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春風にのせて 9
数日後、マンションのポストに小さな封筒が届いた。
「僕宛? この字って、もしかして」
裏を返すと、差出人のところに、くまさんの名前が書かれていた。
やっぱり大沼のお父さんからだ。
大きくて威勢のよい手書きの文字を、指でなぞるように見つめてから、そっと封を開けた。
中に入っていたのは、数枚の写真と手紙だった。
……
みーくんの入学式の写真を見つけたよ。
あの時の君は、本当にあどけなかったが、澄んだ瞳で新しい世界を見つめていたのを、俺はよく覚えている。
重たいランドセルに負けないように背筋を伸ばして、立派に立っていたよ。
きっと、いろんな思いを抱えてたんだろうな。みーくんと再開出来て、こうやってまた一緒に時を刻めるようになった今だからこそ、分かるんだ。
あの頃から君はずっと強くて優しい子だ。
ずっと、ずっと、俺の誇りだよ。
……
くまさんの手紙を読んでから写真を見ると、胸の奥に何かが広がった。
それは懐かしさや寂しさを越えた、簡単には言葉にはできないものだった。
まるで……
僕がここまで間違いなく生きてきたという証のようだ。
写真の中の小さな僕には、まだ両親がいて夏樹もいる。
僕はこの日、小さなランドセルを背負って無邪気に、でもどこか不安げに僕は未来を見つめていたんだね。
写真に触れると、指先が震えた。
涙はまだ出ない。
でも喉の奥がじんと熱くなる。
「……僕、頑張ったね」
ようやく振り絞るように声を出せた。
それは……僕自身への労いの言葉だった。
何もかも失って、心が痛くて痛くて、きつい道だった。
ここまで歩み続けられたのは、両親や弟から愛情のバトンを受け継いでくれた、函館の母、広樹兄さん、潤……宗吾さん、芽生くん、憲吾さん、宗吾さんのお母さん……みっちゃんに美智さん……洋くんと丈さん、翠さんと流さん、駿くんと想くん……そして一馬もいた。
僕はずっとひとりじゃなかった。
皆に支えられて、ここまで歩いて来たことを、この写真が物語っている。
手紙には続きがあった。
……
せっかくだからアルバムにして送ろうかと思ったが、あえてこのまま送るよ。
この写真はきっと出番がありそうだ。
……
くまさん、くまさんの言う通りです。
僕は今すぐ、この写真を僕の部屋に飾りたいです。
写真を1枚、手持ちのフォトフレームに入れて、僕の机の上に飾った。
その隣には、いっくんの晴れ姿の一枚が既に飾ってある。
あっ……過去と今が、並んだ。
どちらも愛おしくて、どちらも、大切な「幸せな存在」だ。
写真を見ていた僕の視界が、だんだん滲んでいく。
涙がゆっくりと、頬を濡らしていく。
「……あれ……やだな、どうしてだろ……さっきは泣かなかったのに」
自分でも止められない涙に戸惑っていると、宗吾さんが部屋に駆けつけてくれた。
「瑞樹、やっぱり泣いていると思った」
「すっ……すみません」
「いや、無理に止めなるな! 今は泣いていい」
宗吾さんの手が優しく僕の頬に触れると、いつの間にか芽生くんもやってきて、小さな手でもう片方の目元を一生懸命ぬぐってくれた。
「大丈夫、大丈夫だよ、お兄ちゃん」
今の僕は、こうやって家族の温もりを感じられる。
涙に触れてもらえる。
もう二度と家族の温もりには出逢えないと泣いたあの日。
もう二度となんて思ってはいけない。
明日のことなど何も決まっていないのだから。
悪い方に転がることばかり考えなくていい。
もう恐れなくていい。
僕の世界は、またこんなにあたたかい物になったのだから。
こらえていたものが、ほらほらとこぼれ落ちていくのを感じた。
小さな自分の姿と大切な人たちの記憶の上に、今、ここにある新しい幸せが積もっていく。
「宗吾さん、芽生くん、ありがとう、ありがとうございます」
芽生くんが机の写真に気付いたようだ。
「あっ、この子って、お兄ちゃんだよね」
「うん。小学校一年生の僕だよ」
芽生くんは顔を輝かせた。
「わぁ、じゃあボクの一年生の写真もここにまぜて!」
僕の心がふわっと軽くなる
「もちろんだよ」
宗吾さんが僕たち家族のアルバムを開いて、芽生くんの入学式の写真を取り出した。それは、ピカピカの笑顔でランドセルを背負った芽生くんが、僕と宗吾さんと手を繋いで、春の光の中で微笑んでいるものだった。
「三人とも1年生だね。あっ、そっか、みんな最初は一年生だったんだね」
芽生くん……
深いね、その言葉。
何かを始めるときって、誰だって1年生だ。
喜びも悲しみも……怖さも、全部だ。
悲しみ1年生だった僕も、いろんなことを学んで経験して喜び1年生になれた。
過去と今と未来。
それぞれの一年生の写真が並ぶ、僕の机。
僕の心の中には、とても静かで深い、あたたかな喜びが広がっている。
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