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冬から春へ 21

 僕たちの車は渋滞に巻き込まれることもなく順調だった。    この分だと、お昼過ぎには中目黒に着けそうだ。 「瑞樹、雪道は抜けた。ここからは俺に任せろ」 「はい、お願いします」  僕は途中で宗吾さんに運転を代わってもらい、車のシートに深くもたれた。    ほっとため息をひとつ。  怒濤のような日々も、必ず落ち着く。    今日は、そのためのスタートの日なんだ。  頑張ろう!    自分自身の胸に手を当てて、そっと鼓舞した。  美女木JCTを通過し首都高に入ると、菫さんが窓の外を目を細めて見つめた。    都心の高層ビル群に囲まれた道路は無機質だが、菫さんの瞳には懐かしさがこみ上げているように見えた。 「あの……失礼ですが、菫さんは東京で暮らしたことが?」 「あ……そうなの。少しの間だけど、就職先の新人研修で三ヶ月ほど滞在したことがあって」  宗吾さんも会話に加わる。 「なるほど、じゃあその時東銀座のテーラーの桐生大河さんと知り合ったのですか」 「はい、会社の先輩だったんです。私の教育係ですごくお世話になって……美樹くんとの駆け落ちのような結婚も応援してくれて」 「そんな縁で知り合ったのか」 「えぇ、東京滞在中に先輩に会いに行きたいと思っています」 「では案内しますよ。銀座は俺たちのテリトリーだ。なっ、瑞樹」 「あ、はい」 「それは助かります」 『テーラー桐生』  そこは結婚式のスーツを作る時にお世話になり、それ以降も時折通っているお店だ。  僕も久しぶりに彼らに会いたくなった。  地下のBARはとても居心地が良いし、何より大河さんと蓮さんの関係に惹かれている。 「あの……菫さんは大河さんの弟さんに会ったことがあるのですか」 「えぇ、軽井沢までバイク便で来てくれたことがあって、彼、スカッとかっこいいクールな青年ですよね。大河先輩と真逆で驚いたわ」 「くすっ、確かに」  和やかな会話をしながら、首都高を降りた。いつもは渋滞で大変な道も今日は僕たちの味方なのかスムーズで助かった。    疲れ果てた菫さん、幼いいっくんとまきくんに、これ以上の負担はかけたくなかったから。 「ここを降りたら、もうすぐですよ」 「あの……今回はお世話になります。本当に何から何まで……頼りっぱなしで」 「いやいや、困った時はお互い様ですよ」 「『お互いさま』って何度聞いても良いですね。私はずっとそんな風に言い合える友人もいなくて、孤独に耐えて……」  菫さんの気持ちに、僕はそっと寄り添った。 「分かります。そして……だんだん孤独に慣れてしまうことも分かりますよ」 「ありがとう。私は自分の首を自分で絞めていたのにも気付かずに……」 「それも分かります。でも大切な出逢いがすべてを開放してくれましたね」 「えぇ、潤くんと巡り逢えて、世界がガラッとりました」 「それも全部分かります。僕は宗吾さんさんとの出逢いがすべての始まりでした」 「瑞樹くんと私って、どこか似ていますね」 「同感です」  僕はコクンと頷いた。  菫さんの未来は明るい。  だって僕が宗吾さんと出会ったように、菫さんには潤がついている。  僕の自慢の弟の潤は、行動力があって、優しく頼り甲斐のある男だ。 「瑞樹くんを見ていると、自分に自信が持てるわ。自分を信じられるようになると言うのかしら」 「そんな……僕はそんなたいそうな人間では……」 「あなたは『信じる心』を強く持っているから……私も今回の騒動で強く学びました。いっくんから『ママ、パパをしんじよう!』って言われた時、雷に打たれたような心地でした」 「信じるって、幸せになるためにとても大切なことなんですね」 「はい、潤くんが必ず迎えに来てくれると信じているので、私は待てます」 「潤は必ず迎えにきます」  あの日の宗吾さんのように、息を切らせて駆けつけてくれるだろう。    あの日の宗吾さんのように、突然やってくる。  きっときっと……  春風に乗って、潤はやってくる。  そんな光景が目を閉じると自然と浮かぶんだ。 「信じられます。瑞樹くんのことも、宗吾さんのことも……全部信じています」 「ありがとうございます」  信じてもらえるって、とても素敵なことだ。  僕が運転中に、宗吾さんが交わしたお母さんの会話を思い出した。 …… 「母さん、道が順調なので昼過ぎには着けそうです。そちらも順調ですか」 「私一人では大した事は出来なかったけど、美智さんと力を合わせたらバッチリお迎えの準備が整ったわ。楽しみにしていて」 「流石、俺の母さんだ」 「ふふっ、お母さんは魔法使いだもの」 「ははっ、本当にそうですね」 ……  素敵だ。  一人では出来ないことも助け合うことで可能になるって、素敵なことだ。 「さぁ、着きましたよ。いっくん起こしますか」 「えぇ、いっくん、芽生くんのお家に着いたわよ」  いっくんは菫さんにもたれてスヤスヤと眠っていたが、ぴょんと飛び起きた。 「ちゅいたの? いっくん、もう、めーくんにあえるの?」 「ええっと、芽生くんは小学校に行っているから夕方になったらね」 「わぁ……いっくん、いいこにまってる。めーくんのおうちで」 「えーん、えーん」  わわっ、まきくんはお腹が空いたようで、ぐずぐずになっていた。    一気に車中が賑やかになる。 「まき、お腹空いちゃったのね。ちょっと間ってね」 「すぐに部屋に行きましょう。俺の母が昼飯の準備などしてくれているので」 「何から何まで……ありがとうございます」  部屋の扉を開けると、白い割烹着姿のお母さんが出迎えてくれた。 「お帰りなさい! みんな、お疲れ様だったわね」  あぁ、なんて、なんてほっとする光景なのか。 「……ただいま、お母さん」 「瑞樹、頑張ったわね。宗吾から聞いたわ。すごく頑張ったって、本当にあなたは頑張り屋さんのいい子ね」 「お母さん」  今の僕には手放しで褒めてくれる人がいる。  宗吾さんのお母さんは、そういう人だ。  もう、すっかり僕のお母さんだ。 「さぁお入りなさい。えっと私は宗吾の母よ。東京に滞在中は何でも頼ってね。菫さんとは女同士仲良くしましょうね」 「お世話になります。本当に……本当に助かりました。昨日持たせて下さった衣類もベビーフードも重宝しました」 「良かったわ。困った時はお互い様よ」  宗吾さんのお母さんは、宗吾さんのお母さんだなぁと思う瞬間だ。    宗吾さんのおおらかな明るさは、全部このお母さんから受け続いたもの。  そう思うと、感謝せずにはいられない。 「えっとね、芽生の部屋を菫さんたちが泊まれるようにしておいたわ」 「ありがとうございます」 「さぁ、あなたたちお腹ペコペコでしょう。おにぎりとお味噌汁と卵焼きを作っておいたのよ。まずは腹ごしらえしないとね」 「あ、嬉しいです」  僕の大好きなお母さんの卵焼きを、まさか、このタイミングで食べられるとは。  疲れ果てた時に無性に食べたくなるのは、ほっこりと優しい味のもの。  人の手を介した温かい食事は、疲れた心と身体を癒やしてくれる。 「瑞樹には卵焼き増量よ。芽生がそうしてあげてって」 「芽生くんがそんなことを?」 「芽生は優しい子に育っているわ。全部瑞樹……あなたのおかげよ。何度も言うけど、あなたで良かった」  優しい言葉に、僕は今日も満ちていく――

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