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冬から春へ 32

 こんなに良くしてもらっているに、愛情を注いでもらっているのに……    どうしても心の中でひっかかってしまう。  オレは最近とても臆病になった。  傍若無人に生きてきた時には気づきもしなかったこと。  気にもしなかったことが、どうしても気になってしまう。 「どうした? 何か俺に聞きたいことがあるのか。もやもやしていることがあるのなら吐き出せ。せっかくの機会だ」 「……」 「潤、俺はちゃんと聞くし、ちゃんと受け止めるから、話してみろ」  確かに父さんと二人きりで話せる機会は貴重だ。 「あの……こんなこと聞いて怒りませんか。その……どうしてオレにこんなに優しくしてくれるんですか。オレなんて何の血の繋がりも縁もない……赤の他人なのに」 「潤、お前なぁ、そんなんじゃダメだ。もっと大きくなれ。幸せをバトン出来る人になれよ!」 「幸せをバトン? あの……オレは幸せに不慣れだから、どう扱っていいのか。バトンなんて持ったら道に迷います。真っ直ぐに走れやしません」  すみれの夫として、いっくんと槙の父として夢中で頑張っている時には、こんなこと思わなかったのに、変だな。お父さんの前に立つと、いろんな話を聞いて欲しくなる。相談したくなる。  父親ってこういう存在なのか。  オレは何一つ知らなかった。 「もう1杯珈琲を飲むか」 「はい」 「よし、今度はミルクと蜂蜜を沢山入れて甘みを出そう」 「ほっとします」 「潤、俺の話も少し聞いてくれるか」 「もちろんです」 「俺もみーくんと再会して潤のお母さんと出会って、まさか結婚できるなんて夢のようで、しかも一気に3人の息子の父になれ、孫まで持てるなんて……あまりに幸せすぎて実は怖くなったんだ」  意外な話だった。  父さんもそんな風に思っていたなんて。 「オレもです。一気に周りが変化して……」 「分かるよ。だがその幸せはお金で物を買うように手に入れたものではなく、潤の心の中から自然に生まれたものなんだ。つまり潤の心の状態なんだよ。一人で一杯持ちすぎると不安になるから、大切な人に繋いでいけばいいのさ」  幸せをバトン出来る人になれ――  とは、そういう意味だったのか。    幸せを感じたら、周りの人を幸せにするための努力をすればいいんだ。  大切な人の笑顔に、オレはまた幸せになるのだから。 「俺は今幸せだ。だから縁あって繋がった息子たちも幸せにしてやりたい。どうか俺の幸せを繋いでくれないか」  父さんの話が腑に落ちる。 「オレも種を蒔く人になりたいです。幸せの種を。だからオレなんかって卑下した考えは、もういい加減に捨てます」 「そうだ、その意気だ。頑張れ! 幸せは巡り巡って、また潤を幸せにするんだ」  午後、オレは父さんと一緒に不動産屋さんを回った。 「うーん、この条件では難しいですね。せいぜいアパートしか。とりあえず急ぎで家が必要ならば、とりあえずの住まいでいいじゃないですか。まだお若いんだし、仮住まいで」  火事の記憶は鮮明で、同じようなアパートだけは避けたかった。    それに『仮住まい』という言葉も、しっくりこない。  オレと家族の家を見つけたい。 「潤、不動産屋はああ言うが、諦めるな」 「はい! もう少し粘ります。そうだ。一度会社に顔を出してきます。つなぎを支給してもらえるので」 「そうだな、顔を見せてくるといい」  父さんが「諦めるな」と言ってくれた。  それが力となる!  言葉は魔法なんだ。  芽生坊が言った通りだ。  言葉は原動力になる。  希望を抱く力となる。 **** 「あの……東銀座まで、すみれさんといっくんで行けますか」 「大丈夫よ。ありがとう。途中まで先輩が迎えに来てくれるし」 「あ、もしかしてテーラーの桐生さんですか」 「えぇ、大河先輩は私の恩人なの。久しぶりに会えるので嬉しいわ」  桐生大河さんは、菫さんの会社の先輩で新入社員研修で東京にいる時に知り合ったと聞いている。恩人というからには、何か大きな要のような人なのだろう。いつか、お二人の出会った頃の話を聞いてみたいな。 「瑞樹、そろそろ出ないと遅刻するぞ」 「あ、はい!」  芽生くんを送り出した後、僕たちも支度をして出発することにした。  昨日は急に仕事を休んでしまい、菅野に迷惑をかけた。  今日は挽回しないとな。 「じゃあ行ってきます」 「いってらっしゃい! そーくん、みーくん、おちごと、がんばってねぇ」  いっくんが背伸びして満面の笑みで手を振ってくれる。  可愛いな、出会った頃の小さな芽生くんを思い出すよ。  菫さんは…… 「二人とも、ちょっと待って! 宗吾さんは後ろの髪が乱れていて、瑞樹くんはネクタイが少し曲がっているわ」 「えっ!」 「えっ……」  玄関先で二人とも手直しされてしまった。  出かけに部屋でネクタイを締めていると、宗吾さんがやってきてクイッとネクタイを掴まれ深いキスをされた。  僕は宗吾さんの首に手を回してキスを受け止めた。  あの時、無意識に宗吾さんの髪に触れてしまったのかな?    うわっ、頬が火照る。 「なんだか二人とも悪戯した子供みたいね」    素直に直してもらった。  僕は動揺したが、宗吾さんは軽快な足取りで上機嫌だった。   「瑞樹ぃ、なんだか可愛い妹が出来た気分だな。おしゃまな妹がいたらあんな感じだろうか」 「えっと、僕にとっては目敏いお姉さんのような気分です」 「はは、俺たち女姉妹には縁がないから新鮮だな」 「ですね。毎日、新鮮な日々になりそうです」 「ん? 俺と瑞樹はいつでも新鮮だぞ。お互いに幸せを循環しあっているんだから」 「あ、はい! 僕も同じ気持ちです」  幸せを循環か。    いい言葉だ。  ずっと幸せになるのに臆病だった僕は、幸せを循環させることで、幸せを素直に受け止められるようになった。 「そうだ、瑞樹、潤の様子が気になるなら、駅までの道すがら電話してみたらどうだ?」 「そうですね。あ……でも、きっと今は潤は奮闘している時間かも。後はお父さんとお母さんがサポートしてくれるので、夜になったら電話してみます。今は宗吾さんと駅まで歩く時間を大切にします」  待つ時間も、向き合う時間も大切にしたい。  相手との関係を深めるには、その二つのバランスが大切なのかもしれない。  人と接すると、学ぶことが沢山ある。    一人では気付けなかったことが、沢山だ。

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