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幸せが集う場所 23
江ノ島の水族館を後に、僕たちは一足先に月影寺に向かうことにした。
芽生くんの入院でお世話になった月影寺の皆さんに、元気になった姿を見せる。それが今回の旅の目的の一つだ。
アザラシとの触れ合いイベントが16時で終了するので、宗吾さんを待って一緒に行こうと思ったが、「真冬の寒空で待たすわけにはいかないよ。先に行ってくれ」と言われたので、従うことにした。
本当はとても心配だ。
もう体調は良さそうだが、また具合が悪くなったら……
そう思うと不安で、不安で堪らない。
これは僕の悪い癖だ。
「でも……」
煮え切らない顔をしていたら、宗吾さんに肩を掴まれた。
……
「瑞樹! 心配してくれるのは嬉しいが、いつも最悪のことばかり考えるなよ。落ち着いて……ほら深呼吸3回しろ」
「あ、はい、すーはー、すーはー、すーはー」
「可愛いなぁ、素直でいいな。瑞樹はもう少し心に余裕を持て、俺を信じて! なっ!」
「あ、少し落ち着けました。じゃあ……先に行って待っていますね」
「あぁ、俺もあとひと頑張りだ」
「応援しています」
「必ず行くから信じて――」
「信じます!」
……
宗吾さんと交わした言葉を思い出しながら江ノ電に揺られていると、いっくんが眠くなったようだ。
さっきから無口になって、しきりに目を擦っている。
「いっくん、目をこすったらだめだ。バイ菌がはいるぞ」
「パパぁ……パパぁ、おひざ、だめ?」
「おぅ、少し眠いんだな。ずっと、はしゃいでいたもんな」
「ん……いっくん、たのしかったぁ」
寝言のようにムニャムニャ呟くいっくんを、潤がヒョイと膝に乗せて、胸元にもたれさせた。
「わぁ……パパ、ありがとう」
そんな様子を、芽生くんがじっと見つめていた。
「芽生くん、どうしたの?」
「えっとね……なんだか、なつかしいなって」
「え……」
「ボクもお兄ちゃんのおひざにのるの、だいすきだったよ」
まだ過去形にしないで欲しい、まだまだ甘えて欲しいよ。
すると、芽生くんの方から歩み寄ってくれた。
「お兄ちゃん、お寺についたら、ボクもだっこしてほしいな」
「もちろんだよ。お兄ちゃんもそう言おうと思っていたよ」
「ほんと?」
「うん」
「よかった」
月影寺は北鎌倉駅にあり、鎌倉から一駅だが、いっくんも寝てしまったし、子供に駅からの急勾配は厳しいのでタクシーを利用した。
「兄さん、タクシーなんて贅沢だ。悪いな」
「そんなことないよ。風邪を引かすわけにいかないし、潤だって今日は早朝から家を出て、疲れただろう」
「兄さん、オレのことまで気遣ってくれるんだな。オレなんかどうでもいいのに……悪いな」
「潤、今は謝るところじゃないよ。それに潤は僕の大切な弟だよ」
「……兄さん……ありがとう」
不思議な心地だ。
僕がこんな台詞を潤に言うなんて。函館で一緒に暮らしていた頃は、全てに萎縮して、潤にもいつも謝ってばかりだったから。
……
「ごめんね、僕がいて」
「ごめんね、僕のせいで」
……
ずっと謝っていた、あの頃の僕は……
「兄さんってさ、久しぶりに会ったら、ますます兄さんっぽくなったよな」
「そ、そうかな?」
「あぁ、兄さん、オレにもっと教えてくれよ。兄さんの優しい言葉をさ! ありがとうっていい言葉だな」
感謝の『ありがとう』は、僕も最近ようやく自然に使えるようになった。
ずっと『すみません』と謝ってばかりだった僕が『ありがとう』と言えるようになったのは、宗吾さんのおかげだ。いつも気よく明るく導いてくれるから、僕は変わりたいと思えた。
僕が生きてこられたのは、みんなのお陰だ。
それは分かっているのに、謝る方が先で、いつも感謝の言葉を言えなかった。
罪悪感から抜け出せたのは……
宗吾さんが僕を真っ直ぐ愛してくれるから。
僕に家族の温もりを思い出させてくれたから。
芽生くんが僕を心から慕い甘えてくれるから。
「兄さん、あのさ……オレ、今、すげーしあわせなんだ」
「うん、ビシバシ伝わってくるよ」
「ありがとうって世界中に言いたくなるほど幸せだ」
「あ、分かる!」
潤と僕。
こんなにも会話が弾み、分かり合えるのが、嬉しい!
歩み寄れば見えてくる優しい世界なんだね、これが。
月影寺に着くと、何故か小坊主のこもりくんが出て来た。
「いらっしゃいませ~」
「あの、皆さんは?」
「あ、今、各々格闘中ですので、こちらの広間でお待ちください」
格闘中って何だろう?
「そうなんですね。お忙しい中ご対応ありがとうございます」
「さぁさぁ、こちらですよ。ここならお子さんが走っても大丈夫ですよ。今、お茶菓子を持ってきますね。あんこ、あんこ、あんこをね」
通されたのは、大広間だった。
目覚めたいっくんは、30畳程ある大広間に目を丸くしていた。
「わぁー しゅごい~ ここは……どこなの?」
「いっくん、お寺だよ。ここは、すごく広くて面白いんだよ」
「わぁ~ ワクワクしましゅね」
「うん」
畳の上に座ると、僕もほっとした。
今日は宗吾さんの体調が心配で気を遣ったので、少し疲れたみたいだ。
ほっとしたせいか、急に眠くなってしまった。
僕も子供みたいだ。
「兄さんも、少し休んだ方がいいんじゃないか」
「でも……」
「オレが子供たちを見ているよ」
「潤、いいの?」
「兄さん、オレに甘えてくれよ」
潤が頼もしくて、兄さんキュンとしてしまうよ。
あぁ僕のブラコンは全開だ。
「……じゃあ芽生くん、いっくん、このお寺から出ちゃ駄目だよ。大人がいる場所にいてね」
「あい!」
「うん!」
僕は潤に少しだけ預けて、畳に寝っ転がった。
い草の香りに包まれる。
「畳は部屋の中にある森」という言葉通りだ。
ここはとても休らぐね。
月影寺は、自分らしく自然体でいられる場所だ。
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