っ直ぐ丈さんを見つめて一礼した。
良かった、いつもの宗吾さんらしさが戻って来ている。
「宗吾さん、頭を下げないでくれ。医師として当たり前のことをしただけだし、君たちの友人として出来る限りのことをしたいんだ」
医師として友人として、二重に僕たちを援護してくれる宣言に、胸が熱くなった。
「ありがとう、俺たち、縁あって知り合えて良かった」
「そうだな。縁を大切にすると強く深く繋がっていくのだと私も感じたよ。芽生くんはだいぶ落ち着いた。あとは瑞樹くんの魔法が欲しい」
「えっ?」
いきなりふられて驚いた。
「魔法なんて……僕には無理ですよ」
「心の魔法だよ。何か芽生くんに渡せるものがあるか。芽生くんが安心できるように、自宅の匂いがするものがいい」
「あ……」
慌てて鞄からハンドタオルを差し出した。
これは芽生くんがいつも畳んでくれる、僕のタオルだ。
大沼のお母さんが、以前、僕に贈ってくれたものだ。
「四つ葉の刺繍か。瑞樹くんらしい。これは大きな支えになるだろう」
「はい、芽生くん……どうか、どうか頑張って」
僕はタオルを抱きしめて祈り、それから丈さんに託した。
丈さんが再び処置室に入っていくと、宗吾さんが僕の肩を抱いてくれた。
「あの……宗吾さん、差し出がましいことをして……す……」
「瑞樹がいてくれて良かった。本当に良かったよ。ありがとう、ありがとうな」
「宗吾さん……そんな」
「芽生は本当に瑞樹が大好きなんだ。俺たち家族にとって瑞樹は宝物なんだよ」
「そんな風に言って下さるのですね」
「あぁ、二人で乗り越えよう。二人で芽生を支えよう」
「はい! 頑張りましょう」
洋くんが僕たちの様子を見て、安堵の表情を浮かべていた。
「瑞樹くんと宗吾さんは、本当にお似合いだ。足りない所を素直に補いあって高めあっているんだな」
「洋くん、君こそ……丈さんと洋くんが二人並ぶと最強だよ。すごく頼もしいよ」
「俺も?」
「そうだよ。洋くん……君は少し感じが変わったみたいんだ。強くてしなやかで揺らがなくて……カッコいいよ」
「……落ち着いたら、いろいろ話そう。由比ヶ浜の診療所で手伝うようになってからの日々を、瑞樹くんにも知って欲しい」
「うん、聞かせて欲しいよ」
「あぁ、約束だ」
やがてしっかりと夜が明ける。
窓の外に広がっていた暗黒の空は、見事な青空になっていた。
「瑞樹くん、強い希望を持ってくれ。道はきっと開ける!」
そう言い放つ洋くんの美しい横顔に煌びやかな朝日があたり、神々しいまでの美しさを醸し出していた。
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