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春風にのせて 7
函館も四月になると寒さが和らぎ、ようやく春の訪れを感じられる。
俺は仕入れと開店準備を終えたタイミングで、湯気の立つコーヒーを手にダイニングの椅子にドスンと腰を下ろした。
「花のオーダーの確認をしないと……」
スマホの画面を開くと、瑞樹からのメールが届いていた。
「おっ、瑞樹からだ」
いそいそとメールを確認すると、いっくんのランドセル姿の写真が並んでいた。
昨日の夜の送信してくれたようだが、今頃気付いて悪かったな。
可愛い弟の声が聞きたくなり、電話をした。
「もしもし、おはよう」
「広樹兄さん、おはよう」
「写真を沢山ありがとうな」
「夜遅くに送ってごめんね。どうしてもいっくんの可愛らしい姿を見てもらいたくて」
「あぁ、とても可愛いな」
「やっぱり兄さんもそう思う?」
いっくんにメロメロの様子の瑞樹が、可愛らしかった。
相変わらず伯父馬鹿してんなーと微笑ましく思う。
「あぁ、めちゃめちゃ可愛い子だよ」
潤の息子のいっくんは、幼い瑞樹を彷彿させる可愛い子だ。そのいっくんが、ふわりと春らしい光の中、大きなランドセルを背負って嬉しそうに笑っている。両隣には父親らしい顔つきになった潤と、槙くんを抱っこした柔らかな微笑みを浮かべる菫さんも写っていた。
家族写真には、あたたかさがギュッと詰まっていた。
「いっくんは本当に大きくなったな。それにしても、いい笑顔を浮かべているな」
「うん、実はいっくんの姿に、芽生くんの小学校入学のことを思い出して感激してしまったんだ。芽生くん……あんなに小さかった子がもう10歳だなんて」
「そうだな、芽生坊の成長は瑞樹が入学式からずっと見守っているもんな」
「兄さん、笑顔の入学式ってやっぱりいいね。あ、そろそろ会社に行かないと。広樹兄さん、今日も仕事頑張ってね」
「瑞樹もな」
「ありがとう!」
通話を終えた途端、ふと蘇ったのは瑞樹がまだ小学生だった頃の記憶。
「ふぅ……」
スマホの画面に映るいっくんの入学式の写真を見つめたまま、俺はそっとコーヒーを置いた。
瑞樹――
まだ10歳、小学四年生の小さな瑞樹を、俺の家に引き取った日のことが、胸の奥に蘇ってきた。
両親と弟の葬儀の後、涙の跡が乾かないままの瑞樹は、まるで壊れた人形のようだった。食事も喉を通らず声も出せず、ベッドの中で泣き疲れて眠る姿に、何度も「守る」と誓った。
だが……俺の記憶に残る小学生の頃の瑞樹は、いつも憂いを帯びた瞳で悲しげに俯いていた。
俺が作った弁当を前に「ありがとう」と小さな声でぽつりと呟いた日のこと、ランドセルを背負ったまま、ふいに泣き出して「……行きたくない」と言った朝のこと。
あぁ、思い出す度に胸がしめつけられよ。
「だが……」
今は違う。
もうあの頃の瑞樹ではない。
いっくんの写真を送ってきた瑞樹は嬉しそうだった。
電話越しにも声が弾んでいた。
芽生坊の入学式を思い出し、芽生坊の成長に胸を弾ませているのだろう。
宗吾と共に芽生坊を育て、支える姿は、瑞樹のあの切ない小学生の日々を消してくれるの気がする。
だが……待てよ。
両親が健在だった頃の瑞樹のことを、俺は忘れていた。
瑞樹にも、いっくんのように重たいランドセルを背負って、笑顔で入学式を迎えた日があったのだと、今更ながら気付いた。
「瑞樹にもこんな春が、あったんだな。ランドセルを背負った瑞樹の笑顔、今更だが……見たいな」
すると、そのタイミングでスマホが震えた。
画面を見ると大沼のお父さんからのメッセージ。
「広樹、懐かしい物が出てきたんだ」と、添えられた画像には――
小さな瑞樹がピカピカの一年生の制服に身を包み、面映ゆい顔でランドセルを背負っていた。
桜の木の下、少し大きすぎる制服の袖が手を隠していて、でも、その目はしっかりと前を向いていた。
そして嬉しそうに幸せそうに、微笑んでいた。
俺は、思わず涙がこぼれそうになった。
「ああ……そうだ。瑞樹にもこんな日がちゃんとあったんだな」
小さな頃の瑞樹と今の瑞樹が、静かに重なった。
過去の痛みを塗り替えるように、大切な人たちの中で、瑞樹は今を生きている。
きっと……いっくんの笑顔に瑞樹自身も救われているのだろうな。
俺はもう一度コーヒーを口に運びながら、ぽつりと呟いた。
「瑞樹が幸せになってくれて、本当に良かった」
そう口に出すと、胸のつかえがすっと取れた。
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