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秋色日和 23

「潤くん、いっくんの出番よ。えっとね、最初はかけっこだって」 「去年は一緒に競技したのに、今年は一人で走るのか」  去年はいっくんを箱に入れて引っ張る競技に、一緒に出た。  事前に家の前の原っぱで練習してバッチリのはずが、いっくんが途中から大泣きしてしまって焦ったな。  泣いた理由が、オレがどんどん離れていくようで怖かっただなんて、胸が切なくも愛おしくて、ルールを破って泣きじゃくるいっくんを抱き上げて一緒にゴールした。  すると観客から暖かい拍手で迎えられた。  さっきもだが、この保育園の保護者は、いっくんがどんなにパパを探し求めていたのか知っているから、いつも暖かく受け入れてくれる。  感謝だ。  受け入れてもらえるって、こんなにも心強いことなんだな。  ルールは大切で、規則は守らないといけないものだが、保育園の小さなあどけない子供には、もっと必要なものがあるんだな。  それは歪みのない真っ直ぐな愛情を受けること。  明るい光を浴びて日向ぼっこしているような、柔らかい愛情に包まれてスクスクと成長して欲しい。  父親になって世界を見渡すと、改めて気がつくことばかりだ。 「あぁドキドキするわ。いっくんがひとりで競技に出られるなんて、あの子も大きくなったのね。ぐすっ」 「すみれ、始まる前から涙を?」 「だって、私……本当に初めてなんだもの。いっくんの運動会はいつも門の前でUターンだったから」 「そうだよな。それに去年は妊娠中で大変だったもんな」  そっとすみれの肩を抱いてやった。 「潤くん、槙も無事に生まれ良かったね。いっくんと槙が一緒にかけっこしたりして遊ぶ日がくるのが楽しみよ。まだ信じられないわ。いっくんに兄弟が出来るなんて夢にも思わなかった。私はずっといっくんと二人で生きていく覚悟だったから」 「すみれ……改めてオレと出会ってくれてありがとう」 「潤くんはいっくんが見つけてくれた私の南国の王子様なのよ」 「て、照れる」  こんな甘い砂糖菓子のような会話を、奥さんと肩を並べてする日が来るなんて。  息子の運動会にオレが参加するなんて、人生何があるか分からない。    明るくなった心が出会うものは、どれも幸せなものばかりだ。 「潤くん、次、いっくんの番よ」 「おぅ」  いっくんはワクワクした顔で立っていた。 「よーい、どん!」  一斉に他の園児と一緒に走り出す。  周りは、いっくんより一回りも大きい子ばかりだ。改めて見ると、いっくんは同年代の子供より背も低く体重も軽い。  成長曲線で一番下を外れることもある。だが健康状態に問題があるわけではない。  その小ささを、オレたちは愛している。  成長がゆっくりなのは、オレたちと出会うために待っていてくれたんだよな。オレたちに小さなあどけない姿を見せてくれてありがとう。 「いっくん、頑張ってー!」 「いっくん、頑張れ!」  思わず声を出して応援してしまった。 「あ、離されちゃう」  いっくんは一生懸命走っているが、どんどん離されてしまう。体格差があるので仕方がないが、いっくんは動揺してしまい、笑顔が消えて目をつぶってしまった。 「あ、あぶない」 「あぶない!」  その瞬間、足がもつれて、ぺしゃっと俯せに転んでしまった。 「いっくん、転んじゃった!」 「あぁ」  こんな時、どうしたらいいんだ?  こんな時、兄さんならどうする?  空を見上げると兄さんの優しい顔が浮かび、答えが見つかった。 (難しく考えないでいい。今の潤なら大丈夫だよ。心の赴くままに動いて……さぁいっくんと心を合わせて!)  いつもは控えめで大人しい兄さんの、凜々しい面も好きだ。 「よし! すみれはゴールへ、オレはいっくんを励ましてくる」 「わかったわ」  するとお母さんが槙を預かってくれた。 「母さん、サンキュ!」 「今日はいっくんを一番にね、槙くんは勇大さんと見ているから」 「ありがたいよ」 「そのために来たのよ。槙くんにも会いたかったけど、二人をサポートしたかったの」 「母さん、ごめん」 「何で謝るの? そんな言葉より聞きたい言葉があるのに」 「ありがとう!」  母さんの言う通りだ。  過去の過ちをしっかり反省したのなら、前へ進もう。  感謝をしながら。    倒れたまま動かないいっくんが、心の中で呼ぶ声が聞こえる。 (パパぁ、どうちよ? パパぁ、どこぉ? いっくんころんじゃったよ。いたいよぅ)  オレは大声をあげた。 「いっくん、空を見ろ!」  言葉は無事に届いたようで、いっくんがごろんと仰向けになった。  その目は濡れていなかった。  泣かなかったんだな。  えらかったな。  よし、もう一声!  言葉で伝えたいことがある。 「そうだ、空を見ろ! 芽生坊も頑張ってるよ。いっくんも頑張れ! 走ってパパのところに戻っておいで」  いっくんはオレの言葉に反応して、ゆっくり起き上がってまた走り出した。  オレの足も、自然と動き出す。  全ては兄さんの言った通り本能のままだ。 「いっくん、そうだ、その調子だ。早いぞ。すごいぞ」  一生懸命小さな身体で走り抜ける姿が、最高にかっこ良かった。 「もうすぐゴールだ! 向こうで待ってる!」  すみれもゴール前にしゃがんで大きく手を広げて、我が子を迎え入れようと待っていた。  だから、いっくんは、満面の笑顔でぴょんとママの懐に飛び込んだ。 「いっくん、がんばったね」 「ママぁ、パパぁ」  その光景があまり良くて、ぐっときた。  1位を取るより大事なことがある。  それはいっくんが、心から笑ってくれることだ。 「いっくん、うれちい。まえはね、いっくんのこと、だれもまっていてくれなかったの。だから……さみしかったの」 「これからはパパとママが待っているよ」 「うん! だから、ころんじゃったけど、うれちいの」 「よかった」  擦りむいた膝小僧を洗ってやると、少しだけ血が滲んでいた。 「いっくん、痛いか」 「ううん、ママとパパがいるから、いたくないよ」 「そうか」 「いっくんってば、もう」 「えへへ、ママもたのしい?」 「うん、すごく、ずっと見たかったの。いっくんの運動会」 「みたかったの?」 「そうよ、見られなくて悔しかったの」 「そうだったんだぁ、よかった」  母と子の気持ちもきれいに揃っていく。  信頼って、こうやって築いていくんだな。 ****  芽生くんが笑顔を取り戻し元気に準備体操する様子を見て、僕と宗吾さんは胸を撫で下ろした。 「瑞樹、芽生はどうして俺たちを見て、コロッと元気になったんだ?」 「それは憲吾さんのおかげです。本当にありがとうございます」 「ん? よく分からないが私の早起きも役に立ったようだな」 「はい、とても!」  僕は緑のレトロなジャージを着てレジャーシートに正座している憲吾さんが、ますます好きになった。  憲吾さんの几帳面で生真面目な性格のお陰で、こうやって無事に最前列で観覧出来ている。  憲吾さんはいつも真剣な人だ。何事に対しても真面目で丁寧にコツコツ取り組む人だ。そして宗吾さんは大空を自由に大きく羽ばたく人。宗吾さんがのびのびとした性格になれたのは、憲吾さんの下支えがあったからだ。  だからこの先、この二人が力を合わせたら最強だと思う。 「兄さんのおかげで、最前列に座れて、芽生に異変にいち早く気づけたよ。ありがとございます!」 「良かったな、その……子供の不安そうな顔は心配だよな。宗吾も焦っただろう」 「俺、今更だけど……兄さんから冷静になることの大切さや真面目に取り組むことの意義……いろいろ学んでいるよ」 「そうか、私も宗吾といると少しは行動的になれるようだ」  ふたりのやりとりが、本当に暖かい。  あぁ、僕はなんて恵まれているのだろう。  人に恵まれている。  空を見上げて、感謝の気持ちを伝えた。  きっと雲の上のお父さんたちが、僕の幸せを願ってくれているのですね。  良い縁に巡り逢うようにと。  だから、僕は今日も、一つ一つの縁を大切にしていきます。

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