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二月、家族の時間 8
僕は夕食を作りながら、こっそりお菓子作りの準備を始めた。
今日はバレンタイン。
今年は宗吾さんに、手作りのチョコレートを渡したいと思ったのは、ごく自然な気持ちから生まれたものだった。
去年まではデパートの売り場でチョコレートを買うのは気恥ずかしく、毎年、宗吾さんへの気持ちを上手に表現出来ずにいた。
バレンタインに寄せて、宗吾さんへの愛と感謝の気持ちをしっかり伝えたいと思っているのに。
その理由は……
節分の日を勘違いして恵方巻きを用意出来なかった時、かなり落ち込んでしまった。芽生くんには季節の行事を満遍なく楽しんでもらいたいと願っていたのに、自分が勘違いしてしまうなんて……あの時は情けなくて恥ずかしくて、泣きたい気分だった。そんな僕の落ち込みを見事にすくい上げてくれたのが、宗吾さんだった。
本当に宗吾さんのパワーはすごい。
恵方巻きを手作りした時、チョコレートも手作りしたら、喜んでくれそうだと閃いた。
正直、上手に出来るか分からない。
でも何事もやってみないと始まらない。
「お兄ちゃん、何をしているの?」
頭の中であれこれ考えていると、突然、後ろから声をかけられた。
振り向くと、芽生くんがワクワクした顔で立っていた。
「ええっと……」
芽生くんのお父さんにバレンタインチョコを作っていると答えるのが、気恥ずかしかった。こういう所は相変わらずだな。もっと堂々としたいのに。
「じゃあボクがあててあげるね。あ、わかった! バレンタインチョコ作ってるでしょ」
「……うん、そうなんだ」
素直に認めると、芽生くんは目をキラキラと輝かせた。
「ボクもお手伝いしたい」
「え?」
芽生くんはすぐに子供部屋からキッズエプロンを持って来て、嬉しそうな顔で僕の隣に立った。
「ボクもお父さんにも渡したいし、お兄ちゃんと一緒に作りたい!」
芽生くんはいつだって、僕の心の垣根を跳び越えてくれる。
堂々と、素直に!
それが芽生くんの持ち味だ。
だから、ふたりで作ることにした。
僕からの愛と芽生くんからの大好きをたっぷり込めて。
チョコレートを湯せんで溶かして砂糖を加えると、部屋中が甘いカカオの香りに包まれていく。
ところが……
芽生くんが「あれ? これも入れ忘れているよ」と白い粉をサッとボール中に投入してしまった。
それは料理用によけていた塩だった。
「……それ、お塩」
「え? どんな味になるの?」
「それは……」
味見をしてみると、芽生くんの顔が一瞬で曇ってしまった。口の中に広がるのは甘さではなく、しょっぱさだった。
一瞬焦ってしまった。
だがこんな時、宗吾さんだったら……
そう思うと呼吸が整った。
「わぁ、ごめんなさいっ、ど、どうしよう!」
がっくり肩を落とす芽生くんを、僕は抱きしめてあげた。
少しのトラブルに、揺らぐことはない。
心を大きく広げて――
「大丈夫だよ。まだ材料はあるから、やり直せばいいよ」
「ほんと? ごめんなさい、失敗しちゃって」
「誰でも失敗するものだよ。お兄ちゃんも失敗したこと沢山あるよ。さぁ作り直そう」
「うん!」
気を取り直して、もう一度最初から作り直した。
お菓子作りは丁寧に丁寧に。
今度は順調に進み、ハート型のチョコレートが完成した。
二つのハートは僕と芽生くんの心。
宗吾さんが仕事から帰ってくると、僕と芽生くんは揃ってチョコを差し出した。
「おかえりなさい、お父さん!」
「お帰りなさい、宗吾さん」
「ただいま。お、チョコか」
芽生くんが嬉しそうに「ボクが作ったハートもあるよ!」と言うと、宗吾さんは「成長を感じるな」と嬉しそうに、父親らしい顔を浮かべていた。
「二人からもらえるなんて、俺は幸せ者だ」
宗吾さんは笑顔でチョコを口に運んだ。
僕と芽生くんはドキドキとそれを見守った。
「うん、美味しいよ」
その言葉に芽生くんは満面の笑みを浮かべ、僕は小さく息を吐いた。
凝った物は作れなかった。
チョコレートを湯煎して固めてナッツや小さなマシュマロを散らしただけの、シンプルなものだった。
特別なものではなくてもいいんだな。
大切な人に喜んでもらえるのが嬉しかった。
「ありがとう! 家族の愛たっぷりのチョコレートはどんなチョコよりも美味しいよ」
宗吾さんの温かい声が、チョコレートの甘さと一緒に胸の奥にじんわりと広がった。
「えへへ」
「良かったです」
宗吾さんが僕と芽生くんを抱き寄せてくれた。
「瑞樹と芽生のおかげで最高に幸せなバレンタインになったよ」
「僕もです」
「わーい、よかった! お父さんとお兄ちゃんがずっと仲良しなのが一番うれしい!」
宗吾さんは大きく頷き、僕も少し照れながら頷いた。
これは何気ない日常の中の、少しだけ特別なバレンタインの話。
Happy Valentine
大きくて広い心でチョコを包んで。
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