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心をこめて 42

「芽生、良かったな! よーし! 明日はパパが会社を休んで迎えに来るよ。退院は早い時間、午前中の方がいいよな? 芽生も早く帰りたいだろう?」  宗吾さんがウキウキした様子で提案すると、全身で喜びを表現していた芽生くんがピタリと動作を止めた。  あれ? 何かあるのかな?  僕は芽生くんの様子をじっと見守った。   「パパ……あのね、たいいんは……いんないがっきゅうに行ってからでもいい?」 「ん? 院内学級はもう行かなくていいんだぞ? 元の学校に戻れるのだから」  宗吾さんが怪訝な顔をした。 「でも……」 「芽生、一刻も早くパパ達の所に帰って来いよ!」 「あ、あのね……ボク『また明日会おうね』って、お友だちとお約束したんだ」  あぁ、そうか。  挨拶もせずに急に消えてしまったら、驚かれると思ったんだね。  芽生くん、君は本当に優しい子だね。  自分の気持ちだけでなく、相手の気持ちにも寄り添えるなんてすごいよ。  僕は意を決して前に出た。   「芽生くん、大切なことに気付いたんだね。せっかく仲良くなったお友だちにご挨拶した方がいいよね。みんな芽生くんが突然こなくなったら心配してしまうよね。宗吾さん、僕たち午前中は仕事に行って、午後迎えに来ましょうか」 「なるほど……そういう事か。そうだな。よーし、芽生しっかりお世話になった人に、ご挨拶してこい」  よかった! 宗吾さんもすぐに理解してくれた。  そして更に良いアドバイスをしてくれる。  彼の男気のある行動力が、僕は大好きだ。  すぐに自分の考えを改め、良い方へ明るい方へ進もうとする力が心地良い。  だから宗吾さんのパワーに引っ張られ、僕も前に出られるようになった。   「うん、あのね、みんなすごいの。先生やかんごしさんって、真夜中でもおしごとをしているんだよ。ボクのようすみにきてくれたり、はげましてくれたり、すごいなって」 「その通りだ。皆で芽生の命を守ってくれたんだよ」 「ボクがまたパパとお兄ちゃんと暮らせるようにしてくれたんだね」 「あぁ、そうだ。明日の夜はパパと瑞樹と一緒に寝ような」 「うん! あと1にちがんばるよ」 「えらいぞ」  宗吾さんが芽生くんを軽々と抱き上げ、笑った。  僕はその様子を目を細めて見上げた。  僕のしあわせは、今日もここにある。  芽生くん、明日には退院できるんだね。  おめでとう! ****  よかった。  ボクね、いんないがっきゅうにいくの、ドキドキワクワクだったんだよ。  どんなお友達がいるかな?  いっしょに遊んでもらえるかな?  看護師さんにつれられて、いんないがっきゅうに入ったら、みんなすごくよろこんでくれたよ。 「あたらしいお友だちが来た」 「待ってたよ」  って言ってくれて、うれしかったよ。  アイロンビーズは、ボクと同い年の女の子が教えてくれたんだ。ボクよりずっと長く入院していて、これまでにも、もう何回も入院しているんだって。  ほかにも髪の毛がお坊さんみたいな子もいたり、テンテキをしたまま通っている子もいたよ。  みんな大変そうなのに、いんないがっきゅうでは明るく笑っていたよ。  だからね、たった三日間しか通えなかったけれども、ちゃんとごあいさつしたいんだ。  パパとお兄ちゃんが、僕のこのふわふわな気持ちをわかってくれてよかった。 「うーん、タイインできるの楽しみにしていたのに、なんだか不思議なきもちだよ。ボク、こんな気持ちになるなんて思わなかったな」 「芽生くん、それはね、君が心をこめて人と接している証だよ」 「心をこめて?」 「相手を大切にしているってことだよ」 「うん、だってね……ボク、入院してよーくわかったよ。ボクって、いろんな人にささえられているんだなぁって……みんな心配してくれてあつまってくれたから」 ****  その晩、芽生くんの退院が決まったことをお父さんとお母さんに告げると、涙を流し喜んでくれた。 「よかったわ、本当によかったわね」 「あぁ、ホッとしたよ」  明るく振る舞っていた大沼の両親も、心の中でずっと心配していたのが、ひしひしと伝わってきた。 「瑞樹、あなたもほっとしたでしょう。良かったわね」 「うん」 「宗吾くんも瑞樹も、お疲れさん」  お父さんが労えば、宗吾さんが破顔する。 「心強かったです。家のこと全部やってもらったので、俺たち芽生のサポートに全力を注げました。ご飯も美味しかったし、家もピカピカです。ありがとうございます!」 「はは、部屋、かなり掃除し甲斐があったぞ」 「面目ないっす」 「しょうがないわよ。二人とも忙しく働いているんだし」 「……ベッドの下に埃が集まっているようだが」 「え!」 「そう、焦るなって。触ってないよ。あそこは宗吾くんの聖地だろ?」 「え? まぁ、ハイ」  ふふっ、宗吾さんが遊ばれてる。    あれ、でも……くまさんにも聖地があったような?    お父さんが「熊田、お前、また穴蔵にこもるなー」って、笑っていた。 「あのね、私たち、明日芽生くんが退院するのを無事に見届けたら、入れ違いでホテルに行くわ」 「え? そんな水臭いですよ。週末に退院のお祝いをしようと思うので、それまではいて欲しいです」  宗吾さんが引き止めたが、お父さんとお母さんは首を横に振った。 「退院したばかりの芽生くんは体力も落ちているし、いつもと違う人がいたら、何となく気疲れしちゃうのよ。なるべくいつも通りの日常からスタートした方がいいわ」 「そうなんですか」 「私と勇大さんは、横浜、鎌倉旅行をしてくるわ。一度行ってみたかったのよ。湘南の方ってお洒落でしょうね」 「いいですね。海も綺麗ですし、いいお寺もありますよ」 「いろいろ教えてくれ、さっちゃんと新婚旅行気分だよ」  二人とも僕が照れてしまうほど、仲良しだ。 「その旅行の帰りに、また寄るよ」 「その時は退院祝いを是非!」 「そうだな。子供の回復は早い。数日経てば元通りさ」   **** 「ただいま、あれ? いっくんは?」  帰宅すると、いつも玄関まで来てくれるいっくんの姿が見えなかった。 「またお絵描きに夢中なの。芽生くんへのお手紙、ずっと描いているのよ」 「そうか、いっくんは優しいな」 「まだまだ幼いと思っていたけど、最近、お兄さんっぽい面もちらりと見えて不思議な感じよ」  すみれのお腹は、また少し大きくなってきていた。出産予定日は6月だから、まだまだだが、柔らかな曲線を描くお腹に、つい目がいってしまう。  6月にはいっくんがお兄さんになるのか。オレの中ではまだ片手で抱っこできる小さな坊やなんだけどな。 「潤くん、芽生くんの退院、そろそろじゃない?」 「だと思うよ。兄さんの話だと、もうすっかり元気だから直だろうって」 「あのね、退院したら、一度、いっくんと二人で東京に行って来て欲しいな。いっくんに元気な芽生くんの姿を見せてあげて。私は安定期だし1日くらいお留守番できるわ」 「いいのか」 「この子が生まれると、また忙しくなって……暫くは無理だから。ねっ」 「ありがとう!じゃあ……そうさせてもらおうかな」  毎日芽生くんの入院を心配し、お祈りをしているいっくん。  いっくんにとって、入院とは……よほど怖い物なのだろう。  もしかしたら亡くなったお父さんの記憶を引き継いでいるのかと心配にもなるよ。  しきりに「めーくんはたいいんできる? ちゃんとげんきになる?」と、そればかり聞いてくるから、その不安を払拭してやりたい。  その晩、芽生くんの退院という朗報がタイムリーに届いた。  いっくんに話すと大きな瞳を潤ませて、天井を見つめた。 「よかったぁ……めーくん、げんきになったんだ」 「そうだよ。芽生坊が外で遊べるようになったら、パパと東京まで遊びにいこう」 「え……ほんと? いっくん、いってもいいの? めーくんにあえるの?」  黒い瞳がみるみるウルウルしてきたぞ。 「あぁ、会えるよ。会いに行こう!」 「パパぁ、パパぁ、ゆめはかなうんだね……しゅごい、パパがきてくれてからゆめがいっぱいかなうよぉ」 「あぁ、叶うぞ。いっくん……これから皆で叶えていこうな!」  小さないっくん。  これまでのさみしさを洗い流そう。  いっくんの笑顔を守るパパがやってきたんだから、大丈夫だ!  

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