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二月、家族の時間 2

 どうか、どうか、ずっと一緒にいて下さい。    母にとって子供の存在、子供にとって母親の存在は、どこまでも尊い。  それにしても不安に怯え途方に暮れていた少年に、笑顔を取り戻せて良かった。  清々しい気分で、僕はホームに降り立った。  勇気を出せて、本当に良かった。  自分自身に手応えを感じるとは、こういうことなのか。  宗吾さんと暮らし、宗吾さんのパワーを浴び続けたせいか、人前に出ることが苦手な僕にも勇気という芽が出たのかもしれない。  それから周りの乗客に感謝している。  今日の出来事は、けっして僕ひとりでは成し遂げることは出来なかった。  人は多くの人に支えられて生きている。  それを改めて実感する出来事だった。  改札を出て歩き出すと、いつものように菅野が追いかけてきた。 「瑞樹ちゃん、おはよ!」 「おはよう!」  いつもより明るく笑みが零れたのを、菅野は見逃さなかった。 「んん? もしかして何かいいことあった?」 「えっ、どうして分かった?」 「ふふん、瑞樹ちゃんは顔に出やすいからなぁ」 「……僕、今……どんな顔をしている?」 「そうだなぁ、何か成し遂げた人の顔だ」  驚いたな。  菅野は本当に察することが出来る人だ。  菅野のおかげで、会社に自然に溶け込め、仕事も順調だ。 「菅野、いつもありがとう」  改めてお礼を言うと、いつもの菅野スマイルが返ってきた。 「よせやい、照れるぜ」 「くすっ、それ聞くとホッとするよ」 「へへ、もう口癖になってるよな。あーしかし今日は一段と寒いな~ 日本列島に大寒波が来ているらしいぜ。あ、でも葉山は北国育ちだから、この位、どうってことない?」 「いや、東京は寒いよ」  僕は小さい頃から函館・大沼の厳しい冬を体験してきた。  氷点下の朝に吐く白い息、深々と降り積もる雪、頬を刺す冷たい風。  毎年、大沼は厳しい寒さだった。  東京の冬はそれに比べたらずっと体感温度が高いのに、東京の寒さが身にしみるのは何故だろう?  上京して驚いた。  東京の冬の寒さは、北国で味わってきたものとは別物で、居心地が悪かった。  冷たいビル風は肌が切られるようで、身体の芯まで冷えて辛かった。  でも大沼の冬は……  雪が降る分だけ空気が和らぎ、静寂に包まれた世界は僕の心に清らかな光をと届けてくれたのに。 「なぁ、ちょっと分からないんだけど、どうして北国と東京の寒さが変わらないんだ?」 「それは……東京の寒さは剥き出しだからかな。コンクリートとアスファルトが冷たさを溜め込んでいるのか、街全体が無機質な冷え方をしている気がして」 「あ、それ、分かる。江ノ島の北風は冷たいが、ビルを抜ける風とはちょっと違うんだ。海の匂いのせいかな。波の音のせいかな」  菅野が同調してくれる。    本当に菅野はおおらかで優しい人だ。  僕の心の友。 「冬の大沼にも匂いがあったよ」 「へぇ、どんな匂い?」 「雪の匂いだよ。凍てつく空気の中に、森の香りや薪ストーブの微かな煙の匂いが混じって……」  菅野と話しているうちに、自然と大沼の家のストーブのパチパチとした音。森に雪が降った時の匂いが蘇ってきた。匂いを思い出せるなんて……菅野のお陰だ。 「雪の匂いか……それ嗅いでみたいな。確かに東京の冬の空気は乾燥していて、そこに排気ガスやビルの空調の風や熱が混じって……人工的だな」 「分かってもらえて、嬉しいよ」 「俺も嬉しいよ」  菅野と話ながら会社に向かう時間。  これも僕にとって小さな幸せだ。  その日の帰り道、芽生くんに「今日はすごく寒いね」と話しかけると、不思議そうな顔をしていた。 「えー でも今日社会科で習ったけど、お兄ちゃんが育った北海道の方が、ずっと寒いんでしょ?」  あれ? 不思議だな。  朝、菅野と話した会話がここでも復活した。 「確かに気温は北海道の方が寒いけれども、東京の寒さは刺さる感じがして」 「刺さるって?」 「えっと、冷たさが身体を刺すような……感じ?」 「痛そうだ」  芽生くんが僕の手を握ってくれた 「どうしたの?」 「お兄ちゃん、今も寒い?」 「え……」  今は芽生くんが手を繋いでくれているから…… 「少しも寒くないよ」 「よかった。僕も一人で歩いていると凍えそうに寒くて、身体が痛い時があるけど、お兄ちゃんと歩くと寒さが吹っ飛ぶよ」 「……」    大沼の家はどんなに寒くても帰る場所だった。いつも大好きな家族が待っていてくれたから。でも一人ぼっちで上京した東京は、寒くても無理をしてでも頑張らなくてはいけない場所だった。そうか……上京した当初に感じた東京の冷たさを、ずっと引きずっていたんだ。  僕は思わず足を止めた。  風向きがまた変わった。 「芽生くん、家に早く帰ろう。芽生くんと歩くと寒さが飛んで行くよ」 「良かった!」  今の僕には大沼の家のような温かい家があり、大好きな家族がいる。 「帰る場所があるから、寒くないよ」 「うん! うん! 一緒に帰れるのってうれしいね。帰る場所があるっていいね」    芽生くんの無邪気な声が心地よい。 『帰る場所』  その言葉が、じんわりと胸をあたためてくれる。

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