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冬から春へ 76

  「父さん、母さん行ってきます!」  潤は妻子を迎えるために、意気揚々と東京へ向かった。  潤の逞しい背中が見えなくなるまで、俺とさっちゃん見送った。 「勇大さん、潤、とっても嬉しそうね」 「あぁ、ようやく家族揃って過ごせるからな」 「あの子、更に父親らしい顔になって、驚いたわ。何度も言ってしまうけれども、父親の顔を知らずに育ったのに不思議なの。きっと今回の事件を通して、あなたが潤に父親の姿を沢山見せてくれたからね。勇大さん、本当にありがとう」 「いや、俺も両親を相次いで病気で亡くし、祖父に育てられたようなものだから、父親の記憶がおぼろげだ。だから……こんな時、大樹さんだったら息子に何をしてあげたいかと置き換えて、行動しただけだ」  言葉に出して気づくことがある。  大樹さんは自分の命が短い事など知らなかったのに、父親の顔を俺に沢山見せてくれた。  何かにつけて、みーくんの子育てを俺に手伝わせたのは、この日のためだったのか。  もしも俺が父親らしく振る舞えているのなら、それは大樹さんから授かったもの、受け継いだものだ。  大樹さんが、俺に残してくれた宝物だ。 「ありがとう。私は勇大さんと出会えて、沢山の幸せをもらってるわ」 「俺の方こそ、ありがとう。さぁ潤が帰ってくるまでに仕上げよう。今日も手伝ってくれるか」 「もちろんよ。潤が仕事に行っている間二人でこっそり作業するのが楽しかったわ。そろそろ完成ね」 「あぁ、俺たちからの引越祝いだ」  大樹さんは大工仕事も器用な人だった。  東京出身の写真家で、きっと育ちもよかっただろうに、俺が山小屋の手入れ方法を教えると、あっという間に習得し、逆に俺が教わるようになった。 …… 「熊田、買い物についてきてくれ」 「今度は何を作るのですか」 「ははっ、察しがいいな。ベビーベッドだよ」 「えぇ? そんなもの作れるのですか」 「ベビーベッドの構想は大体出来た。さっき頭の中で思い描いたベビーベッドの設計図をざっと作ってみたんだ。どうだ?」  図面は完璧だった。 「大樹さんは、大工になれますよ」 「昔から物を作るのが好きだったので、楽しくて仕方がないよ」  大樹さんは男の俺から見ても惚れ惚れする、行動力があって溌剌とした人だった。  何でもポジティブに捉え、周囲に愛を降り注ぐ人だ。  だから、祖父が亡き後塞ぎ込んでいた俺を、家族の一員にしてくれた。    木材所で大量のパイン材を買い込んで、二人で担いでログハウスに戻った。 「いいか、このことは、澄子には内緒だぞ。出産祝いにしてやりたい」 「了解です!」  二人がかりで、パイン集成材をカットして溝を掘り、ビス止めするためのダボ穴を掘ってフレームを作成した。それから溝を掘った部分にMDFパネルを差し込みサイドパネルの完成させる。次は前後の柵を作成するため、丸い穴を開けて丸棒を取り付けていく。パーツが全て完成すれば、サンドペーパーで面取りしミルクペイントで塗装して…… ……  今でも手順は覚えている。  あの日、大樹さんと一緒にベビーベッドを作っておいて良かった。 「さっちゃん、一緒に組み立てよう」 「えぇ」  あの日は大樹さんと俺で、みーくんのために組み立てた。    今日は俺の奥さんと一緒に孫のために組み立てていく。  こんな日がやってくるなんて――  みーくんが生まれてから、あの別れの日まで、幸せな日々だった。  俺は大樹さん家族と、すぐに忘れてしまうような、幸せな日常を当たり前のように積み重ねていた。  …… 「くましゃん、しゅき」 「みーくん、うれしいな。でも、俺でいいのか」 「うん、くましゃんだーいしゅき」 「おい、熊田ずるいぞ。瑞樹、パパは? パパも好きか」 「パパぁ、だいしゅき」 「よしよし、瑞樹は天使みたいだな。キスしてくれ、ここに」 「ちゅ」 ……  ハチミツのように甘く、タンポポの綿毛のようにふわふわな日々だった。  頬にちゅっと甘いキス。  みーくんのほほえみ、やさしい表情。  愛情がこもった言葉。  数え切れない程の愛と、小さな幸せが集まった世界だった。 「勇大さんとこんなこと出来るなんて、夢みたい」 「さっちゃんと一緒に作り上げる時間が愛おしいよ」  誰かが誰かのために。  人はそうやって存在している。 ****  新幹線の中で、いっくんはずっと新しい家の想像をしていた。 「パパぁ、新しいおうちには、みーくんのおうちみたいにテーブルとイスはあるの?」 「あぁ、ちゃんと揃えたよ。ご飯をたべるテーブルとイスがあるぞ」 「わぁ~ すごい」 「あ、あのね、まきくん、あかちゃんだけど、そこに、いっしょにすわれるかなぁ」 「あ……そっか、大人のイスだけだから無理だな」 「しょっか……まきくんだけゆか、さみしいから、いっくんもまえみたいにゆかでたべるよ」 「……そ、そうか」  アパート暮らしの時はちゃぶ台しかなかった。  だがこれから家族4人で過ごす家は、すみれの腰の負担も考えて洋式にしていきたい。それには、まだまだ足りないものばかりだと気づかされた。 「そうだ、あかちゃんのベッドはあるの?」 「ベビーベッドは買えなかったんだ。ごめんな」 「……そっか、ううん。だいじょうぶ」  いっくんはそのまましょぼんと俯いてしまった。  きっと何か理由があると思った。  瑞樹兄さんのように、丁寧に理由を探ってやりたくなった。 「いっくん、どうしてあったらいいと思ったんだ?」 「あ……いっていいの?」 「あぁ、パパが聞きたいよ」 「あのね……あれがあったら……ママのこしがいたくなくて、いいなっておもったの。まえにほいくえんのせんせいにきいたら、おしえてくれたの」 「そうか、それは是非叶えてあげたいな」  流石に、もうこれ以上赤ちゃんの物を買い揃える金が今はなかった。  保険が下りたとはいえ、家を購入したのでキツいのが現状だ。 「パパ、ごめんなしゃい」 「どうしてあやまるんだ?」 「いっくん、わがまま……だった」  いっくんが目をゴシゴシと擦っている。 「いいや、いっくんのは我が儘じゃないよ。夢を持つのは良いことだ。パパも一緒に叶えたいから、同じ夢を見るよ。いっくんのおかげで見たくなった」 「ほんと? よかった、いっくんもいっぱいおてつだいする」 「頼もしいな」 「えっと、えっと……いっくん、パパのこだからね、たのもしくなりたいの」 「あぁ、そうだな。いっくんはパパの大事な子だ」  そんな話をしているうちに、新幹線が軽井沢駅に着いた。  ホームに下りると、いっくんが口に両手を添えて大きな声で叫んだ。  いっくんは大人しい子どもだが、時々凜々しいことをする。 「ただいまー いっくんのせかい!」  いっくんの世界か。  そうだな、その通りだな。  軽井沢で生まれ育ったいっくんにとって、ここは大切な世界だ。  オレはその世界を守る人になりたい。    

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