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HAPPY HOLIDAYS 31
「お母さん、やっぱり帰りましょう」
「あら、どうして?」
「あの実は……さっきから憲吾さんのことが気になって」
デパートのお好み食堂の座席に座った途端、美智さんの顔色が青ざめた。
「憲吾?」
「はい、憲吾さんに、彩芽とちゃたのこと、一方的にお願いしてしまって」
あらやだ。
美智さんにそんな気を遣わせるなんて、申し訳ない気持ちになるわ。
確かに以前の憲吾なら、今頃おかんむりかもしれないわね。
でも今の憲吾なら、絶対に大丈夫よ。
それは私のお墨付きよ。
「一方的なんかじゃないわ。今頃きっと、可愛い娘とちゃたに懐かれてデレデレよ」
「……そうでしょうか」
「そうよ! むしろツンデレなあの子が気兼ねなくデレられる機会をプレゼントしたのよ。でも、気になるのなら一度電話をしてみたら?」
「そうですね」
電話をすると、憲吾の上機嫌な声が聞こえてきた。
ほらね、言った通りでしょう。
「お母さん、憲吾さん、人が変わったみたいですね。もっとゆっくりしていいだなんて」
「そうね憲吾も宗吾も、昔はそれぞれ別の方向に心をこじらせていたけれど、根っこは優しい子たちなのよ」
「あ、それは分かります。憲吾さんの場合は銀縁眼鏡の奥の瞳がとても優しそうだなって思って……今風だとギャップ萌えというのかしら? それが好きになったきっかけです。って、きゃー 私ってば何をのろけて」
「ふふ、うれしいわ。そういう話も今年はもっとしましょうよ。私たち女同士で」
「はい。お義母さん……あの、いつもありがとうございます」
「私も嬉しいわ。あなたとぐっと仲良くなれて」
「……お母さん」
「みちちゃんって呼んでもいいかしら」
「はい、古くからの友人は皆そう呼んでくれます」
母と娘っていいわね。
可愛い洋服や雑貨、美味しそうな物を心置きなく見られるわ。
一緒に探せるのって、楽しいわね。
お店の前で急に立ち止まっても、Uターンしても怒られないしね。
****
「みーくん、そろそと寝ないと」
「えっ、でも……まだ大丈夫ですよ」
「いんや、みーくんは小さい頃、よく風邪をぶり返していたんだ。だから油断は禁物だぞ」
「そうだったかな? 実は……あまり覚えていなくて」
正直に言うと、僕の記憶は相変わらず曖昧でおぼろげだ。最近過去の優しい思い出が突然蘇ることが多いが、相変わらず悲しい思い出は心の奥底に沈めたままだ。
「いいんだよ。無理して思い出すな。日中、雪だるま作りで疲れたのだろう。だから今日はもう眠ること。それに明日は広樹がやってくるから体調を整えておかないと遊べないぞ」
「お兄ちゃんが……そうだった! 僕、もう寝ます」
「よーし、いい子だ」
僕は小さな子供みたいにくまさんのお父さんに寝付かしてもらい、照れくさかった。するとその様子を見ていた宗吾さんが、嬉々とした表情で隣のベッドに潜り込んできた。
「お父さん~ 俺も寝付かせてくださいよ、あぶぶ」
「ははっ、宗吾くんは相変わらず面白いな」
「おじーちゃん、ボクがパパのめんどうはみます」
「芽生~ 俺はまだ面倒を見られるほど老けてないぞー」
「くすっ、3人とももう寝ましょう」
「おぅ」
「はーい」
宗吾さんはムードメーカーだ。
場を明るく照らしてくれる人。
それが宗吾さんのチャームポイントだ。
その夜、僕は夏樹の夢を見た。
小さな夏樹が本を読んでいる僕の元にやってくる夢を――
……
「おにいちゃん、おかぜなおった? ごほんとじて、おんもであーそーぼ!」
「あ……夏樹、ごめん、僕、まだ完全に治ってなくて……」
まだ咳が取れないので、今日はお部屋でゆっくりするようにお母さんから言われていた。だからそれを守ろうと思っていた。
「えっー ダメなの?」
「ごめんね」
「じゃあ……ひとりであそぶもん」
「えっ……」
夏樹が突然走り出し外に飛び出したので、ガウンを羽織って追いかけた。
「夏樹、待って、待ってよ。そっちは森だよ。ひとりで行ったら駄目だよ」
「だいじょうぶだよ」
森には沼や崖があって危ないから、子供だけで入ったら絶対にダメだって言われている。学校でも家庭でも――
「わぁ、きれいなとりさんがいるよ」
「待って、待って!」
夏樹の姿が見えなくなりそうだったので、僕も意を決して森に入った。
本当はイケナイコト。
でもシカタガナイコトだ。
「夏樹、待って!」
「あ、おにいちゃんもきてくれたの? わーい! いっしょにあそぼう。たんけんごっこがいい」
夏樹が満面の笑みで僕に抱きついてくれるのは、やっぱりうれしかった。
「しょうがないなぁ……少しだけだよ」
「うん! 」
二人で手を繋いで森を歩いた。
木々が生い茂った森は、昼間なのに薄暗くて迷子になりそう。
こわい、どうしよう。
そもそも僕たちどこから来たんだっけ?
どうやって帰ったらいいのかな?
頭の中でぐるぐるしていると、また夏樹が駆け出した。
「あっち、ひかりがキラキラしていてきれい! わぁ!」
その瞬間、夏樹の身体が足下から沈んだので、慌てて手を引っ張った。
「お、おにいちゃん、こわいよ」
「大丈夫だ、お兄ちゃんつかまって」
どんどん身体が沈んでいく。
これは沼の一部なのかな?
大変だ!
どうしよう、こわい、こわいよ!
泣き叫びそうになった時、沈みそうな身体をぐいっと力強く引き上げてくれる人がいた。
「瑞樹、夏樹、無事か……無事で良かった!」
「お父さん! お父さん! もういないと思っていた……もうここには……いないと思っていたよ」
僕はお父さんにしがみつけて、ワンワン泣いた。
*****
「お父さん! お父さん! お父さん!」
はっと飛び起きると、寝汗をかいていた。
「……全部夢だったのか……」
喉がすごく渇いていた。
僕、今……もしかして叫んだ? お父さんと……
すると隣りのベッドで眠っていた宗吾さんがムクッと起き上がり、僕のベッドにやってきてくれた。
「瑞樹、怖い夢を見たのか」
「あ……あの……」
「大丈夫だ、大丈夫だ。とにかく無事で良かった」
「あ……」
「風邪……ぶり返してないか」
「あ……はい、大丈夫みたいです。宗吾さんが来てくれたから」
「そうか、良かったよ」
お父さんはもういないけれども、僕には宗吾さんがいる。
僕は……僕を損得なしに助けてくれる人と巡り逢えた。
「宗吾さん、好きです」
「どうした? 急に……」
「恋しくて……」
「俺もだよ。いつも恋しい人、それが君なんだ」
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