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心をこめて 27

 大沼の冬は平均気温が-2℃、朝晩の気温は-10℃以下になることもあり、とても寒かった。でも私が暮らすログハウスの中は、今日も心の日溜まりでポカポカに満ちているわ。  私……もしかしたら、今までの人生の中で一番ゆったりした時を過ごしているのかもしれないわね。  柱時計の秒針の音を聞きながら読書をした後は、古いレコードを聴きながらお茶をするのが日課よ。 「さっちゃん、珈琲を淹れたよ」 「ありがとう」 「夜だからミルクたっぷりな」 「えぇ」  丸太のダイニングテーブルの上には、山盛りのドーナッツと淹れ立ての珈琲が置かれ、床にはふかふかなラグと私が編んだクッションが転がっている。  お気に入りの空間を見渡せば、自然と優しい笑みが漏れる。 「さっちゃんのドーナッツは、今日もおいしいな」 「勇大さんの珈琲も、とてもおいしいわ」 「ありがとう。『さっちゃんブレンド』だよ。それにしてもドーナッツ、随分沢山揚げたんだな」 「それがね、ドーナッツは油がまわってしまうから送れないのに、息子や孫の顔を考えていたら沢山作りたくなってしまったの。子育て中は手作りのお菓子に手が回らなかったから、その反動かしら」  そう言えば……あの頃はお金も時間もなかったけれども、潤の誕生日には何度かホットケーキにロウソクを立てて細やかなお祝いをしたのを思い出したわ。まだ小さな潤はご機嫌で、瑞樹と広樹がホットプレートで焼くのを手伝ってくれたわね。  ずっと一人で頑張ってきたと思っていたけれども、私ひとりが奮闘してきたんじゃないのね。あの頃は当たり前のように家の用事を手伝ってもらったけれども……広樹と瑞樹の青春時代は我慢の連続だったに違いないわ。二人とも家計に負担をかけないようにと気遣ってばかりだった。 「孫たちの運動会も終わってしまったから、暫く東京や軽井沢に行くことはないのね。菫さんに赤ちゃんが生まれたらお手伝いに行きたいわ。予定日は5月頃かしら?」 「そうだな。だがその前に行ってみないか」 「何か用事があるの?」 「いや、二人で旅の計画を練るのもいいなと」 「そんなの、お金がもったいないわ」 「おいおい、そんなこと心配しなくていいんだ。ずっと使うあてもなかった貯金があるんだから」 「……じゃあ春になったら」 「そうしよう」    勇大さんと和やかにお茶をしていると、瑞樹から電話がかかってきた。  いつになく切羽詰まった声に、何かあったとすぐに分かったわ。 「お母さん……あのっ」 「どうしたの? 私で手伝えることがあるのね」 「あ……」  だって瑞樹、あなた……  泣きそうな声、いえ、泣いていた声よ。  私はあなたを10歳から育てた母親だから、分かるのよ。 「もしかして、芽生くんに何かあったの?」 「あ……実は川崎病で、急に入院してしまって」 「まぁ! 川崎病なのね。お母さん知識はあるわ」 「よかった。それで暫く入院することになって……それで……お母さん、どうか……どうか……僕たちを助けて下さい」  瑞樹からストレートに助けて欲しいと言ってもらえるなんて。  引き取った当初の瑞樹は、繊細で感受性の強かったのもあり、事故のフラッシュバックに苛まれていた。相当リアルな映像を夢に見てしまうようで、夜な夜な悪夢に苦しめられていたの。布団の中から漏れる悲鳴、泣き声……今でも思い出せるわ。 (助けて……お母さん、助けて……)  きっと瑞樹が呼ぶのは天国に逝ったお母さんよ。私ではないと勝手に決めつけて、フォローを、広樹に任せてしまったの。  そんな至らない私に、今になって、あなたから手を伸ばしてくれるなんて。  今ならゆとりを持って向き合えるわ。 「子供の入院って親も同じくらい辛いものよ。瑞樹、今日は頑張ったわね」 「お母さん……本当は僕たちが会社を休んで、ずっと付き添ってあげたいのに、それは叶わなくて……」 「大丈夫よ。仮に出来たとしても、それでは看病する方まで疲れ果ててしまうわ。日中の人手なら任せて。芽生くんには昼と夜、それぞれ新鮮な笑顔を届けてあげましょうよ」 「お母さん、いいの? 本当に……こっちに来てくれるの?」 「えぇ、飛んでいくわ。芽生くんは可愛い孫で、瑞樹は可愛い息子よ。頼ってくれてありがとう」  横で電話を聞いていた勇大さんは、早速大きなリュックサックを納戸から持ってきた。 「すぐに準備して、朝一番の飛行機で駆けつけるからね」 「え! もう明日?」 「面会時間になったらすぐに入るから、あなたは安心して会社に行って」 「本当に、本当にありがとう」  瑞樹、あなたは昔から自分の痛みよりも、周りを優先させてしまう心優しい子だったわ。だからこそ、私が今度こそしっかりサポートしてあげたい。 「お母さんが行くから落ち着くのよ。三人も息子を育てたんだから任せてね」  電話を終えると、今度は勇大さんがPCに向かって飛行機のチケットを押さえていた。  もう、私が何もかも一人で動かなくていいのね。 「さっちゃん、悪い! 俺、勝手に先走って」 「ううん、頼りになるなって見蕩れていたわ」 「あのさ、俺……ずっと独り身だったから、誰かのために動けるのが嬉しいんだ。まるで大樹さんたちと暮らしていた時みたいだよ。俺はどうやら頼られるのが好きな性分らしいな」 「そんな勇大さんだから……惹かれたの」 **** 「かくれんぼしよう」 「いいよ」 「いい子に隠れているんだよ」 「うん!」 「もういいかい?」 「まーだ、だよ」  あれ? とつぜん、カーテンが開く音がしたよ。  もう、朝なの?  わっ……まぶしいよ。  でも明るいのはスキ!  ボク、もう目を開けてもいいの? 「おはよう、滝沢芽生くん」  ボクの横に、白いおようふくのお㚴さんが立っていたよ。  ボクはお布団の中で、パパクマちゃんとお兄ちゃんうさちゃんにくっついて眠っていた。 「あ……」  そっか、ここ病院だったんだ。  パパもお兄ちゃんも……いないんだ。  しょんぼりしていると、お姉さんがやさしく話しかけてくれたよ。 「かわいいうさぎちゃんね、見せてくれる?」 「うん、いいよ」 「わぁ~ すごく美人さんだし、目元がかわいいわね。それにとっても清潔」 「えへへ。昨日、おじさんが買って来てくれたんだ。かわいいでしょう!」  お兄ちゃんのことをほめられたみたいで、うれしいな。 「やっと笑ったわね」 「あ……うん」 「昨日は大変だったけど、がんばったわね。夜もこわくなかった?」 「えっとね、くまちゃんとうさちゃんがいたから」 「くまちゃんも見せてくれる?」 「いいよ! あのね、この子はパパにそっくりなの」 「まぁ、洗い立てのようにさっぱりしてるわ。で……このお口は……」  お姉さんが楽しそうに笑ってくれたよ。 「すごく、食いしん坊さんなの!」 「なるほど、じゃあ、芽生くんもくいしんぼうさんかな?」 「うーん、わからないけど、おなか……すいたよ」  昨日は白いお洋服のひと、こわかったけど、今日は大丈夫だよ。  お姉さん、とってもやさしいよ。 「良かった! 芽生くん食欲も出てきたのね」 「あのね、おばあちゃんにはいつあえるの?」 「うーん、面会時間があってね、お昼の後かな。それまで我慢できるかな? いろいろ検査もあるけど」 「え……そんなにあとなの? それに、また、けんさ……やだなぁ……」 「病気をしっかり治すために受けないと……そうだ! 頼もしいクマちゃん可愛いうさちゃんが一緒なら、どうかな?」 「……それなら、がんばってみようかな」  パパ、お兄ちゃん、おはよう。  ボク、朝までがんばったよ。  だから夜には……きっと、きっと、きてね。  やっぱり会いたいよ。  はやく元気になって、おうちにかえりたいから、がんばるよ。        

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