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冬から春へ 29

「潤と二人で買い物をするのは久しぶりね」 「そうだな。あの軽井沢以来かも? あの時さ、母さんとすみれの店に行かなかったら、今のオレはいないよ。そう考えるとご縁ってすごいな」 「あら? そっか、もしかして私が潤と菫さんの恋のキューピットなの? ふふっ、一度やってみたかったのよね~ ふふっ」  母さんが朗らかに笑う姿が眩しかった。    父さんが亡くなってから、乳飲み子のオレを抱えて死に物狂いだったろう。笑う暇なんてなかったよな。  三人の男の子を女手一つで育てるのは至難の業だ。一人だけでも大変なのに、母さんはすごい。    オレはその事に気付かずちゃらんぽらんに過ごしていたが、広樹兄さんと瑞樹兄さんは家の事情を踏まえて、いつも一歩引いていた。それをオレは遠慮ばかりしてつまらない奴とレッテルを張って、我が儘放題に何でも欲しがった。  オレのせいで、兄さんたちが諦めたものは数知れず。 「潤、過去はもう振り向かなくていいのよ。母さんはあなたの今を見てるわ」 「母さん、ありがとう」 「さぁ、下着や靴下は自分で選んでいらっしゃい、流石に母さんも恥ずかしいわ」 「あ、あぁ」 「私はいっくんのお洋服を見ているわ」  当面の肌着類を買って戻ると、母さんは子供服売り場の店員さんと楽しそうに話していた。  ポカポカと明るい笑顔を振りまいて、タンポポ畑みたいな母さん。  店の名前は『Honey Bear』となっていた。  蜂蜜と熊だって?  お父さんみたいな名前だな。  あぁ、きっとだからなのか。  母さんは少女みたいに頬を上気させていた。 「母さん、お待たせ」 「あ、潤、これどうかしら?」  クリームイエローのセーターにクマの刺繍がしてある。 「かわいいな。いっくんが喜ぶのが目に浮かぶよ」 「でしょ。これ、大人サイズもあるんですって。だから潤にも買ってあげるわ」 「ええっ? オレには似合わないよ」 「大丈夫、大人は蜂蜜のワンポイントよ」 「へぇ」 「親子で並ぶと完成なんですって」 「いいな! すごくいい。欲しい!」  思わず叫ぶと、母さんに笑われた。 「ふふっ、潤のいい笑顔、見られたわ」 「だいぶ気持ちが落ち着いたよ」 「よかった。いっくんと潤は、離れていても心が通じ合っているから大丈夫。でも離れ離れはお互いに寂しいわよね。だからまた一緒に並べる日が来るように、このセーターに願掛けするわね。母さん、そうなるように強く願っているわ」  母さんは「頑張って」という言葉は使わず『願う』と言ってくれた。  そうか……  世の中には頑張っても頑張っても、どうにもならないことがある。  でも本当に叶えたい強い願いは力となる。 「母さんも、オレたちの健やかな成長を強く深く願ってくれていたんだな」 「そうよ。一番の願いだったもの。子は宝よ」 「ありがとう、オレ、大切に育ててもらったんだな」  大人になって話せることがある。    大人になって気付けることがある。    だからこそ、今通り過ぎてきた道に感謝しよう。  オレは勝手に大人になったわけじゃない。  いろんな人に手をかけてもらったんだ。  今度はオレが返していく番だ。 ****  芽生くんの温もりを感じながら眠りに就いた。  宝物のような日々。  小さな温もりに心癒やされ、大きな温もりに愛を感じる毎日だ。  翌日、目を覚ますと不思議な感じがした。  なんだろう?  幸せが増したような……?    すると宗吾さんの声がした。 「わっ、これは大変だ!」 「宗吾さん、どうしました?」 「瑞樹、これを見てくれ」  僕と宗吾さんの間には、芽生くんがすやすや眠っていた。  そして芽生くんにくっつくように、いっくんが可愛く眠っていた。 「あっ、いっくん」 「いつの間に来たんだろう? 全然気付かなかったよ」 「はい、僕もです」  いっくん、夜中に起きて寂しくなってしまったのかな?  それとも怖くなってしまったのか。  一体どんな気持ちでこのベッドに潜り込んだのだろう? 「泣いていたらすぐに気付けたはずなのに、ごめんね」  声に出して謝ると、宗吾さんが首を振った。 「いや、泣いてなんかないよ。ほら、ここを見てくれ」 「あっ」  いっくんと芽生くんは手をギュッと握りしめていた。    その光景に、涙腺が緩んだ。  いっくんと芽生くんのふっくらとした小さな手。  ぎゅっと繋がれた小さな手。  そこに命の尊さを知る。  

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