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二月、家族の時間 4

「お兄ちゃん、今日の夜ごはんはなぁに?」 「今日は常夜鍋にしようと思っているよ」 「『じょうやなべ』って?」 「ほうれん草と豚肉をシンプルに煮て食べるお鍋のことだよ」 「あぁ、あのお鍋のこと? あれ、好きだよ。でもむずかしい名前だから覚えられなくて」  これは冬になると、よく広樹兄さんが作ってくれた料理だ。  具材がシンプルなので素材の味が引き立ち体も温まる。  懐かしい兄さんの鍋は、宗吾さんと暮らすようになってから頻繁に登場している。 「お兄ちゃん、今日はお父さんがいないから大変だよね。 だからボクがいっぱいお手伝いするから安心してね」 「芽生くん、ありがとう。すごく頼もしい台詞だよ」  芽生くんは自らエプロンをつけて、僕の横に立った。 「なにしたらいい?」 「じゃあ、これを洗ってくれるかな?」  山盛りのほうれん草に、芽生くんが目を丸くする。 「えぇ? こんなに沢山使うの? ほうれん草ばかり食べられるかな?」 「大丈夫だよ。くたくたになって食べやすくなるから」 「じゃあ全部ちぎってお鍋に入れるね」 「ありがとう」    僕が豚肉を切ってお皿に並べている間、芽生くんは洗ったほうれん草を夢中でちぎっていた。  子供が何かに夢中になる顔っていい。  とても集中している。  こんな風に君と一緒に料理を作れるなんて、嬉しいよ。  僕も広樹兄さんの手伝いを、もっとすればよかったな。  兄さんは「危ないから座ってろ」とか「瑞樹は食べるだけでいいんだ」と僕を甘やかしてばかりだったな。  くすっ、それも兄さんらしい。そんな兄さんが僕は大好きだよ。  鍋に材料を入れると、ぐつぐつと美味しそうな音が聞こえてきた。 「ところで、常夜鍋ってどうして『常夜』っていうの?」 「それは毎晩でも飽きないからそう呼ばれているようだよ。さっぱりした味だから疲れた日でも食べやすいんだよ」 「ふーん、じゃあ、これから毎晩作ってみる?」 「くすっ、それはさすがに飽きるかも」 「えへへ。だよね」  僕は芽生くんと顔を見合わせて笑った。 「それにしても芽生くんはお料理が上手くなったね」 「えへへ、それはお兄ちゃんと一緒に作ってるからだよ。お兄ちゃんの力になりたいんだ」   ほっこりと温まる時間が、今日もやってきた。    幸せな時間が生まれる。  鍋から立ち上る湯気に包まれながら、僕は芽生くんにほうれん草と豚肉を取り分けてあげた。 「わぁ~ おいしい! やっぱりお兄ちゃんのご飯っておいしいなぁ」 「そう言ってもらえると嬉しいよ。それは芽生くんのおかげだよ」 「ボクの?」 「うん、一緒に食べてくれる人がいるからだよ」  和気藹々と鍋を囲んでいると、リビングに置いてあるスマートフォンが震えた。 「ボク、見てくる」  芽生くんがディスプレイを確認すると…… 「あ、お父さんだ」 「じゃあスピーカーにしてもらえるかな」 「うん」  宗吾さんがいなくて寂しいのは、僕だけじゃない。芽生くんだってお父さんがいなくて寂しいはずだ。だから一緒に話そう。  すぐに宗吾さんの明るい声が聞こえてくる。  一晩いないだけで、こんなに恋しいなんて。 「瑞樹、芽生、ただいま!」  『ただいま』……    その真意がじんわりと伝わってきた。    だから僕はその言葉に対して心を込めて『お帰りなさい』と答えた。  ところが、芽生くんは不思議そうな顔をしている。 「ええっと、お父さんはまだ出張なんだよね? だから家にまだ帰ってきてないのに『ただいま』は変だよ?」  芽生くんが子供らしい疑問をぶつけてくれた。確かに普通はそうかもしれないね。 「そうだね。確かに少し変かもしれないね。でも、きっと宗吾さんが言いたかったことは……離れていても『心はいつもここにある』ってことじゃないかな?」 「え、どういうこと?」  僕たちのやりとりを聴いていた宗吾さんが、電話越しに明るく笑った。 「ははっ、そうだ。その通りだ。瑞樹が正解だ。芽生、遠くにいても、パパの心はお前たちと一緒だ。だから電話越しでも『ただいま』って言いたくなったのさ!」 「そっか……そういうことだったんだね!」  宗吾さんは流石だ。  僕には浮かばない発想だ。  『心が帰る場所』がいつもあるって、素敵だな。  外は氷点下になっているだろう。  しんしんと冷え込んできた。  だが、湯気の立つ鍋の香りが部屋を満たし、電話の向こうからも優しい空気が流れ込んでくれば、もう寒くはない。 「明日には帰るよ。本当の『ただいま』を言いに」 「うん! パパがんばって!」 「待っています。明日は早いので温かい料理を用意しておきます」 「お! じゃあ君のお手製の『常夜鍋』がいいな」 「え?」 「駄目か、俺の好物なんだけど」 「くすっ、いいですよ。部屋も暖まりますし……」  まさに今食べている鍋をリクエストされるとは。  常夜鍋は、その名の通り何度でも作りたくなるし、食べたくなる。  だから明日も同じメニューでも問題はないのかな? 「そういえばさ、常夜鍋って瑞樹みたいだよな」 「え? 僕ですか」 「あー コホン、何度でも食べたくなるって思う部分がそっくりだ」 「ええっ」  最後はお決まりコースで、僕は真っ赤に赤面してしまい、宗吾さんが朗らかに笑う。そんな様子を見ていた芽生くんは、首を傾げている。  宗吾さんはもうっ  でもそんな宗吾さんが好きです。  僕の雪を溶かしてくれるから、大好きです。

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