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HAPPY HOLIDAYS 26
「いっくんがお腹にいる時の話をしてもいい?」
「あぁ、美樹さんとの思い出をオレに伝えてくれ」
「ありがとう、あのね……」
……
軽井沢の秋は足早に去り、11月には、もうすっかり冬になる。
今年の冬は一段と厳しくなりそうね。
私は身重の身体を庇うように慎重に歩いて、美樹くんが入院している病院へと向かった。
もうお腹が大きくて足下が見えないわ。
もうすぐ、もうすぐなのね。
入院患者の中に美樹くんのような若い青年は珍しく、私たち夫婦は病院の中で目立っていた。
事情が知れ渡るにつれて同情、憐れみの視線ばかりで、息が詰まりそう。
私より美樹くんの方が何倍も辛いんだから、頑張らないと。
クリーム色のカーテンの隙間から中を覗くと、血の気のない顔色の美樹くんがベッドに横たわっていた。
思わずドキリとしてしまう。
「……みっ、美樹くん、起きてる?」
「ん……菫、ごめん、うとうとして」
「ううん、いいの。痛みは引いた?」
「……大丈夫だよ。それよりお腹の赤ちゃんは元気だった?」
彼がそっと私のお腹に手を伸ばした。
もう九ヶ月だなんて、月日が経つのは早いわ。
この子を授かったのが分かった時は、幸せの真っ只中だったのに、間もなく彼の身体が癌に蝕まれていることが発覚して、もう手術は出来ない状況だと言われて絶望した。
月単位の余命だと言われた時は、ショックで倒れた。
でも、この子はお腹の中で順調にすくすくと成長してくれた。つわりもほとんどなく、私に美樹くんと過ごす時間をプレゼントしてくれたの。
願わくは、生まれてくる赤ちゃんの顔を見て欲しい。
願わくは、一緒に子育てをして欲しい。
願わくは、私と一緒に歳を取り、生きて……
「菫……どうか樹《いつき》を頼む」
「そんなこと言わないで……」
「どうして僕が樹と名付けたと思う?」
それは……
「僕の名前の一部をプレゼントしたんだ。この子には何も残してやれない。顔すら見てやれないから……せめて……」
「そんな……そんな……不吉なことを言わないで、美樹くんは長生きするわ……病気も治って……」
怖くて震えてしまった。
美樹くんが私の手を握りしめてくれる。
点滴だらけの手で、必死に。
「ごめんよ。自分の身体のことは自分が一番よく分かっているから……伝えておかないと……今のうちに。まさか二十代でこんなことになるなんて、正直何もかも道半ばで悔しい。でも僕の子をこの世に遺していくよ。菫には負担をかけてしまうだけなので……最初は後悔したが、今は違う。お腹の赤ちゃんを……樹をどうか頼む」
「うん、任せて……この子はあなたに似て優しい男の子になるわ」
「そうだといいな。菫を幸せにしてくれるといいな」
「ぐすっ」
「泣かないで……別れ難い、離れ難い……でももうすぐ別れの予感が……」
せめて赤ちゃんの顔を見て欲しい。
そんな願いもダメなの?
せめて、せめて……
それから数週間後……
苦しみから解放され静かに息を引き取った美樹くんを見つめていた。
泣きじゃくる私を、お腹の中から樹が必死に励ましてくれたの。
何度も何度も小さな足でお腹を蹴って、知らせてくれるの。
ぼくはここにいるよ。
ママぁ、ママぁ、なかないで。
ぼくがいるよ。
ぼくがそばにいくから、まっていて。
パパのかわりにいくから。
小さな赤ちゃんの訴えが、私をなんとか生かしてくれた。
樹は美樹くんと入れ替わるように、この世に生まれてきたの。
破水から始まって、ひとりで陣痛を乗り切って、やっと会えた。
……
「いっくんはね……そんな過程をたどって37週に入ってすぐ生まれた小さな男の子だったわ」
「すみれ……話してくれてありがとう」
1月2日の朝……
槙といっくんの寝顔を見つめながら、私は美樹くんとの思い出を初めて潤くんに全て伝えた。
すると潤くんは眼を赤くして、しっかり受け止めてくれたの。
「美樹さんの無念が伝わってくるよ。オレも父を同じようなタイミングで失ったので……父の無念のようで胸に迫る。同時にオレもいっくんと同じだったんだと改めて……強く強く実感したよ」
「私たち……共感し補いあえるのね」
「あぁ」
そこでいっくんが目覚めた。
「ママぁ……もうえーんえーんしてないでしゅか」
「いっくん、もうしてないわ。パパがいるから」
「よかったぁ。あれ、パパ、えーんえーんしちゃったの?」
「あ、これは何でもないよ」
いっくんがすくっと起きて、潤くんの頭を撫でた。
「パパ、いっくんがいるからだいじょうぶだよ。なかないで」
「いっくん……ありがとう。よーし、パパと遊ぼうか」
「うん! あ、あのね、そのまえにいっくん、めーくんとおしゃべりしたいな」
「お、いいな。オレも兄さんに新年の挨拶をしたかったんだ」
「わぁ、いっくんもめーくんにするぅ」
ふふ、潤くんのブラコンはいっくんにも受け継がれたみたいね。
****
結局、一番寝相が悪かったのはくまさんだった。
くまさんが首を傾げながら……
「なんで床で寝てんだ? 身体があちこち痛いな。あれ? 足に痣まで!」
「お父さん、それはお父さんが暴れるからですよ。夜中にドタンバタンと大格闘していましたよ」
「誰とだ?」
「俺とですよ。ベッドの陣地争いで」
「はははっ。宗吾くんとか? 本能が戦いモードだったんだな」
「え?」
「相手がみーくんだったら、俺は借りてきた猫のように大人しかっただろう」
「ひどいな」
くまさんが猫??
もう二人の会話がおかしすぎて、僕とお母さんと芽生くんでお腹を抱えて笑ってしまた。
そこに天使からのコールが。
「めーくん!」
「いっくん!」
「あいたいよ-」
「ボクもだよー でんわでおしゃべりしよう!」
「する!」
可愛い、可愛い会話が今年もスタートした。
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