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春風にのせて 3
厳かに入学式の第一部が始まった。
新入生たちの緊張をたたえた背中が、講堂を埋めてゆく。
やがて壇上では司会者が開式の言葉を告げ、オーケストラの演奏が流れ始めた。
そのタイミングで、僕は後輩と講堂の後方、照明の影に隠れる場所に移動した。
僕の視線は、壇上中央に向けられている。
そこには早朝から心を込めて仕上げた桜の花が、スポットライトに照らされていた。
「……綺麗ですね」
後輩がぽつりと呟いたので、僕も小さく頷いた。
今日は新入生にとって一生に一度の大切な入学式だ。
あの花が彼らの記憶の端っこに、少しでも残ってくれたら嬉しい。
壇上の桜は、舞台に春を呼ぶ。
柔らかく広がる枝は、儚くも力強く堂々と伸びている。
新入生を見守るように、応援するように、一緒に羽ばたけるように、花の声を聞きながら、丁寧に生けたものだ。
「先輩が生けた花には、いつも物語があって憧れます。この光景は、ここに集う新入生の記憶に絶対に残ると思います」
「ありがとう。君は? 君の目にも焼き付いている?」
「はい! もちろんです!」
「よかった。あの花は、君の作品でもあるんだよ」
「そんな、とんでもないことです」
「いや、左下は君が生けたんだ。もっと自信を持っていいんだよ」
「……ありがとうございます」
後輩は少し驚いたように僕を見つめ、破顔した。
壇上では、代表の新入生が答辞を読み上げていた。
緊張しながらも、真っ直ぐな声で未来への想いを語っている。
僕はその声に、かつての自分を少しだけ重ねた。
──あの頃の僕は儚かった。
自分だけが幸せになるのが怖く、入学式という華やかな場所に居心地の悪さを感じていた。
都会の大学で、ぽつんと佇んでいた。
ずっと……俯いてばかりだった。
そんな僕が、今は自信を持って、誰かの春を彩ることが出来るようになった。
それは帰る場所と支えてくれる人が出来たからだ。
宗吾さん、芽生くんのおかげだ。
二人の顔が胸に浮かぶと、心も解れていく。
僕も朝からかなり気負って張り詰めていたようだ。
「一度、控室に戻ろう。まだ第二部、第三部と忙しいから、今のうちに腹ごしらえをしないと」
「はい!」
式は続いていたが、僕たちはその場を一旦離れた。
次は第二部に向けて壇上花のメンテナンスをし、第三部でも同じことをする。
今日は長丁場になる。
手を洗い、静かな控室でお弁当の包みを広げた。
見慣れた布地の包みに、ほっとする。
そして宗吾さんらしい大雑把な結び目に、ふっと口角が上がる。
中を開けると、彩り豊かな春らしいお弁当で驚いた。
桜の塩漬けを添えたおにぎりに、ブロッコリーの胡麻和え、ウインナーに卵焼き。
「いつの間にこんなに……」
「わぁ、先輩の、愛妻弁当ですか」
「……そうかもね」
「俺は母さんの弁当です」
「いいね。とても美味しそうだ」
「そうですか、なんだか誰かに作ってもらうのって嬉しいですね」
「うん、そう思うよ」
お箸を取ろうとして、また驚いた。
箸袋の裏にメッセージが!
芽生くんの子供らしい文字で……
「お兄ちゃん、お仕事がんばってね。入学式の花の写真あとで見せてね! 楽しみだよ」
その下には、宗吾さんからだった。
「瑞樹、長丁場になるから弁当はしっかり食べろ。君が生けた花で、春を感じる人がきっと大勢いるよ。花の力を引き出せるよう、がんばれ!」
宗吾さんと芽生くんからのエールに、胸の奥がじんわりと熱くなった。
ありがとうございます。
待っていて下さい。
仕事を終えたら、二人の元に戻ります。
頑張ります。
心の中でそう呟いて、一口目をゆっくりと口に運んだ。
これは大好きな人が作ってくれた、僕の幸せが詰まったお弁当だ。
愛おしいという気持ちが、桜の木を越えて大空に舞い上がっていく。
青空に溶け込むと、生きるパワーとなった。
僕は頑張れる。
今日も頑張れる。
二人がいてくれるから。
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