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冬から春へ 22

「おじさん、えっとね……えっと……ここで大丈夫だよ」 「いや、ちゃんと門まで見送るよ。先生にもきちんと挨拶せねば」 「ええっと……」 「ん? どうした?」  おじさんに顔をのぞき込まれて困っちゃった。    ボクは子供だから、大人のおじさんの言うことは聞かないといけないよね。    でも…… 「芽生……おじさんに教えてくれないか。芽生の気持ち……おじさんはまだ不慣れで、瑞樹みたいに察してやれなくて悪いな。やっぱりまだまだだな」  大変! おじさんがしょんぼりしちゃったよ。    そうか、ちゃんと気持ちを伝えないといけないときもあるんだね。    かくしてばかりだと、もっと大変になっちゃうんだね。 「そんなことないよ。おばあちゃんちから学校まで、ひとりで歩くのこわかったからうれしかったんだ。あのね、ボクはもう3年生だからね……その……ちょっと……はずかしくて」  ちゃんと言えた! ボクの気持ち。 「なるほど、3年生になると、そういうものなのか。勉強になるな」 「えっと……だから、おじさん、ここからボクが門をくぐるのを見ていてね」 「あぁ、そうしよう。さぁ行きなさい」 「うん!」  ボクはおじさんに見守られて、歩き出したよ。  少しくすぐったくて、少し大人になった気分だよ。  門の前でもう一度振り返ると、おじさんがピンと背筋を伸ばして立っていたよ。  ボクと目が合うと、眼鏡のはじっこをつまんで、はずかしそうに小さく手をあげてくれた。  おじさん、ボクが子供だからって決めつけないで、ちゃんと話を聞いてくれてありがとう。  パパから、おじさんは『人と人が仲良くやっていくための、むずかしいお仕事』をしているって聞いたよ。  ボクもおじさんみたいなお仕事につきたいな。    だって、とても大切なことだもん。  下駄箱でうわばきをはいていると、いつも朝、道で会うお友達がやってきたよ。 「メイー おはよう! 今日はいなかったけど、どうしたんだ?」 「あ、うん、昨日はおばあちゃん家にお泊まりしたんだ」 「そっか。あ……メイんちってさ、お母さんがいないから、やっぱり大変なんだな」 「え?」 「だってさ、昨日そこ、こわれちゃったのに、今日もそのまんまじゃん」 「あっ」  昨日、コートのファスナーがこわれちゃったんだ。  お友達にも見られちゃった。  でも、昨日は潤くんのお家が火事で、みんな忙しそうだったから、こわれたの見つからないようにしてんだ。  ボクが気付かれないようにしたんだから、しょうがないんだ。  そっか……    お友達には『ママがいないから大変』って思われているんだね。  なんだかそんな風に見られていたのかなって思うと、ちょっとさみしいな。  もうなれたけど、今日はちょっとチクチクするよ。  ボクにママがいないのは本当のことだよ。だけどね、ボクにはお兄ちゃんもパパ、おばあちゃんもおじさんもおばさんも、みんないるからだいじょうぶだもん。 「……今日なおしてもらうから、大丈夫だよ」 「ふーん」 「……たぶん……」  ファスナーこわれたの、はじめてなんだ。  ボク、らんぼうに開け閉めしてたから、こわしちゃったんだ。  おこられちゃうかな。  なおすのむずかしそうだよね。  どうしよう?    あ……また胸がチクチクしてきたよ。 「あら、メイくん、少し顔色は悪いわね。熱はないみたいだけど……保健室に行く?」 「ううん、大丈夫だよ」 「今日は放課後スクールはやめて帰った方がいいんじゃない? お家の人に連絡する?」 「ううん、大丈夫だよ」  みんな大変なんだよ。  心配かけたくないよ。  そんな気持ちで、5時間目が終わるまでがんばったよ。  おわりの会の後、放課後スクールの教室に行こうとしたら、声がしたよ。  ボクが今、とても聞きたかった声が…… 「芽生くん、今日は行かなくていいんだよ」  優しい声、優しいお顔。  大好きなお兄ちゃんが迎えに来てくれたよ。  まだ三時なのに…… 「どうして?」 「今日は会社を休んだんだよ。だから……一刻も早く芽生くんに逢いたくて迎えに来てしまったんだけど……よかったかな?」 「よかった!」  会いたかったよ。  すごく会いたかったよ。  お兄ちゃんがそのままボクの前にしゃがんだよ。 「あれ……もしかしてファスナー壊れちゃった?」 「あ……うん……ごめんなさい」 「大丈夫だよ」 「なおすの……すごく……むずかしいよね?」 「うーん、僕には難しいけど、きっと菫さんなら」  今、すみれさんって言った? 「すみれさんって、いっくんのママ?」 「そうだよね」 「だって軽井沢にいるのに……遠いよ」 「今日は僕たちの家にいるよ」 「え? え? もしかしていっくんもいるの?」 「うん、しばらく僕たちの家で過ごすことになって。事後報告になってしまうけど、芽生くんのお部屋を貸してあげてもいいかな?」 「わぁ、わぁ、もちろんだよ。夢みたい」 「いっくんが待ってるよ。さぁ帰ろう」 「うん!」  お兄ちゃんは魔法使い。  ボクの気持ちをぐーんと持ち上げてくれるよ。 「芽生くん、昨日はありがとう。今日からはまたずっと一緒だよ」 「うん! 信じてたよ」 「信じてくれてありがとう」  もう三年生だから一人で行けるって、朝はおじさんに言えたのに……  ボク、お兄ちゃんの前では、まだまだ赤ちゃんみたいだ。 「それでいいんだよ。どんな芽生くんも好きだよ」  まるでボクの心の中をのぞいたみたいな言葉にほっとしたよ。 「ありがとう。お兄ちゃん……だから好き」 「こちらこそ、ありがとう」  もう胸はチクチクしないよ。  お腹もいたくないよ。  今は、ワクワクしてる。    もうすぐいっくんに会えるから!

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