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冬から春へ 64

 雪か――    朝から冷え込んでいると思ったら、雪になったのか。  軽井沢も、雪化粧した町になっていく。  昔は、雪なんて大っ嫌いだった。  白くて綺麗なものなど、オレには無縁だと決めつけていた。  だが、今は好きになった。  兄さんの純真さも、いっくんの清らかな笑顔も――  白い雲や白い雪、白い花に白い羽。  全部好きだ!  白は大好きな人の色。  心が洗われる色となった。 「あら、雪になったのね」  母さんがオレの横に立って、窓の外に手を伸ばすと、雪はまるで空から贈り物のように、手の平に舞い降りてきた。  花屋の水仕事で1年中あかぎれだらけだった母の手は、いつの間にかしっとりと滑らかになっていた。  慈しみという言葉が似合う手だった。 「……綺麗だな」 「そう言えば、あなたの妊娠が分かった日、雪が降っていたのよ」 「へぇ、よく覚えているな」 「当たり前よ。大切な子供を授かった日だもの。それで雪にちなんで純白の『純』という名前にしようと思ったけれども、お父さんが漢字は『潤う』の方がいいと言い張ったの。ふふっ、花屋の息子だから潤いが大事だと豪語していたわ。懐かしいわねぇ」 「それ、初耳だ」 「そうだった? あなたとこんな風にゆっくり過ごしているからか、昔の記憶がどんどん蘇ってくるわ」  亡くなった父さんの話ばかりして大丈夫なのかと心配になり、ちらっと父さんを見ると、上機嫌で鼻歌を歌いながら窓枠に白いペンキを塗っていた。  オレたちの会話が聞こえているだろうに……  父さんは、母さんの過去をすべて引き受けてくれた。    そしてオレと広樹兄さんのことも、丸ごと受け入れてくれた。  すごい人なんだ。 「父さん、ありがとう」 「ん? 急にどうした?」 「いや、なんでもない」  急に照れ臭くなってそっぽを向くと、父さんに肩をガシッと組まれた。 「潤、サンキュ! 照れてんのか。末っ子は可愛いな」 「オッ、オレはそういうキャラじゃ」 「ははっ、いいじゃないか。親にとって子供はいつまでも可愛い大切な存在なのさ」 「……あ、ありがとう」 「よしよし、お前は可愛いな」  父さんとは、きっとこの先もずっと、今日のような関係でいられる。  そう素直に思えるのは、オレが素直になれたから。    オレの2週間の冬期休暇は、新居のリフォームにほぼ費やした。  昔に戻ったように、大工の仕事に没頭した。  1日中身体を動かすのは、少しも苦にならなかった。  明るい未来を目指せて動くのは、嬉しいことだ。  火事で何もかも失ってしまったが、ここ数日で発行の手続きをした書類も届き、少しずつ生活も元通りになっている。  2週間の休暇を終えると仕事に行かなくてはならなかったが、リーダーの計らいで時短勤務出来たので、家のリフォームを最後まで一気に仕上げることが出来た。父さんと母さんが大沼に帰ってしまう前に、なんとしてでも家族を迎え入れたかった。 「潤、これが最後の作業だ」 「はい」 「仕上げはここだ」  父さんが曇っていたガラス窓を雑巾でピカピカに磨き上げると、明るい日差しが降り注いできた。 「潤、この家のリビングは日当たりが良いな」 「はい!」 「よし、これで、迎えに行けそうだな」 「はい、明日、行ってきます」 「みんな、待ち遠しく思っているだろう。そろそろ潤に会いたくてたまらないはずだ。ほら、これを使うといい」 「え?」  渡されたのは新幹線の往復切符だった。    急に家を購入することになりローンを組んだ。手数料や手付金など貯金を使い果たしてしまった。足りない分は父さんと母さんが援助してくれた。残った僅かな資金で、火事で焼けてしまった日用品を買い直したので、貯金は底をついていた。  だから……菫といっくんと槙を東京に迎えに行っても、帰りの電車賃をどう工面すべきか悩んでいた。 「潤は寝る間も惜しんで頑張ったから、小遣いだ」 「そんな」 「遠慮するな。俺がしてやりたいんだ」  心の底から感謝した。  ありがたかった。  一人じゃないって、すごいことだ。  困った時に手を差し伸べてくれる人の存在が有り難い。 「父さん、父さん……本当にありがとう。オレひとりじゃ心細かったです。本当に上手くいくのか分からなかくて」 「役立って嬉しいよ」 ****  日曜日の午後。  僕は芽生くんといっくんを公園に連れて行く約束をしていた。 「お兄ちゃん、公園たのしみ」 「いっくんもたのちみー」  いっくんが靴を履いていると、菫さんがやってきた。 「いっくん、待って」 「ママぁ、なぁに?」 「お外に行くならこの帽子を被っていくといいわ」    それは黄緑のニット帽で、一番上には黄色いボンボンがついて、とても可愛かった。 「わぁ、あったかい」 「やっぱり良く似合うわ」 「ママぁ、じゃあ、いってきます」 「楽しんでね」  まだ冬景色の公園だが、いっくんの帽子はまるでタンポポのような色合いで、見ているだけでポカポカしてくるよ。 「めーくん、どう? いっくん、めだつ?」 「うん、どこにいてもよく分かるよ」 「よかったぁ。あのね……かるいざわのパパからもみえるかなぁ……」 「きっと見えるよ」 「パパぁ、そろそろ……あいたいなぁ」  しょんぼりと俯く姿に胸が切なくなる。  きっときっと、もうすぐだよ。  いっくんの大好きなパパがやってくるよ。  そんな予感を北風の向こうに、僕は感じていた。  いっくんの心を、そろそろ潤してあげて欲しい。  潤――  僕たちはここだよ。  待っている。

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