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秋陽の中 3
昼休みに給湯室の前を通り過ぎると、管野がウキウキ顔で立っていた。
「管野、何をしているの?」
足を止めると、管野が持っているマグカップから何やら甘い匂いが漂ってきた。
「葉山も飲むか」
「何を飲んでいるの?」
「へへ、実はこれさ、風太と先週一緒に買ってみたんだ」
「あ、じゃあ、あんこだね」
「ははっ、察しがいいな。これはフリーズドライのおしるこなんだ」
「やっぱり!」
管野は小森くんと付き合うようになってから、あんこ好きになった。
以前は珈琲を飲んでいたのに、まだ残暑が厳しい中、お汁粉だなんて、やるなぁ。
好きな人の影響ってすごいね。まぁ僕も宗吾さんの影響を受けまくりだから、人のこと言えないか。
「ほら飲んで」
「ありがとう。こんな物があるんだね」
「案外上手いだろ? 手軽だし」
「うん、うん、美味しいよ」
思ったより本格的な小豆の味がして。美味しかった。
甘いものは疲れが取れるね。昨夜からずっとバタバタで疲れていたので、心がほっと和んだ。
「そういえば、さっき庶務の女の子を助けたそうだな」
「え? どうして知ってるの?」
「『葉山瑞樹くん王子様モード発動!』って速報が流れていた」
「速報?」
「葉山のファンクラブのさぁ」
「えぇ?」
「実は俺もファンクラブの会員なんだ。葉山は男女問わずモテるよな~」
ファンクラブの噂は聞いていたが速報機能まであるなんて、驚いた。
あ……じゃあ……もしも宗吾さんと同性同士で付き合っていることが見つかったら大変になるかもしれない。
そんな不安が過って、険しい顔になってしまった。
すると管野が僕の不安を吹き飛ばしてくれた。
「おいおい、そんな顔するなって。皆、どんな葉山でも好きだから安心しろよ。ただ葉山の幸せを願っている。葉山の可愛い笑顔を見たいだけの集まりだから深く考えるな。社内での出来事はニュースにしてもプライベートは尊重してくれる。と言うのは、俺の内部監査の結果だ」
「管野はいい奴だな。うん……そうだね、可愛がってもらえて、ありがたいよ」
「お! 前向きに捉えられたな。よしよし」
管野はいつもこうやって僕の気持ちを押し上げてくれる。
落っこちないように支えてくれる。
思えば、僕はいつも守ってばかりだ。
僕もそろそろ管野に何かしてあげたいよ。
何か出来ることはあるかな?
そうだ!
「管野、さっきの旅行って1泊2日? それとも2泊3日?」
「うーん、1泊だと味気ないから2泊したいと思っているよ。だけど俺さ、関西に土地勘がないんだよなぁ。いっそ『あんこ博物館』に2日間通うのはどうだろう?」
ギョッとした。
「え? いやいや、それは駄目だ。ただの『あんこ食い倒れの旅』になってしまうよ」
「ははっ、瑞樹ちゃん最近らしくない言葉がポンポン飛び出てくるな! 食い倒れだなんて豪快でいいぞ」
「そ、そうかな? それより、その……二日目のプラン、僕にも練らせてくれないか。とびっきりロマンチックなことを考えてみたい」
こんな風に自分以外の人に深く踏み込めるようになるなんて、驚きだ。
「ありがたいよ! 俺と風太だけだとロマンチックな計画は難しいから嬉しいよ。風太も喜ぶよ」
快諾してもらえるなんて――
「あくまでも案だから。全然違う場所に行ってもいいから、でも考えてみたい、いいかな?」
「葉山っていい奴だな、ありがとう!」
会話が弾んだ。
そうか……友情って、こうやって育んでいくものなのか。
ずっと忘れていたことも、また始めてみよう。
僕の人生は、まだまだこれからだ。
遅いということはない。
誰かのために、大切な誰かのために出来ることがある。
****
函館大沼。
「さっちゃん、どうした? 朝からぼんやりして……眠そうだな」
「勇大さん、ごめんなさい」
「どうした?」
「……もしかして退屈なのか、俺との生活が」
「違うわ! そんなことないわ。とても満たされているのよ」
「……そうか、なら良かったよ」
結婚して花屋を営んでからは早起きも立ちっぱなしも慣れっこだった。そして主人が亡くなってからは四六時中、3人の息子を育てるために無我夢中で働いてきたわ。でも年齢と共に身体が辛くなって……
だから勇大さんと結婚してからは花屋は若い息子夫婦に譲り、大沼のログハウスに引っ越して、勇大さんとのんびりと二人の時間を楽しんできたわ。
最近は息子達のピンチやお祝いごとにはフットワーク軽く駆けつけられるようになった。
広樹のためにも、瑞樹のためにも、潤のためにも、時間を割いてあげることが出来るようになったの。
こんなにゆったりとした時間を過ごすのは始めてで、不慣れながらも幸せを噛みしめている。
でもね……最近、身体がうずうずしているの。
何かをやってみたい。
何かを初めてみたいと、心の声が聞こえるの。
でも今はまだ、その何かが分からなくて、もどかしいのよ。
「さっちゃん、今日はドーナッツを作ってくれないか」
「いいわよ」
「持って行きたい場所があるから、少し多めに作ってもらえるか」
「もちろん、どこに?」
「以前、道の駅のスタッフに一つ分けてあげたらすごく好評で、また食べたいとリクエストがあってな」
「まぁ、うれしいわ」
ドーナッツ作りは得意なの。
生地の配合もトッピングもオリジナルなのよ。
今まではなかなか時間がなかったけれども、今なら思う存分出来るの。
得意なことを褒められて嬉しかった。
「だがドーナッツは揚げたてが一番美味しいよな。俺が独り占めして悪いな」
「ふふ、一番食べて欲しい人だもの。私は嬉しいわ。そうだわ、勇大さんのハチミツを分けてもらえない? はちみつドーナッツにチャレンジしてみたいの」
「おぅ、もちろんいいよ。すぐに持ってくる」
勇大さんの逞しくて広い背中を見つめると、自然に笑みが漏れる。
このログハウスは森のくまさんが住んでいるみたい。
木の温もりが心地良く、リラックスできる。
息子達も、疲れたらここにいらっしゃい。
そう自信をもって言える場所よ。
****
「瑞樹ぃ、風呂上がったぞ。どうした? 食事の後ずっと部屋に籠もっていたのか。何か急ぎの仕事か」
「あ、宗吾さん、実は……」
宗吾さんと芽生くんがお風呂に入っている間、管野と小森くんのロマンチックな旅行先を考えていたら、時間があっという間に経っていたようだ。
「あの……よかったら宗吾さんも一緒に考えてくださいますか」
「いいのか」
「はい、二人で考えた方がいいアイデアが出そうです」
「嬉しいことを言ってくれるんだな。瑞樹と共同作業は大好きだ。君は人当たりが柔らかいから話していると心地いいよ。で、俺も俄然ヤル気になってくる」
わぁ……今日は褒められてばかりで照れ臭いな。
最近、僕が変わったのか、周りが変わったのか……
世界の色がワントーン明るくなった気がする。
「ありがとうございます。僕も宗吾さんの企画力、アイデア力、刺激をもらっています」
すると、手を握られた。
宗吾さんが真っ直ぐに、熱の籠もった瞳で見つめてくる。
だからそっと目を閉じると、優しいキスをされた。
「あっ……」
「瑞樹と話していると優しくなれる。君の人徳だな」
「そんなに褒めないで下さい」
「いや、もっともっと褒めたい。瑞樹は最高だと叫びたい」
「も、もう」
ストレートな愛情が心地良い。
大好きな人と暮らせる喜びを感じる優しい夜だった。
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