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冬から春へ 23
お母さんが用意してくれた昼食は、お腹だけでなく心も満たしてくれた。
お母さんの卵焼きは、いつもほんのり甘くて美味しい。
この味はお母さんの手作りの味。
僕の大好きな……お母さんの味だ。
だから一口一口噛みしめた。
今日、これをいただけると思っていなかったから、幸せだ。
「菫さん、何か困ったことがあったらいつでも言ってね。息子の宗吾と瑞樹はきっとあなたたち家族の役に立つわ。それに芽生はいっくんのお兄ちゃんとして頑張ると思うから」
「はい。頼りにしています。潤くんのお兄さんのご家族に何から何までお世話になって……本当にありがとうございます。暖かい住まいを提供していただけるだけで充分なのに、こんなに良くしていただけて幸せです」
菫さんが丁寧にお礼を述べると、お母さんは優しい笑みを浮かべていた。
「娘がもう一人出来た気分よ。あのね……瑞樹の周りには優しい人が沢山で……だから私も優しくなりたいのかもしれないわ。それから、これは年寄りが好きでやっていることなので遠慮しないでね」
「本当にありがとうございます」
その後、すみれさんはまきくんはお昼寝させるために子供部屋に入った。
保育園で普段は過ごしているいっくんも眠そうに目を擦っていたので、一緒に眠った方がいいかも。
菫さんもそれに気づき、いっくんを抱き寄せた。
「いっくんも少しママと眠ろうね」
「えぇっ、いっくん、めーくんにあうまで、おきてまってるよぅ」
「でも、さっきから欠伸ばかりしているし、目を擦って眠そうよ」
「ううん……ねむたいけどぉ、がんばるもん」
「いっくん、今、眠っておけば、芽生くんが帰ってから沢山遊べるわよ」
「あ……いっくん、やっぱりねんねしゅる」
流石ママだな。
優しく誘導して……いっくんも素直に言うことを聞いてくれそうだ。
まだまだあどけない、いっくん。
昨夜、火災を目の当たりにしてしまい、君の小さな心がどんなに傷ついか。
傷はここでしっかり癒やすといい。
しっかり癒やせば、後からじくじくと疼いたりしないから。
「さぁ、ゆっくり休みなさい。今はね、皆に甘えて休んでいいのよ。不安なことは私たちが全部サポートするから大丈夫。あなたたちはもう何も怖くないのよ。ここは安全よ」
あぁ、僕はお母さんの言葉が好きだ。
心の負担を軽くしてくれる。
そうだ……
最初からお母さんは僕の気持ちに寄り添ってくれた。
あの日、玲子さんに呼び出されて、いきなり珈琲を浴びて泣きそうだった僕の心を救ってくれた人。
見ず知らずの僕の心に降り出したどしゃぶりの雨に、傘をスッと差してくれた人。
お母さんは心の恩人だ。
人は優しくされると優しくなれる。
僕たちが生きる世界には小さな優しさで溢れていることを、お母さんを通して沢山教えてもらった。
思いがけず優しい言葉をかけてもらった時。
同僚がさっと気遣ってくれた時。
急なハプニング時に、見知らぬ人が助けてくれた時。
店員さんが親切だった時。
本当に日常生活には小さな優しさが溢れている。
優しくされると、辛いことも乗り越えられる。心がぽかぽかになる。
だから些細な優しさに感謝して過ごしたい。
「瑞樹、私はそろそろ帰るわね。いい? あなたもちゃんと休むこと。瑞樹は無理しやすいから心配なのよ」
「はい、家に帰ってきたので、ほっとしています。ちゃんと休みます。あの……芽生くんもきっと不安な夜だったのでは……あぁ、一刻も早く会いたいです」
思わずほろりと本音を漏らすと、お母さんが教えてくれた。
「あなたちは今日はもう仕事は休むのよね。だったら芽生は放課後スクールに行かなくてもいいのかしら? 朝はどうなるか分からなかったから、行く予定で家を出したけれども」
「あっ……」
僕はハッとした。
宗吾さんはそんな僕を見つめ、大きくコクンと頷いてくれた。
「あの……いいですか」
「あぁ、もちろんさ! 芽生を迎えに行ってきてくれるか」
「あ……はい、でも……あの……僕で良いのですか」
「当たり前だよ! 君が行ったら喜ぶさ」
宗吾さんの言葉に背中を押され、僕は家を出た。
お昼過ぎに軽井沢から東京に戻り、昼食を食べて部屋を片付けていたら、もう芽生くんの下校時間になっていた。
普段ならこのまま19時まで放課後スクールで過ごすが、今日は早く家に帰ってきて欲しい。
いっくんが会いたがっているのもあるが、僕が芽生くん不足なんだよ。
滝沢チームはいつも一緒だ。
今、出来ることがあるのなら、したい。
小学校に到着すると、丁度、下校の列と放課後スクールに向かう列が出来ていた。
すぐに放課後スクールの列に芽生くんを見つけた。
でも芽生くんは僕には気付かず俯いている。
少し違和感を感じて様子を伺うと、小さな手でコートの裾を不自然に押さえていた。
何かあったようだ。
芽生くんの心に雨が降っている。
しとしと……芽生くんの心を濡らす雨が降っている。
心を研ぎ澄まして芽生くんの手元をもう一度見て、僕は気付いた。
あ……コートのファスナー外れてしまったのか。
すぐに気付いてあげられなくてごめん。
もしかして昨日からだったのかも。
優しい芽生くんだから、昨日の騒動を気遣って黙っていたような気がした。
僕が君の心に傘を差すよ。
あの日お母さ傘を傾けてくれたように、僕は芽生くんの元に歩み寄った。
芽生くん、泣かないで。
大丈夫だよ、きっとなんとかなるよ。
芽生くん、会いたかったよ。
「芽生くんに早く会いたくて、お兄ちゃん来ちゃった」
どうか僕の言葉に力を――
芽生くんに笑顔の花を咲かせて下さい。
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