1646 / 1740

特別番外編 瑞樹31歳の誕生日⑤

「ヒロくん、そろそろ開店時間よ」 「お、おう!」  準備を整え、いつも通り朝9時に『葉山フラワーショップ』を開店させる。  シャッターを開けると、少しひんやりとしているが爽やかな空気を舞い込んで来た。  北の大地も五月に入ると一気に寒さが和らぎ、押し寄せるように春がやってきて、そのまま初夏を迎える。  深呼吸すると瑞樹を感じた。弟は爽やかな五月の風が似合う男だ。  瑞樹の生家がある大沼公園の周辺も、青空に新緑が映える季節を迎えているだろうな。  薄い黄緑色に鶯色に鮮緑色など、様々な緑色が森を塗り替えているだろう。  目を閉じれば浮かぶ、色鮮やかな大沼の景色が。  店の外に、色取り取りの花が入ったブリキのバケツを並べた。  以前はプラスチックのバケツだったが、宗吾のアドバイスで少し高価だがブリキのバケツにして正解だった。こちらの方が結果的に長持ちし丈夫だ。それにレトロ感も出ていい感じだ。置くだけでインテリアにもなる。    店の雰囲気を変えると若いお客様の来店も増え、売り上げも上がって生活にもゆとりが出来た。  ただし花の仕入れは、亡き父が母に遺したマニュアルを今でも参考にしている。 『毎年、5月1日にはすずらんの花を店先に並べてくれ』    そう書いてあったので、俺も毎年5月1日にはスズランを仕入れて、店先に並べている。  確か俺の記憶では、毎年5月1日の夜、店じまいすると、亡き父が嬉しそうにスズランの花を一輪、母に渡していた。  今考えると『幸せ』を渡していたんだな。  父はいつも家族の幸せを願ってくれていた。    小さい頃、店先で1日中あくせく働く父の姿をいつも店の奥から眺めていた。  花を嬉しそうに持ち帰る人の顔も、眺めていた。  そう言えば思い出したが…  ある日5月1日が悪天候だったこともあり、大量に売れ残ってしまったすずらんを、遅い時間にやってきて、全部買ってくれた人がいた。  まだ俺は小さく背伸びしても顔は見えなかったが、随分背が高い男の人だった。  あの時、父はこちらをしっかり振り返って俺に笑いかけてくれた。  大切な息子だと目で伝えてくれた。  俺はとても幸せな時間だと思った。  今は…ずずらんを見ると瑞樹を思い出すんだ。  瑞樹の誕生花だからなのか。  今日は5月2日、瑞樹の31歳の誕生日だ。  10歳の瑞樹と出会ってから、もうそんなに月日が流れたのか。  目を閉じれば浮かぶ、小さな瑞樹の姿が。  いつも俯いて不安そうに過ごしていた幼い姿が。 「ヒロくん、ここにあった消しゴムを知らない?」 「知らないけど、ないのか」 「うーん、困ったな」 「待ってろ。確か部屋に予備があったから」    二階に上がって俺が小学校の時に買ってもらった勉強机の引き出しを開けると、真新しい消しゴムがいくつか出てきた。 「ん? どうして、こんなに買い溜めたのか……あ、そうか」  瑞樹の誕生日にあげようと、中学生の俺が買い求めたのだ。  当時の俺の小遣いで買えるものは限られていた。  俺は瑞樹がまるで失敗を怖がるようにノートに漢字を書いていたのを知っていた。  ある日、夜遅くまで宿題が終わらない瑞樹の様子が気になって声をかけた。 … 「おーい、瑞樹、なんでそんなに慎重に解いているんだ? 教えてやるよ」 「あ……ごめんなさい。書き間違えないようにやっていたら、つい」 「ん? 間違えたら消せばいいじゃないか」 「…そうだね」  寂しく微笑む様子が気になった。    夜中にそっと瑞樹の筆箱を覗くと、小石ほどに小さくなったボロボロの消しゴムがぽとりと転がり落ちた。  それは、まるで瑞樹の心のように縮こまっていた。  なんてこった!  消しゴムがなくなりそうなこと位、遠慮なく言えばいいのに。    いや…そうじゃないのか。  瑞樹は、大人しく内気な子で、俺とは違うんだ。  とてもデリケートな心を持っている。  その時悟った。  この子の心を守ってやろう。  いつか羽ばたく日までしっかり守ってあげたい。  変な気を遣わないように、そっと支えてやりたい。  その晩、新しい消しゴムに「にこちゃんマーク」を描いて入れてやった。  翌日の…ふんわりと甘く微笑んでくれた顔が忘れられない。 … 「みっちゃん、消しゴムあったぞ。使ってくれ」 「ありがとう。大事に使うわ。それよりヒロくん、そろそろ宗吾さんと約束の時間よ。店番をしているからゆっくり瑞樹くんと電話をしてきて」 「おぉ、みっちゃん悪いな」 「ふふ、私も瑞樹くんが大好き! 彼にはもっともっと幸せになって欲しいの」 「ありがとう! そういうみっちゃんが大好きだ。幸せにするよ」  俺からみっちゃんへ、すずらんの花を一輪手渡した。  かつて亡き父がそうしたように。  想いは引き継いで行く。 ****  淡い虹色のレジャーシートは円形だ。  瑞樹をそこに招き入れて座らせて、瑞樹から始まり、皆が座った。  すると、ぐるっと一周、丸い輪が出来た。 「宗吾さん、こんな丸いシートは初めてです」 「へへっ、俺のアイデアで特注したんだ」 「素敵ですね。これなら自然と誰でも輪になれますね」  誰かが隅っこに追いやられて寂しくないように。    君から皆の顔がよく見えるように。  皆から瑞樹の顔がよく見えるように作ったのさ!

ともだちにシェアしよう!