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冬から春へ 33

 正月の三が日を過ぎると、オレが働く『軽井沢イングリッシュガーデン』は施設メンテナンスのため2月末まで休園となった。  軽井沢の冬も北の故郷と同じで、長く厳しい。  冬に軽井沢にやってくる観光客はスキーがメインで、真冬に英国式庭園を楽しむ人は滅多にいない。例年なら2月は月・火を定休日とし細々と営業するのだが、今年は大がかりな改装工事と春のイベント準備を同時にすることになり、2月末まで通しで休園する。  そんなわけでスタッフは交代で長期休暇を取れることになった。  オレも本当なら……今頃、家族水入らずで休暇を過ごしているはずだった。それが、まさか住んでいた家を失い、家族と離れ離れで暮らすことになっているとは、夢にも思わなかったな。 『一寸先は闇』って、本当だな。  失って初めて気付くことばかりだ。  狭いアパートの一室で、家族で身を寄せ合って過ごした日々が懐かしい。  もうカタチとしては残っていないが、しっかり心の中に焼き付いている。  通用口から入ると、守衛さんが飛んで来た。 「潤、無事で良かったな」 「はい、生きています」  胸を張って言える。  何もかも失っても、精一杯生きていると―― 「そういえば、潤に会いたいと訊ねて来た人がいたぞ」 「誰でしょう?」 「さぁ名前までは聞かなかったよ」 「そうですか」 「なぁに縁あればすぐに会えるさ」 「そうですね」  ロッカーを開けると、約束通り新しいつなぎがハンガーに掛かっていた。  新品の生地の匂いを久しぶりに嗅ぐ。  オレは、瑞樹兄さんが巻き込まれた残虐な事件の後、雇って欲しいと自らイングリッシュガーデンの門戸を叩いた。  どうしたって函館の家には帰れなかった。  あの日病室に入ると、瑞樹兄さんの身体には激しく抵抗した跡があった。包帯だらけの手に衝撃を受け、涙がこみ上げてきた。  そんなボロボロな状態の瑞樹兄さんが静かに療養している函館に、オレは絶対に戻れなかった。  頭を冷やす時間が欲しかった。  一人で頑張ってみたかった。  そして一人で頑張った。  寒くて寒くて、凍えるような日々だった。  ひたむきに仕事を覚えた。  来る日も来る日も、土まみれになって無心に生きた。  そんな甲斐あって、ようやく自分をリセット出来た。  真っ白になって気付けたことがある。  オレは一人じゃない。  遠く離れた場所で、家族がそっと応援してくれている。  今まで見えなかったものが見えて来た。 「よし、着替えるか」  休暇中の身だが、無性に身体を動かしたくなった。  いざ着てみると、真新しいつなぎはゴワゴワして身体にフィットしない。  すみれたちが戻って来る頃には、もっと身体に馴染ませておきたい。  毎日着ていよう。  前のつなぎのように。  よし、働くぞ!  身体を動かそう。  今のオレに出来ることはそれだ。 真新しい萌黄色のつなぎに引き締まった気持ちになっていると、北野さんが入って来た。 「お、潤、来ていたのか」  北野さんもオレと同じ色のつなぎを着ていた。電話で話してくれたことは慰めではなく本当だったんだ。 「似合っているぞ」 「ありがとうございます。本当にお揃いなんですね」 「あぁ、どこにいても目立つだろう? 潤とタックを組んで、春の祭典『森の樹木カーニバル』を盛り上げていこう」 「はい! あの……オレ、今日から休日返上で働いてもいいですか。今は休んでいる場合じゃないんです。その……恥ずかしいですが……色々物入りで」  つい本音を言ってしまった。 「……潤……お前、新しい住処は見つかったのか」 「いえ、まだです」 「そうか」  北野さんがオレの肩に手を置いて、優しく微笑んだ。 「じゃあ、まずはそこからだな。お前の基盤を作って来い。まずは家族を大切にしろ。家族を幸せにしてこそ、いい仕事が出来るものだ。無事に家が決まったら戻って来い」  トンっと背中を押された。  昔のオレだったら勘違いして、見放されたと捻くれただろう。  だが、今は違う。  北野さんも、オレの幸せを心から願ってくれている人だ。 「分かりました。家探しの続きをして来ます。このつなぎのまま行ってもいいですか」 「いいぞ。それはオレがお前のために用意したものだからな」 「そうだったのですね。オレ、これがボロボロになるまで働きます」 「ははっ、お前は心強い相棒だ」  オレはイングリッシュガーデンを飛び出し、焼けてしまったアパートに向かった。  瓦礫の山になったオレのアパート。  最後にもう一度! ****  宗吾さんと改札口で別れて、会社に向かって歩いていると菅野がすっ飛んできた。 「瑞樹ちゃん、大丈夫だったのか」 「菅野、昨日はありがとう。おかげで一日有効に使えたよ」 「じゃあ、全部上手くいったんだな」 「うん、皆、無事だよ。潤だけ軽井沢に残って家探しをしているけれども、元気だよ」  菅野と和やかに話しながら職場に向かう。 「じゃあ菫さんたちはどこにいるんだ?」 「実は僕の家で預かっているんだ」 「へぇ、それって不思議な集まりだな。瑞樹ちゃんは姉さんが出来た気分?」 「えっ、どうして分かるの?」 「俺にも姉がいるからさ。俺の場合は豪快スパルタ姉さんだけど! 菫さんも豪快か、それともスパルタ?」  菅野の推しの強いお姉さんの様子を思い出して、くすっと笑ってしまった。 「菫さんは……そうだな、目聡いお姉さんかな」 「なんと目聡いのか! ははっ、宗吾さんといちゃこらしているの見られそうになったのか。それともバッチリ見られちゃったとか? どっちだー?」 「えっ? なんでそれを知って?」  ギョッとすると、菅野が明るく笑った。 「よしよし、もう、いつもの瑞樹ちゃんだな。良かった! 本当に嘘がつけない純真な瑞樹ちゃんだよなぁ」 「おいっ!」  菅野とじゃれ合うのが楽しい。  よかった。  いつもの朝が戻って来た。    それが嬉しくて、気分爽快だ。 「菅野、ありがとう」 「おいおい、よせやい、照れるぜ! 俺の方こそありがとう」 「え? 僕は何もしてないよ」 「元気な顔を見せてくれてありがとう!」

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