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白薔薇の祝福 9

 僕は、宗吾さんの手が好きだ。  僕よりも一回り大きな逞しく温かい手。    その手によって、疲弊した指を労るようにマッサージしてもらった。  あの怪我の後遺症なのか……  僕の指は極度に疲れると強張ってしまうのを、宗吾さんは知っている。  だから僕も宗吾さんには隠さない。  宗吾さんは僕のすべてを曝け出した人だから、もう躊躇しない。  心も身体。  何もかも全部見せたのは、この先の人生を共に生きて行く相手だから。 「どうだ? 解れてきたか」 「はい、同時に手指の水分が失われていくような不快感もあるので、クリームが心地良いです」 「そうか、無理させて悪かったな」 「そんなことないです。柊雪のブーケを作るの楽しくてつい夢中に……」 「君は根を詰めやすいから心配だ。さぁ、今日はもう仕事は忘れてくれ。到着したら誕生日パーティーの始まりだ」 「はい、そうさせていただきます」  見慣れた駅前の道を、黒塗りの車が通り過ぎていく。  今日は僕の30歳の誕生日。  30本の薔薇を抱えた自分が車の窓に映っていた。  幸せそうに口角を上げていた。  あの日の絶望から20年経った。  僕は今を生きている。  愛しい人と出会い、新しい家族と過ごせている。  11歳の誕生日に諦めなくてよかった。    逃げ出さなくてよかった。  生きてきて、良かった。    僕のために誕生日会を開いてくれることが有り難くて、、やっぱりまた泣いてしまいそうだ。 **** 「さぁ、間もなくあなたたちの城に到着しますよ」 「桂人さん、ありがとうございます。雪也さんとテツさんにもお礼をお伝え下さい」 「Have a wonderful time!」  へぇ、桂人さんって綺麗なイギリス英語だな。  よほど先生が良かったのか。  ぶっきらぼうなのに、品がある不思議な男だ。 「瑞樹、降りよう!」 「はい」 「ちょっと待って、俺がドアマンをするよ」 「え?」 「今日の君はBirthday boyだ! 特別な一夜なんだ」  俺がエスコートすると、花束を抱えた瑞樹が長い睫毛を揺らして甘く微笑む。  その様子は、まさにスズランの花そのもの。  歩き出すと、桂人さんにそっと何か渡された。    瑞樹に聞こえないように、小さな声で…… 「宗吾さん、もしも魔法が解けそうになったら、これを…… 雪也さんから言づかって来ました。さぁ行って下さい」  舞台はここから場面が変わる。  おとぎ話の庭園《ガーデン》から、家族の城へ。 「ただいま!」 「ただいま、戻りました」  きっと俺たちの帰りを、今か今かと待ち侘びていたのだろう。  すぐに芽生が暖簾を潜って、満面の笑顔でピョンっと飛び出してきた。 「あー! パパとお兄ちゃんだ!」 「芽生くん、ただいま!」  瑞樹がしゃがむと、芽生が瑞樹に抱きついた。  恋しかったのだろう。 「おかえりなさい、待ってたよー」 「待たせてごめんね。会いたかったよ」  瑞樹の心のこもった「会いたかった」、この一言で芽生はもう大満足だ。  さぁ、誕生日パーティーを始めるぞ。  兄さん、会場準備は万端か。  目で訴えると、兄さんがニヤッと笑う。  おっ! そんな茶目っ気な表情も出来るのか。 「お兄ちゃん、早く、早く、お誕生日会をしようよ」 「うん、ちょっと待って。手を洗うから」 「そうだね。じゃあこっちこっちー」  芽生がテンション高く、瑞樹の手を引っ張る。  瑞樹もこの時間を心待ちにしていたのだろう。  芽生の一言一言に、喜びを噛みしめるように頷いた。  二人の仲睦まじい様子を見ているだけで幸せになるよ。  愛しい人がただ微笑んでくれるだけで嬉しい。  そのことを君と過ごすようになって見つけたよ。 「じゃじゃーん!」 「わぁ!」  居間の壁には、沢山の絵が整然と飾ってあった。  事前に頼んでおいたのさ。  いっくんと芽生の絵は、無邪気でいい。  ふたりとも優しい色遣いで、沢山の綺麗な色を使ってくれていた。  いっくんと芽生も幸せな色を知っている。 「カラフルですね! まるで壁に絵の花が咲いたみたいです」 「お! 分かってくれるか。まさにそんなイメージだ」  天井には折り紙でつくったペーパーチェーンやフラッグなどの飾りも施されていた。  緻密な兄さんらしく、俺の企画書を忠実に再現してくれて最高だ。 「素晴らしい飾りつけです。あの……これ憲吾さんがして下さったのですね」    きめ細やかな瑞樹は、兄さんに真っ先にお礼を言ってくれた。  もちろん兄さんはデレッと破顔する。 「私はただ指示通り飾っただけだ。絵や飾りは、芽生といっくんが手分けしてつくってくれたものだ」 「ありがとうございます。絵や飾りが綺麗に見えるような配置、さすがです」 「そ、そうか」  兄さんが眼鏡の縁を上下させて照れている。 「まだこれで完成じゃないぞ」 「他に何かあるのですか」 「よくぞ聞いてくれたな」  俺は部屋のカーテンを閉め、黒いリモコンを押した。  すると天井からウィーンとモーター音がして、ホームシアターのスクリーンが降りてきた。 「え? あれはなんですか」 「じゃあ、まずは函館の広樹たちを呼ぼう」 「え? 兄さんを? どうやって」  実はテレビ電話企画を内々に練っていた。  等身大で会えるように、大きなスクリーンを内緒で設置しておいたのさ!  函館、大沼、軽井沢。  瑞樹の大切な家族とも輪を繋ごう。  合言葉は『瑞樹の30歳の誕生日に集まろう』  皆、君が大好きだから集まってくれる。  君は愛されている。    それを実感して欲しくて、全力で企画したのさ!  

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