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白薔薇の祝福 26

「ただいまー おばあちゃん、どこー?」  孫の芽生の元気な声が、玄関から聞こえた。    弾んだ声ね。  この声だけで今日1日がどんなに楽しかったか、充実したものだったかしっかり伝わってくるわ。  声は心のバロメーターよ。  二人の男の子を育てた母だから分かるの。     宗吾は自分の感情にストレートだったので分かりやすい子供だったけど、憲吾は感情を表に出さないタイプだったので、憲吾が発する声が頼りだった。 『行ってきます』『ただいま』  たったそれだけでも、母には伝わるものがあるの。  声のトーンの微妙な変化を見逃さないように、耳を澄ましたわ。  耳を澄ませば、隠れていた心が見えてくる。  だから歩み寄れる。 …… 『ただいま……』  あら? 今日は暗いわね、何かあったのかしら?  学校で何かあったのかしら?  細かいことを気にしがちな憲吾は、失敗することが大の苦手。  でも失敗も時に大事なのよ。  全てが順風満帆にはいかないのが人生だから。  失敗によって得るものに気付けるかどうかによって、未来は変わっていくのよ。  今は話したくないのなら話さなくてもいい。  でも少し温かいお茶でも飲んで、私の近くで休んでみない?  傷ついた心を休めて欲しいから。 ……  思春期も反抗期も……  内向的な憲吾は内に内にためてしまので、いつも辛そうだった。  生きづらい性格かもしれないけれども、私にはそれが憲吾のチャームポイントだと思えた。  ねぇ、聞いて。  宗吾も憲吾も同じだけ好きよ。  タイプが違ってもいいじゃない。  個性豊かな二人の息子を授かり育てられて幸せよ。  さてと、今日の憲吾はどうかしら?  こんな風に耳を澄ませて息子の声を聞くのは久しぶり。 「ただいまっ! 母さん戻りましたよ」  あらやだ、元気!  小学生みたい。  ふふっ、しかも「母さん」まで着いている。  今日はスペシャル楽しかったのね。  息子が幸せなら、親も幸せ。 「芽生、憲吾、お帰りなさい、楽しかった?」 「おばあちゃんー すごくすっごくたのしかったよぅ」 「まぁ……そういうことです」  うっふふ、まるで宗吾と憲吾の再来ね。 「お腹空いたでしょう?」 「うん、ペコペコ、今日はなに?」 「メンチカツよ! 憲吾、ビールを飲む?」 「いいですね、ええっと美智と彩芽は?」 「今日はずっと調子が良くてさっきまで居間で仲良く遊んでいたわ。それでお風呂に入って、彩芽ちゃんが眠そうだから寝付かしているところ」  伝えると、憲吾は目を細めた。 「一度、顔を見てきます」 「そうね、そうするといいわ」  憲吾が二階に上がっていったので、芽生と居間に入った。 「おばあちゃん、手を洗ってくるよ」 「いつもちゃんと洗って偉いわよね。宗吾はいつも汚い手であちこち触って大変だったのに」 「えへへ。お兄ちゃんがね、その方がいいよって」  芽生がひとりで手を洗って部屋に戻ってくる。 「ねぇねぇ、おばあちゃんも東京ドリームにいったことある? あのね、ワクワクの風船みたいな屋根なんだよ」  よほど楽しかったのね。  ずっとおしゃべりしていて可愛いわ。  優しくて明るくて元気な芽生は、滝沢家の宝よ。  そして瑞樹の天使よね。 「あー お兄ちゃんとパパはまだかな? 早くお兄ちゃんにも教えてあげたいよ」  待ちきれないといった表情で窓に頬をつけて張り付く芽生。 「さっき連絡があって電車に乗ったというから、もうすぐよ」 「ほんと? 早く会いたいな、あ、おばあちゃん、あのね」 「どうしたの?」 「けんごおじさんって、すごいんだよ。すごーく物知りさんなの。すごいよね。いっぱい初めてのこと教えてもらえてうれしかったよ。でもいちばんうれしかったことはなんだと思う?」  芽生の目が輝く!  もしかして――  これは芽生の口から聞きたいわ。 「教えて頂戴」 「あのね、おじさんともっともっとなかよくなれたんだ!」 「まぁ! 嬉しいわ」  憲吾と宗吾、昔は……お世辞にも仲が良いとは言い難い関係だった。  でも今、憲吾と芽生、伯父と甥っ子の関係は良好ね!  憲吾と宗吾の関係もすっかり良好になった。  ひとつの関係が良くなると、他の関係も良くなっていく。  心と心は繋がっているのよね。 **** 「お父さん、お母さん、今日はありがとうございます。僕、二人が今日このタイミングで来てくれて、すごく嬉しかったです」 「みーくん。俺たちは役立ったか」 「頼もしかったです」 「そうか、そうか。雪也さんと契約したから、暫く冬郷家に住み込むよ」 「え? いつの間にそんなことに?」 「自由だからさ、俺たち今とても自由だから、さっちゃんと二人で気ままに過ごしている。というわけで、明日からもよろしくな」  くまさんの行動力には驚かされる。  同時に嬉しい、心強い! 「じゃあ瑞樹、俺たちは家に帰るか」 「はい、お父さんお母さん、また明日」  僕はふたりにハグされた。 「がんばったな」 「瑞樹、手を休めるのよ」  お父さんとお母さんだ。  僕を褒め、僕を労り、僕を思ってくれる人がここにいる。 「はい、今日はちょっと手が痛くなって焦ってしまいました。このまままた動かなくなったら怖かったです」  今までの僕は弱さを必死に隠してしまっていた。  でも、もう隠さなくていいんだ。  痛い時は痛い、怖い時は怖いと言いなさいと、亡き母に言われたことを思いだした。  瑞樹、聞こえる?  心を楽にしたいのなら、弱さを明かすのよ。  弱いことは悪いことじゃない。    勇気を出して、あなたが大好きな人と、もっともっと歩み寄れるチャンスよ。  雲の上からの声に導かれるように、僕は大きく頷いて歩き出した。  一歩、また一歩。  俯いたままでは、美しい空とも雲とも出会えない。  

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