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春風にのせて 8
雪解けの水音が、遠くの林に響いている。
そろそろ厳しかった冬も終わり、大沼にも春がやってくるようだ。
今日は朝から春めいた穏やかな日差しが差し込んでいる。
ログハウスの二階にある現像ルームで、カーテンを閉めようとした時、長らく足を踏み入れていない屋根裏部屋の存在がふと目に入った。
「あそこは、大樹さんがトランクルームとして使っていたんだよな」
そうだ、いっくんの入学祝いを送るついでに、何か役立つものがあるかも。
火事で家財一式を失った潤に助けになるものはないだろうか。
「大樹さん、中に入ってもいいですか」
断りを入れてから、はしごをかけて上った。
屋根裏部屋は大人一人がやっと中腰で入れるほどの狭いスペースなので、大樹さんが何を置いていたのか知らない。
そっと扉を開けて中を覗くと、埃っぽさでくしゃみがでた。
「大樹さん……これはまた、ずいぶん詰め込みましたね」
ふと手を伸ばすと木箱があった。
中を開けると埃をかぶった小さな封筒が、ひっそりと眠っていた。
表には滲んだ文字で『2000春』と書かれていた。
「2000年って……なんだったかな?」
そっと中を覗くと、現れたのは古びたネガフィルムだった。
その瞬間、俺の胸はざわついた。
「そうか、2000年の春といえば、みーくんが小学校に入った年だ」
俺はそれをそっと摘んで、屋根裏部屋の小さな窓の光に透かした。
茶色くほんのりと赤みがかったそのフィルムの中に、幼い「みーくん」の姿がふわっと浮かび上がった。
「あっ……」
もう一度、震える手で古びたネガを光にかざすと、小さな身体に大きなランドセルを背負ったみーくんが、すずらんの花のように可憐に笑っているのがはっきりと見えた。
「おぉっ」
隣には大樹さんと澄子さん、そしてまだ赤ん坊のようななっくんもいる。
春の光の中、森を背景に、ログハウスの前で家族みんなが笑っていた。
俺の目頭がじわっと熱くなる。
懐かしさと、愛おしさと、そして少しの寂しさが胸を打つ。
「この写真を撮ったのは俺じゃないか! あぁ参ったな。どうして今まで忘れていたのか」
俺の記憶はあの冬眠の日々で、一度リセットされてしまったのか。
もっと早く思い出したかった。
いや、まだ遅くはない。
みーくん、待ってろ!
君の思い出を必ず届けてやるからな。
重たいランドセルを背負って歩き出すみーくんの後を、大樹さんと一緒にハラハラしながら見守った日々が懐かしいよ。
小さかった背中が、今はもう大人の肩になって……
ネガを通して、俺は切なく温かい思い出に暫し浸った。
まるでネガは時間を巻き戻す魔法のようだ。
埃をかぶったネガから浮かんだ君の笑顔は、俺にとって宝物の記憶だ。
まだ、みーくんの家族が揃っていたあの頃、大樹さんと澄子さん、なっくん、そして真ん中で笑っている小さなみーくんは毎日幸せいっぱいだった。
幼いみーくんのぱっと花咲く笑顔に、また胸がきゅっとなった。
目頭がまた熱くなる。
目元に浮かんできたものをごつい指でこすりがら、ネガの中にいる幼いみーくんに話しかけた。
「みーくん、いっぱい笑ってるな、良かったな。今、俺がこの世に君の笑顔を蘇らせるからな」
すぐに現像を始めた。
大樹さんと使っていた現像室は、まだまだ現役だ。
このネガから大切な思い出を取り出してあげたい。
フィルムをセットし、赤いランプのもと慎重に薬液へと写真用紙を沈める。しばらくすると、白い紙の上にゆっくりと、やわらかな輪郭が浮かび上がってきた。
幼いみーくんが、ピカピカのランドセルを背負って、可憐に微笑む写真、そして春の野原で大樹さんに肩車され、空に手を伸ばしている写真。
思い出の玉手箱だ。
その笑顔は、まるで今のいっくんのようで、俺は思わず現像液の上で手を止めた。
「……みーくん、こんなに無邪気に笑ってたんだな」
写真を干しながら、そっと目を伏せる。
この写真をみーくんに送ろう。
それから小学生のみーくんを受け入れてくれた函館の家にも。
広樹はきっと喜んでくれるだろう。
きっと広樹が今一番見たい、みーくんの笑顔なのかもしれない。
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