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春風にのせて 6

 寝室のカーテンを開けると、朝日が差し込んできた。  今日からいっくんは小学生になる。  3月に入ってから、東京の瑞樹兄さんたち、大沼の母さんたち、函館の広樹兄さんたちを巻き込んで、いっくんの入学準備をしてきた。  そのお陰で、真新しい学用品が、部屋の至る所でキラキラと輝いている。  周りがお祝いでプレゼントしてくれた物ばかりだ。  火事で家財を全て失い、自宅を購入したばかりの俺たちの負担を減らそうと、隅々にまで気を遣ってもらえて、感謝している。  この恩は忘れない。 「こんなに沢山ありがとう! いつか必ず恩返しさせてくれ」と瑞樹兄さんに言うと、「じゅーん、その必要はないよ。潤たち家族が幸せな姿を見せてくれればそれでいい。あ、でも一つだけお願いしても?」と、いっくんのランドセル姿の写真と、入学式を迎えた俺たち家族の写真が欲しいと言われた。  兄さんや父さんみたいに上手く撮れるか分からないが、頑張ってくるよ。 「いっくん、そろそろ起きるか」 「うん! おはよう、パパ」 「おはよう、いっくん」  いっくんは元気に飛び起きた。 「パパ、いっくん、もうげんきになったよ!」    ところが出掛ける時になって……  朝日が差し込む玄関先で、いっくんはピカピカのランドセルを背負いながらも、真新しいスニーカーの前で立ち尽くしていた。 「……うまく、はけないよぅ」  ちょっぴり泣きそうな声でつぶやいて、いっくんは靴にそっと手を添えた。  いつもなら、自分でちゃんと履けるのに、一体どうした?  スニーカーのつま先に顔を近づけて、ぽそりと謝った。 「ごめんね、ぴかぴかのおくつさん……」  その様子に、オレはどうしたらいいかオロオロしてしまった。 「潤くん、大丈夫よ。ここは私に任せて」  後ろからふんわりと香る優しい風が吹いた。  すみれが笑顔を浮かべていた。  あぁ、母の顔に安堵する。 「いっくん、これを見て」  手には生成りのキルティングに緑の刺繍が施された上履き入れを持っていた。 「え? これって……」  よく見ると、そこには沢山の葉っぱが踊るように刺繍されていた。 「これはね、ママからのがんばれの魔法よ」 「わぁ、はっぱさんだぁ!」  ぱあっと表情を明るくするいっくんは、両手でぎゅっと上履き入れを抱きしめた。 「ママぁ、ありがとう。ママぁ、だいすき!」 「さぁ、靴を履こうね」  すみれがそっとしゃがんで靴に手を添えると、いっくんは笑顔で靴を履いた。 「いっくんじぶんではけたよ」 「よし、偉いぞ」  オレはいっくんの頭を優しく撫でてあげた。 「あ、潤くん、ネクタイが」  すみれがそっと曲がったネクタイを直してくれて盛大にデレた。 「あ、ありがとう」 「どういたしまして」  オレは今日も幸せだよ、兄さん! 「さあ、入学式に行こう!」 「……うんっ!」  槙を抱っこした菫とオレといっくん。  三人で手をつないで歩き出す。  新しい一歩を、家族で迎える幸せな朝だった。 ****  夜、僕の元に一通のメッセージが届いた。  潤から送られてきた写真には、ランドセルを背負ってはにかむいっくんが写っていた。  他にも家族仲良く『入学式』の立て看板の前で撮った写真や、校庭で撮った写真も。 「うわっ、可愛すぎる。僕……伯父馬鹿が爆発しそうだ」  僕にしては珍しい台詞が思わず飛び出した。  自然と笑みが浮かんでくるよ。  その後もスマホの画面を見つめる度に、もう何度目か分からないうっとりとした溜め息をついてしまった。 「本当に可愛いな。芽生くんの入学式を思い出すよ」  頬をほころばせながら、親指で写真をスライドすると、ピカピカのランドセルを背負って少し照れたいっくんの笑顔が沢山現れる。潤が山のような写真を追加で送ってくれたのだ。  いっくんが持っている葉っぱの上履き入れも素敵だった。きっと菫さんが作ったのだろう。いっくんにとって勇気がでるおまじないなんだろうな。 「瑞樹、何をさっきからニマニマしているんだ?」 「あ、あの……宗吾さん、いっくんのランドセル姿が可愛くて、何度も見てしまうのです」 「確かに何度見ても可愛いよな」 「はい、もう永久保存です」  そこに芽生くんがやってくる。 「ボクもまた見たい! いっくんってかわいいよね」  そう言って芽生くんは僕の隣にちょこんと座り、スマホを覗き込んだ。  その後、芽生くんはごろんと僕の膝に甘えるように頭を乗せてきた。五年生になったとはいえ、まだまだ自宅ではこんな風に甘えてくれるのが嬉しいよ。 「……お兄ちゃん、ボクもかわいかった?」 「もちろんだよ。今でもアルバムにして何度も見ているよ」 「えー はずかしいよ」 「そうかな? だって芽生くんは僕のエンジェルなんだから」 「えへへ」  僕たちの会話を、宗吾さんが目を細めて見つめている。 「にぎやかだな、我が家は」 「幸せですね」  宗吾さんが僕を抱き寄せ、芽生くんの手を握った。  あの日の原っぱのように。  大きな傘になるように、手を広げて―― 「瑞樹が幸せをつないでくれているんだよ」 「家族がいるって、こんなにあったかいのですね」  宗吾さんの体温のあたたかさに、春を感じる。 「今頃、軽井沢でも同じことを言っていそうだな」 「きっと……潤家族の幸せが溢れ出る写真でしたね」 「俺たちも撮ろう」 「はい!」  僕たちも家族写真を撮った。  今日という幸せを感じながら。  

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