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冬から春へ 18

「……朝が来た」  無事に朝がやって来てくれた。  いつもと変わらない目映く希望に溢れた朝日を浴び、オレは安堵のため息をついた。 「ふぅ……良かった」  昨日は仕事が早く終わり、いっくんを保育園に迎えに行った。いつものようにオレを見つけると「パパ~ あいたかった」とすっ飛んできてくれる可愛い息子と手を繋いで、仲良く家路に就いた。  アパートに戻れば、可愛い妻のすみれと槙がお腹を空かせて待っている。今日の夕飯は何だろう? 家族揃って賑やかな食卓になるだろう。  なんて気軽に考えていたのに、アパートの1階の窓から燃え上がる炎に呆然とした。  まさかオレのアパートが火事になるなんて――  まさか全焼して跡形もなくなってしまうなんて。  すべての家財を失ってしまった。  何もかも灰になってしまった。  人生は想定外のことばかりだ。  昔のオレだったら、その時点で「またかよ。どうせオレなんて」と自暴自棄になってしまっただろう。  高校に行かせてもらっても、何もしたいこともすべきことも見つからず……いや、見つけようともせず、悪い奴らとつるんで遊び歩き、嫌なことがあれば母や兄たちにあたっって、部屋の壁にボコボコと穴を開けて暴れた。  何もかも持て余していた。  そいつらに誘われてなんとなく地元の小さな工事現場で働くようになり、タバコと酒に溺れて、このまま屑になって朽ち果てていくのがオレの人生だと決めつけて過ごしていた。  だが、あの頃とはもう違う。  今のオレには、可愛い妻のすみれと、可愛い息子たち、いっくんと槙がいる。    守りたい家族がいる。  そして、火事のニュースで駆けつけてくれた宗吾さんと瑞樹兄さん。北海道から心配してくれた父さんと母さん、広樹兄さんがいる。  オレはもうひとりじゃない。  オレが守りたい人もいるし、オレを守ってくれる人もいる。 「……生きていて良かった」  そう呟くと、背中にふんわりとした柔らかい温もりを感じた。 「すみれ? もう起きたのか」 「うん……潤くん……私たち生きて朝を迎えられて……本当に良かったわね」 「あぁ、死はとても恐いものだった。火事の最中に思ったのは……恐い、死にたくない……生きたいだった」  素直な気持ちを置くと、すみれも頷いてくれた。 「私も同じよ。美樹くんとのお別れの時に身近な死に直面し、恐かったわ。でも昨日我が身に降りかかった災難は別物だったの。私は私の命が惜しかった。もっと生きたい、死ぬのは恐い、死にたくない……心の底からいろんなことをぐちゃぐちゃに願ったわ。あの日……美樹くんもこんな気持ちだったのかもしれないと思うと……私……」  オレは向きを変えて、すみれを抱きしめた。  ほっそりとしたすみれの身体はオレの中に埋もれていく。 「オレも美樹さんの気持ちに少し寄り添えた。彼がどんな思いですみれといっくんを置いて逝かなくてはいけなかったか……悔しさも悲しさも……ここに伝わってきたよ」  胸を押さえて訴えると、すみれが泣きそうな顔をした。 「潤くん……」 「オレたち、一生懸命生きよう! 美樹さんの分も懸命に」 「うん、うん……そうしましょう」  お互いに唇を寄せ合って、愛を込めて口づけをしあった。  そうか……  不安な気持ちは、こうやって分け合えばいいのか。  兄さん……  兄さんもいつもこんな風に宗吾さんと分け合っているのか。  宗吾さんは、兄さんの哀しみを救ってくれるんだな。  そう思うと、兄さんに宗吾さんという心強いパートーナーがいてくれるのが、本当に嬉しくなっった。 「すみれ、しばらく東京で待っていて欲しい。瑞樹兄さんと宗吾さんは……オレが心から信頼できる人だ。あそこならオレも安心できる」 「うん、お言葉に甘えて、そうしようと思ってるの。私の両親を頼っても負担をかけるだけだし、兄弟には厄介だと思われているから……心から心配して駆けつけてくれた瑞樹くんと宗吾さんの元に身を寄せたいの。潤くんを残していくのが不安だけど……」  すみれがそっとオレの頬を撫でてくれる。  髭も剃ってないからチクチクするだろうに……  優しく頬を撫でて、微笑んでくれる。 「待ってるから、迎えに来てね」 「あぁ、必ず迎えに行くよ! オレたちの新しい家の目処を立てて迎えに行くから」 「……ずっと傍にいられなくてごめんなさい」 「馬鹿、謝るな。オレがそうして欲しいんだ」 「うん……うん」  かつて……  あの事件の後、兄さんは一旦函館に戻り、生まれ故郷である大沼で療養生活を送った。  あの頃のオレは……遠くからそっと……傷付いた兄さんの心と身体の回復を祈り見守ることしか出来なかった。  これはオレに与えられた試練だ。  オレの家族はオレの手で守る。    新しいスタートを切るために、しばらく家族と離れて暮らす。  迎えにいく日のために、踏ん張る!   ****  宗吾さんの車のトランクには、芽生くんが赤ちゃんの時に使っていた乳児用ベビーシートがまだ入っていた。いっくんには芽生君が今使っているチャイルドシートを利用出来るので準備万端だ。  宗吾さんの車に3人を乗せて、僕たちは出発の準備を整えた。 「じゃあそろそろ出発するぞ」 「兄さん、宗吾さん、オレの家族をよろしくお願いします」 「あぁ、潤、手筈が整ったら迎えに来てくれ」 「じゅーん、頑張って! 兄さん応援しているよ」  潤だけを残すのは心残りだったが、今の潤なら乗り越えられる。    そう思えるから、こうするんだ。 「潤、可愛い僕の弟。潤の大事な家族を預からせてくれてありがとう」 「兄さん、宜しくお願いします」  僕たちは少しの間、離れる。  だがそれは永遠ではない。  最善の方向へ進むためのステップなんだ。  離れること、別れることがずっと怖かった僕は、また一つ大切なことを学んだ。  

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