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HAPPY HOLIDAYS 30

「憲吾さん、じゃあ行ってきますね」 「憲吾、本当にあーちゃんとちゃた、あなた一人で大丈夫なの?」 「はは、大丈夫ですよ。ドンと任せて下さい」 「張り切っているのね」  1月2日の午後、母さんと美智が銀座のデパートの初売りに行きたいというので、私は留守番を買って出た。  仕事しか脳がない、司法に絡むことにしか興味が持てなかった私はもういない。今は、あーちゃんの作ったおままごとの料理も上手に食べられるし、ちゃたの世話だって……たぶん出来るはずだ。  母さんたちが出かけた後、まずはあーちゃんの遊び相手をした。  ちゃたはゲージの中ですやすや眠り、あーちゃんはお利口に居間の座卓でお絵描きをしてくれた。  だから少し拍子抜けし、私はその傍らで囲碁を打つことにした。  近頃、父が残してくれた碁盤に触れるのが好きになり、休日にはこんな風にゆったりと向き合うことが増えた。  この碁盤に触れると、父と対局した日々が思い出される。あの頃は気付けなかったが、父が打った手を記憶で辿ると、父の価値観や生き方が見え隠れしてくる。  学者だった父は慎重で用心深いながらも、挑戦する時は挑戦し、守る時は守ることが出来た人だった。  あの頃の私や宗吾には見えなかった、父の意志の強い背中が見えてくるようだ。 「パパぁ~ みてぇ」    思い出に浸っていると、彩芽に話しかけられた。  囲碁を打つ手はやめて、目と目を合わせた。  しっかり見ておこう。娘の成長を――  今、この瞬間は二度とないのだから。 「パパ、これ、にーによ」 「あぁ、芽生か」  ニコニコ笑顔の男の子だな。 「こっちはねマーマ」 「やさしそうだな」 「マーマ、きれー」  美智もニコニコ笑顔だ。    うん、美智は美人だ。    次々にクレヨンでカラフルな絵を描いてくれる。  夢一杯のキラキラした世界が眩しかった。  私は小さい頃から文章だらけの本を読むのが大好きで、挿絵など不要だと思っていたが、そうではないんだな。  幼い子供とも、絵があれば触れ合える。   絵を通して、心を通わすことができる。  現に芽生と美智を描いた絵には、彩芽が二人を好きな気持ちがギュッと込められていた。 「パパ、これはばぁば」 「母さん、若々しいな」 「えへへ、だいしゅき」 「そうかそうか」  そこで急に不安になった。  私の絵だけないのは、何故だろう?  私はやっぱりむっつりしていて怖いのだろうか。  おそるおそる聞いてみる。 「あーちゃん、ところで……その、パパの絵はないのかな?」 「あ! あのね」 「ん?」  彩芽がモジモジしながら差し出してくれたのは四つ折りにした画用紙だった。 「パパはとくべちゅよ、これどーじょ、ちゅ!」  渡された画用紙にはピンクのハートが描かれており、そして頬にキスをされた。  デレデレ、デレデレ。  そんな効果音が聞こえてきそうな程、嬉しかった。 「あーちゃん、ありがとう。私は……いや、パパはうれしい!」 「えへへ、あ、ちゃたうんちー」 「えっ」  いつの間にか起きたのか。  ちゃたがゲージのトイレに、大量のうんちをしていた。 「わぁ! 待て待て踏むなー ティッシュはどこだ? お尻ふきはどこだー!」  普段は母さんか美智が世話しているので、私は大慌てだ。  必死の思いでゲージを綺麗にして戻すと、ちゃたがぴょんっと私の膝に乗ってきた。    ふんわりと軽く温かい温もり。 「おぉ!」    そして私の頬をペロペロと舐めてくれた。  今日の私はモテモテだ。  こんなことは滅多にないので、またデレデレだ。 「パパ、あーちゃもちゅする~」 「ははっ、くすぐったいな」  ちゃたはそのまま私の手を一生懸命ペロペロと舐めてくれた。    心がぽかぽかだ。  可愛い娘と、可愛いちゃた  本を読むだけでは感じられない、温もりが日常には沢山あるのだな。 「よしよし、いい子だな」 「パパぁ、しゅきしゅき」 「くぅーん」  真っ直ぐな愛情を受ければ、心は整い、素直になる。  この年齢になっても、その気になれば、まだまだ変化できる。  心は柔軟だ。  歳を重ねた身体でも、心はどこまでも柔らかくなれる。 ****  僕は赤い帽子を膝上に置いて、ずっと握りしめていた。 「瑞樹、そんなに気に入ってくれたのね」 「あの……お母さん……どうしてこれを? どうして赤いニット帽を編んでくれたのですか」  聞かずにはいられないよ。  「えっとね、くまさんに聞いたのよ……生前、瑞樹のお母さんがあなたに赤い帽子を編む予定だったことを」 「あぁ……からだったのですね。そうか……くまさんにも話していたんだ」 「え? 瑞樹にも話していたの?」 「うん……赤い毛糸を沢山買って来た日のことを思い出したよ。今度は赤い帽子を編んであげると言われて、『赤なんて、はずかしいよ』と答えると『赤は大切な色よ。ママがあなたを大好きっていうサインなのよ。だから赤い帽子を編ませてね』と言ってくれたんだ」  話すと思い出す、赤い毛玉を頬にあてられ、『あら、瑞樹のほっぺ色ね』と優しく抱きしめてもらった日のことを。  密かに出来上がりを楽しみにしていたが、永遠に叶うことがない約束だったことも。  だからこそ嬉しい。  諦めていたものが、過去を乗り越え僕の元に飛び込んできた。  それが叶ったのは……  今、僕を愛してくれる人が傍にいるから。

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