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ムーンライト・セレナーデ 6 (月影寺の夏休み編)
「翠、ちょっと竹藪に行って来る」
「今から? 一体何をしに?」
「檀家さんからのお中元で素麺が一杯届いただろう? あれを消費したいし、皆で『流しそうめん』をしたら楽しいんだろうと思いついたのさ」
「まさか竹を割って、今から作るのか」
「もちろん! そんなの朝飯前だ」
「確かに、僕の流は家具職人並の腕前だもんな」
翠が、しみじみと俺を褒め称えてくれる。
「でもね、流、どうか怪我だけはしないでおくれ。お前は無鉄砲な所があるから心配だよ」
「肝に銘じているさ。何しろ怪我をしたら翠を暫く抱けなくなる。そんなの絶対に嫌だから慎重になるさ」
こんな風にあからさまに情事を匂わせたら、きっと顔を赤くするだろう。
それが分かっていて、言いたくなる。
俺がどんなに翠を欲しているか。24時間365日翠を抱き続けたい程、愛していることを。
すると翠は頬を染めながら、うっとりと優しい眼差しを向けてくれた。
「流、怪我をしない『おまじない』をしてあげるよ」
「ん? 寺のご住職がまじないを?」
「今の僕は、流の男だ」
その一言にグッとくる。
こんな日をどんなに待ちわびていたことか。
翠が俺の手に、そっと頬ずりしてくれた。
「流の手、昔から大好きなんだ。幼い頃から繋いだり繋いでもらったり、いつも嬉しかったよ」
「あぁ、俺もだ」
ふと……翠が結婚していた頃を思い出す。
あの頃、風邪が治ったばかりの翠と大銀杏の前で、こんな風に繋いだり、繋いでもらったりしたよな。
あれは翠の心が壊れてしまう前に、翠を救える最後通告だったのに、俺は結局、翠を突き放してしまった。
「どうした? 顔色が悪いよ。いいかい? もう辛い過去を振り返ってはいけないよ」
「そうだな。なぁ……翠、今、幸せか」
「あぁ、とても幸せだよ。流がいるから」
たおやかに頬を染めて微笑んでくれたので、目元の色っぽい黒子にチュッとキスを落としてやった。
「続きは夜だ」
****
離れで翻訳作業をしていると窓の向こうから、ガサガサと音がした。
なんだろう? 竹藪が揺れている。
急いで様子を伺うと、作務衣姿の流さんが上半身裸で勇ましく竹を割っていた。鍛えられた筋肉が夏の木漏れ日を浴びて輝いていた。
「流兄さん、何をしているのですか」
「流しそうめんをしようと思ってな」
「本格的ですね。あの、俺にも手伝えることがありますか」
「そうだな、本堂に積んであるお中元の中から、素麺を探して庫裡に運んでおいてくれ」
「はい!」
「鍋にお湯を沸かしておいてもらえると助かるよ。出来そうか」
「はい、出来ます」
不器用な俺でも、手伝えることがあるのが嬉しい。
そろそろ瑞樹くんたちが到着する頃だろう。
俺の方まで夏休み中の子供のようにワクワクしてくる。
****
「いっくん、もうすぐ着くぞ」
「パパぁ、めーくんもうついているかなぁ」
「あぁ、さっき到着したそうだ」
「わぁい」
「だから早速遊べるぞ」
「うれちいなぁ」
夏休みなのに朝から晩まで嫌がることもなく毎日保育園に通ってくれたいっくんにとって、やっと夏休みらしい自由な日々がやってくる。子供は子供らしく、夏を謳歌して欲しい。
そんな時、兄貴分の芽生坊の存在は大きい。
俺とすみれにとっても、月影寺で過ごす2泊3日は大いなる息抜きになるだろう。
槙が生まれてからこの3ヶ月、お互いに育児に奮闘し続けたから、ここらで一休みしたい気分だ。
槙はオレに似て凜々しい眉毛のいかにも男の子という感じで、泣き声も逞しく、母乳をぐいぐい飲んでどんどん体重も太って、ずっしりと重たい。しかも抱っこ大好きで、置くと真っ赤になって泣き叫ぶ。
すみれは腰が悪いので、オレが代わりに抱っこをしてやることが多い。
オレとそっくりな顔立ちの赤ん坊を抱くと、愛しさが込み上げてくる。同時に優しい顔だちで仕草も繊細で可愛いいっくんへの愛情も込み上げてくる。
二人の息子のタイプが、真逆で良かったのかもな。
「パパぁ、パパぁ、おてらにはおばけさんがいるんでしょ?」
「え?」
「だからね、よるになったら、きもだめしをするんだー」
「いっくん、お化けは怖いぞ。やめておいたほうが……」
おいおい、誰だよ。肝試しなんて教えたのは?
キャーと怖がって泣き叫ぶいっくんを容易に想像出来るぞ。
「ううん、いっくんおとこのこだもん、おにいちゃんだもん、こわくなんかないもん!」
どうやら、また保育園で何か吹き込まれたらしい。
これは肝試しするまで言い続けそうだなと、すみれと顔を見合わせて苦笑した。
寺に到着すると、先に到着していた宗吾さんの車が見えた。どうやらまだ上がらずに、オレたちの到着を待っていてくれたらしい。
兄さんがオレの車を見つけると、満面の笑みで手を振ってくれた。
ほっそりとした身体つき、綺麗な手、兄さんの可憐で華やかな笑顔にほっとする。
今日も兄さんの心からの笑顔を見ることが出来て幸せだ。
小さい頃、本当は笑って欲しかった。オレの家にやってきた兄さんは涙を堪えた表情ばかりしていたので、ただ、ただ……笑って欲しかったんだ。でもオレどうしたらいいのか分からなくて、あんな意地悪ばかりしちまった。
「じゅーん、会いたかったよ」
兄さんが真っ先に、オレに声をかけてくれるのが嬉しい。
オレは相当なブラコンだから、それだけでデレッとなる。
「兄さん、オレも、オレも、すげー会いたかった!」
「ふふ、ありがとう。いっくん、こんにちは! 元気だったかな?」
続いていっくんに話しかけてくれる優しさも好きだ。
いっくんも嬉しそうに、兄さんに手を広げてぴょんと飛びついた。
「みーくん、だっこ」
「ふふ、また重たくなったね」
「おにいちゃんになったんだもん。あれあれ? きょうはみーくん、せっけんのにおいがするよ」
「そ、そうかな?」
「うん、クンクン、いいにおいだよ」
くんくん身体の匂いを嗅がれて、兄さんは何故か真っ赤になっている。
おーい、その顔さぁ、やましいことがありましたって書いてあるようなもんだぜ!
まったく兄さんは嘘をつけない人だ。
続いて、芽生坊といっくんの熱い抱擁の番だ。
「いっくん、会いたかったよ!」
「めーくん、いっくんもでしゅよー」
ムギュっとくっついて頬を寄せ合う様子は、まるで兄弟そのものだ。
この二人は、きっとずっとずっと仲良しだ。
芽生坊が中学生になっても高校生になっても、いっくんのことよろしくな。いっくんは芽生坊の背中を追いかけて育っていく。芽生坊なら安心だ。何しろ兄さんが手塩にかけた秘蔵っ子だからな。宗吾さんと兄さんのいいとこ取りの芽生坊の将来は明るい。
振り返ると兄さんがすみれに挨拶し、槙も抱っこしてくれていた。
「わぁ、槙くん、もうこんなに重たくなったんですね。顔立ちもハッキリしてきて、わぁ……潤によく似ているなぁ」
「そうなの、私もびっくりしちゃう程似ているなって思うんです」
「それって、嬉しいことですよね」
「えぇ、好きな人に似た赤ちゃんと出逢えて幸せです。って、私ってば惚気ていますよね」
「いえ、僕も芽生くんが宗吾さんそっくりなのが嬉しいので、お気持ちよく分かります」
ほのぼのとした優しい会話。
少し擽ったく、飴玉みたいに甘い会話が繰り広げられている。
「さぁ、これで全員揃ったな。行こう!」
宗吾さんのかけ声と共に、オレと兄さん家族は月影寺の山門へ続く石段を一段一段上った。
この夏の、とっておきの思い出を作りに。
一人一人が心を寄り添わせ集まれば、楽しい思い出が生まれるさ。
もうオレたちには、悲しい思い出はいらない。
ここに集うのは、悲しみを抜けて辿り着いた人達ばかりだから。
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