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瑞樹過去編 番外編『成人式』2

前置き 瑞樹の二十歳の成人式の話をもう少し掘り下げたくなりました。なので……今日は広樹視点からスタートします。 ****  函館・葉山生花店  店番をしていると、銀行に行っていた母さんが戻ってきた。  手には白い筒を抱えている。 「広樹、銀行さんから来年のカレンダーをもらったわよ」 「もうそんな時期か」    俺は高校卒業後、進学はせずに母さんが営む花屋を手伝う道を選んだ。  父さんが亡くなってから、母さんが身を粉にして働き店を維持してくれたから、家族が離れ離れになることなく過ごせたんだ。  だから最初から決めていた。  俺が店を手伝うから、母さんには少しでも楽してもらいたいと。  町の外れの小さな花屋だが、母さんの努力が実り一定の固定客もついていた。更に配送サービスを始めてからは、広範囲からから注文が入るようになったので、前ほど資金繰りも厳しくない。 「12月は大忙しね。広樹のおかげで配達も出来るようになって売り上げも上がって助かってるわ。あのね、これ、もらってくれる? 今、下ろしてきたのよ」 「え? これって」 「冬のボーナスよ」 「そんなのいらないよ。母さんが使ってくれよ」 「いいのよ。あなたには、ろくにお給料も払っていないから、これ位させて」  『ボーナス』と書かれた銀行の封筒を、ギュッと握らせられた。 「……ありがとう」 「こちらこそ、いつもありがとう。これは、あなたのために使ってね。若者らしい楽しいことでもしてね、たまには」  夜、そっと封筒の中身を確認すると5万円も入っていた。  これは大金だ。  こんなにもらっていいのだろうか。  俺は花屋で過ごすしか能が無いから、金の使い道が分からないよ。かといって、高校に入って調子に乗っている潤に渡したら、ゲーセンに行ったり、好き放題買い物をして一瞬で消えてしまいそうだ。  どうしたものか。  それにしても、俺がボーナスをもらうなんて…… 「それはそうと、そろそろあの計画を実行しないとな」  俺は机の引き出しから若草色の封筒を取り出した。  中には高校を卒業してからコツコツ貯めた5万円が入っている。  この5万円の使い道は、最初から決めていた。  これは瑞樹のために貯金したものだ。  東京の大学に奨学金をもらって進学した5歳年下の弟は、5月に二十歳になった。住民票も移してしまったので、瑞樹は向こうで成人式を迎える。  その式に着ていくスーツを買ってやりたいんだ。  瑞樹が着る物は、いつも俺のお下がりばかりだった。中高の制服も体操服も普段着もパジャマもスキーウェアも……本当に何もかもだ。  だが瑞樹は俺よりずっと華奢で背も低いので、どれもダボダボで可哀想だった。  それでも文句一つ言わずに着てくれる優しく大人しい弟が可愛かった。だから成人式には、瑞樹の亡くなった親代わりに真新しいスーツを揃えてあげたいと、ずっと前から決めていた。  大学入学時に用意出来なかったこと、兄ちゃんは後悔してんだぞ。  あの時はお金がなくて……せっかく東京の大学に入学したというのに、俺のお下がりのすり切れたボロボロのスーツでごめんな。  さてと、この値段でスーツにワイシャツ、ネクタイ、靴と鞄まで一式揃えられるか分からんが、とにかくなんとかしてやるから、心配するなよ!    本当は帰省させて本人が気に入るものを一緒に選ぼうと思ったが、瑞樹は今年も帰ってこない。  遠慮の塊だから気を遣っているのが手に取るように分かる。どうせ一家団欒の邪魔をすると思っているんだろう?   なぁ、どうしたら気づいてくれる?  瑞樹もとっくに葉山家の家族の一員なんだってこと……  瑞樹の場合、無理強いすると、かえって縮こまっちまう。  そんな控えめな弟を憎めない。  逆に可愛くて仕方が無い。  だから瑞樹が一歩後ずさりするのなら、俺が一歩踏み出せばいい。  そう考えるようになった。  配達の合間に駅ビルの紳士服売り場に寄ってみたが、値札を見て仰天した。この店のスーツは都会的で瑞樹に似合いそうな物が多く憧れていたが、この金額内で一式揃えるのは厳しそうだ。  うーん、もっと早く値段チェックすべきだった。  途方に暮れていると、同級生のみっちゃが通りがかった。 「みっちゃん!」 「ヒロくん、どうしたの? 今日はお休み?」 「今こそ、みっちゃんの力が必要だ」 「ん?」 「瑞樹にスーツ一式揃えたいんだけど、予算は5万しかなくてさ……この店じゃ倍がかかりそうだ。なぁ、どうしたらいい?」  同級生のみっちゃんは俺の家の事情も、瑞樹のことも知っているので相談しやすかった。 「そうねぇ、兄はよく路面店の紳士服の赤山で買ってるわよ。案外今風のが安く買えるのよ。そうそう家で洗えるスーツだったら、クリーニング代もいらないからおすすめよ」 「それ、いいな。行ってみるよ」 「ヒロくん、頑張って!」 「あぁ」  その店では瑞樹に似合いそうなスーツを、予算内で一式揃えることが出来た。  みっちゃんに感謝だ。  よしっ、年末年始に遠慮して帰省しない弟に、お年玉代わりにこれを贈ろう。  あとは式典に行ってくれるかだよな。ああいう場所は中高の同窓会のように盛り上がるから、アウェイ感は半端ないだろう。  だが成人として厳かな成人式に臨むのは悪いことではない。  だから瑞樹から式典に行ってくると聞いた時、俺は飛び上がる程喜んだ。  瑞樹からアクションを起こすのは珍しいし、瑞樹が少しでも前へ進もうとしているのが嬉しかった。  その日は1日落ち着かなかった。  瑞樹がひとりぼっちで寂しい思いをしていないか。  俺が式典に行けといったばかりに……    そう思うと後悔が押し寄せてくる。  心配で心配で堪らないくなる。  俺は相当なブラコンだと自覚するよ。 「広樹、今から東京に行ってらっしゃいよ」 「え?」 「ボーナスがあるでしょう? 使い道が思い浮かばないのなら、あれを使ってみたら?」 「あ、そうか! 俺が行けばいいのか」 「そうよ。お店があるから私は行けないけど……広樹が親族代表で行ってくれるのなら嬉しいわ。さぁチケットをすぐに予約して、私はお祝いの花束を作るから持って行って」  チケットは無事に取れ、俺は急遽1泊2日で東京に行くことになった。  東京なんて……高校の修学旅行以来で緊張する。  母さんは白とグリーンを基調とした、シンプルでナチュラルな色合いの花束作った。瑞樹によく似合いそうだ。 「どうかしら? これなら東京に持って行っても浮かない?」 「あぁ、お洒落だよ」 「よかった。実は前々から考えていたの。瑞樹の成人を祝うブーケを作るとしたら、どんなのがいいかしらと」 「最高だ!」  花束を抱えて家を出ようとすると、潤に呼び止められた。 「兄さん、これ」  突然差し出されたのは、オレンジのガーベラ3本。 「ん?」 「だから、瑞樹に会いに行くんだろ? なら、この花も加えてくれよ」 「これは俺たち3兄弟って意味か」 「知るかよ!」  絶賛反抗期で難しい年頃だが、心の底では瑞樹を心配し、家族の一員だと思っているんだよな?  オレンジのガーベラは、潤の気持ちか。  今はまだ素直になれない潤からの贈り物も一緒に届けよう。 **** 「兄さん、中に上がって。狭い部屋でごめん。これ、早速花瓶に生けるよ」 「あぁ、そうしてくれ」 「とてもナチュラルで綺麗だね。このオレンジのガーベラは……もしかして潤から」 「そうだ。潤が自ら選んで持ってきたんだぞ」 「……そうなんだね」   古い学生寮には似合わない、とても洗練されたブーケだった。 「母さんが都会風のお洒落なブーケを作ろうと奮闘していたよ」 「気持ちが嬉しいよ。とても素敵だね」 「おぅ」 「今、温かい紅茶を入れるね。兄さん、ずっと外で待っていて寒かったよね」 「あぁ、ありがとう」  お湯が沸くのを待って台所から戻って来ると、兄さんが壁にもたれて転た寝をしていた。  クリスマスから大晦日まで大忙しだったのだろう。  何も手伝えなくて……帰省もせずに……ごめんなさい。 「兄さん、お紅茶……冷めちゃうよ」  返事はない。 「……冷めちゃうのは僕の方だよ」  そっと兄さんの横になって、肩を貸してあげた。 「やっと支えられるようになったのかな……肩くらいは貸せるよ。僕だって……」  兄さんの温もりが懐かしく感じる。  10歳で引き取られ、交通事故のフラッシュバックに苛まれる僕を根気よく励ましてくれた兄さん。  兄さんの体温に、僕は何度も温めてもらった。  張り裂けそうな心を、温めてもらった。 「兄さん……大好きだよ。来てくれてありがとう。本当に……嬉しいよ」  ただそこにいてくれるだけで、救われる人。  それが僕の兄さんだ。    

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