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秋陽の中 18
函館市内で買い物を済ませ、さっちゃんが待つ大沼のログハウスに帰宅した。
足下がいつもより明るく感じたので空を見上げると、頭上には見事な満月が浮かんでいた。
「そうか、今日は中秋の名月だったな」
これは圧巻だ。
車の中で流れていたラジオ通りの見事な月だ。
『十五夜の29日夜、道南でも見事な「中秋の名月」が見えています。 函館市内では午後6時頃、澄んだ東の空に丸い月が浮かび、足を止める市民の姿が……』
澄んだ秋空に浮かぶ満月は絵になるな。
俺の3人の息子にも見せてやりたい。
鞄の中から一眼レフを取り出し、さっと構えたが、月を撮影するのは至難の業なのを思い出した。
きっと肉眼で、それぞれの場所で、自分だけの月を見なさいという思し召しなのだろう。
月からのメッセージはそれぞれだ。
受け止める側によって、受け止め方が違うもんな。
だから俺は、俺だけの月を見つけよう。
ずっとログハウスに閉じこもってばかりで、空を見上げるのは苦手だった。
それは天国にいる大樹さんに合わせる顔がなかったから。
だが今は違う。
事あるごとに空を見上げている。
天国にいる大樹さんと話したくて――
「大樹さん。そちらからも月は見えていますか。今宵は満月、中秋の名月ですよ。地上にいた頃は、一緒にここに座って月を肴に酒を酌み交わしましたね」
……
「熊田もいつか所帯を持つのか」
「今は考えられません」
「どうしてだ? 女性に興味がないのか」
「そういうわけではないのですが、今はここが居心地良すぎて、みーくんもなっくんも懐いてくれているし……こうやって大樹さんと酒を呑みたいのです」
「お前は可愛い奴だよ。子供たちも、だから懐いている。いつもありがとうな」
……
ポンっと肩に置かれた逞しい手、優しい手。
生きている……温もり……
あの時の大樹さんの心底嬉しそうな顔は、生涯忘れられない。
この世にあなたが遺した……みーくんが今とても幸せに暮らしていることを、俺が前向きに生きていることを、しっかり伝えたい。
するとギィと扉が開く音がした。
振り返ると、美味しそうな匂いと共にエプロン姿のさっちゃんが現れた。
「勇大さん、お帰りなさい。おやつにドーナッツを揚げたのよ」
「お! 俺の大好物『さっちゃんの特製ドーナッツ』だな」
「ふふっ『くまさんのはちみつドーナッツ』よ。今日はお月見だから、そこのテーブルでお月様を見ながら食べようと思ったの」
「いいな、じゃあ珈琲も淹れよう」
さっちゃんがログハウス前の丸太で作ったベンチに腰掛けたので、赤いタータンチェックのブランケットをかけてやった。
「まぁ、恥ずかしいわ」
「どうして? 君は大事な奥さんだ」
「もう大きな息子がいる平凡なおばさんよ」
「そんなことはない。俺と結婚したばかりの奥さんだ」
「もう……」
「いやか」
「うれしいわ」
「いつもいつも……大人でいなくてもいい。俺と二人の時は……」
「あなたに甘えていいのね」
「そうだ、甘えて欲しいのさ」
さっちゃんの揚げたてのドーナッツは風味が良く本当に旨い。
揚げたてを道の駅に差し入れると、もっと食べたいといつもリクエストされる。近所の人にも野菜と交換してあげると喜ばれる。
「さっちゃんのドーナッツは本当に旨いよ」
「うれしいわ。ドーナッツとホットケーキだけは昔からよく作ったのよ」
「俺も食べられて嬉しいよ」
「ありがとう。欲を言えば私の息子たち……函館の広樹、東京の瑞樹、軽井沢の潤、それぞれの家族にも届けてあげたいけれども、揚げたては難しいわね」
「そうだな。揚げたてを食べに来て貰えばいいんだよ。いつもじゃなくてもいい。来てくれた時に食べてもらえたら、きっとそれはお袋の味、故郷の思い出となるだろう」
「勇大さんはいつも嬉しいことを言ってくれるのね、ありがとう」
先日、道の駅で定期的に扱わないかと誘いがあった。
さっちゃんと相談したが、冷めると美味しさが半減してしまうことに気付き丁重にお断りした。ついでに離れて暮らす子供たちにドーナッツを送る方法も試行錯誤し、焼きドーナツにして真空パックに入れるのも考えたが、二人でこれは違うと首を横に振った。
さっちゃんのドーナッツは、この出来たてホヤホヤの熱々なのが売りなんだ。
だったら、これは取っておこう。
子供達が楽しみにしてくれる味は、ここでしか味わえない。
それでいいんじゃないか。
珈琲道具を持って戻ると、テーブルの上には丸いドーナッツを積み重ねたお月見団子が出来ていた。
「勇大さん、見て! これ、どうかしら?」
「ドーナッツなのに風情あるな」
「関東ではこんな風にお団子をピラミッド型にするそうよ」
「そうか」
二人で月を見上げた。
気持ちもぐんぐん上がってくる。
「月が綺麗だな」
「本当にそうね」
「同じ月を皆も見ているだろうか。たとえ雲の中でも、俺たちの息子なら心の目が見られるさ」
「そう思うと、嬉しいわ」
****
「……結局1匹も釣れませんでしたね、お腹にあんこどっさりの鯛さーん」
風太がしょんぼりと、お腹をさすりながら力なく呟く。
「いやいや元気を出そうぜ! そうだ! こんな時こそ、あんこパンマンの力が必要だな」
「そうでした! ええっと次は『あんこパンマンミュージアム』ですね」
「そうだ、早く行こう!」
下船して、その足でミュージアムに向かった。
風太が隣でくすぐったそうに笑っている。
「どうした?」
「楽しいなぁ。大好きな人との旅行って、こんなに楽しいのですね」
「あぁ、俺も楽しいよ」
「歌いたい気分です。踊りたい気分です。あん、あん、あん、あん、あんこちゃーん」
風太が歌を口ずさみながら上機嫌で歩いている。
やっぱり大好きな人の笑顔が一番だな。
船上でたっぷりキスを出来たので、俺も上機嫌だ。
「ん? なんか書いてあるな」
よく見ると、パンフレットに瑞樹ちゃんの手書きで一言メッセージが入っていた。
『ここであんこ補給タイムだよ。菅野、落ち着け! 焦るな! 頑張って!』
ははは、どっちだよ?
瑞樹ちゃんって、かなりチャーミングだ。
今はこんなに明るくなった瑞樹ちゃんにも、幸せに臆病で、いつも人より一歩も二歩も下がっていた頃があった。
本当に良かったな。
待ってろよ。俺も同じ場所に行くよ!
あんこパンマンミュージアムでは展示よりも先に、オリジナルあんパンをムシャムシャと食べる風太を見ていると、自然と笑みが零れる。
「どうだ、美味しい?」
「はぁい! 本家あんこパンマンのあんパンは最高ですよぅ」
「良かったよ。まだまだあんこ街道は続くぞ。この後は元町あんこストリートの散策だ」
「なんと……」
風太がじっと俺を見つめる。
「ど、どうした?」
「僕……こんなに幸せでいいのかなって、夢のようです。もう天国に行ってもいいですか」
「ま、まだだ! まだ夢の世界にも天国にも行くな-」
「はい! まだ元町あんこストリートに行かねば、キラーン!」
目がらんらんと輝く。
知らない人から見たら、大人の男同士が、あんパンをニヤついて食べているのは不思議な光景かもしれないが、これが俺たちのスタンダードだ。
夢中になって6個目のあんこパンを頬張った時、なにやらレストランに放送がかかった。
「あんこパンマンが選んだ今日の『あんこが一番似合うで賞』は、ズバリあなたですよ!」
突然神々しくスポットライトを浴びる風太!
「え? え? え? 僕ですか」
「そうです、美味しそうに沢山召し上がって下さってありがとうございます。さぁ、これはあんこ好きのあなたへの賞品です!」
風太が大きなプレゼントの袋を抱え、丁寧にお辞儀をする。
「有り難き幸せですよ。南無~」
すると拍手が鳴り止まない。
「あのお兄ちゃん、かっこいい」
「あんこパンマンみたいだよ」
「彼のスーツのいい色だな」
「まるで小豆色だ!」
「いまどき珍しい好青年だ。拝みたくなるな」
いっくんや芽生坊のような小さな天使からも、家族連れからも、おじいちゃんおばあちゃんからも、風太は大人気だった。
俺の風太は、周囲から祝福され愛されている。
風太は嬉しそうに頬を染めて、もう一度深々とお辞儀をした。
感謝の気持ちが満ちてくる。
「うう、僕……とても幸せです。皆さん、ありがとうございます」
風太の嬉し涙に寄せられる、あたたかい拍手。
受け入れてもらえる幸せ……
旅の思い出がまた一つ。
この旅は生涯の思い出になるだろう。
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