1786 / 1863

母の日特別SS 『ありがとうを束ねて』

 前置き  今日は母の日なので、母の日SSを置かせてくださいね。  いつも脱線ばかりで申し訳ないのですが、旬の物語を紡ぎたくて。 ****  母の日の朝。  僕は宗吾さんの腕をすり抜けて、そっと自分の部屋に向かった。  窓からこぼれる光は淡く、空気はまだ眠たげだ。 「よし、取りかかろう」  花材は昨夜のうちに準備しておいた。  僕は今から二つの花束を作る。  母の日のための花束を――  あっ、正確には三つだ。  大沼の母には、今日届くように発送済みだから。  一つ目は亡くなった実母のためのブーケ。  迷った末に、ライラックの花をセレクトしてみた。  白いライラックの小枝を手に取り、静かに見つめると、懐かしい情景が脳裏に浮かんできた。 「お母さん、あのライラックの木のこと、覚えてる?」  大沼の実家の玄関の脇に、お母さんが植えたライラックの木があった。  ライラックは北海道の初夏を代表する花のひとつで、冷涼な気候を好むため、北海道のあちこちで栽培されていた。幹は細くて頼りないが、枝先には淡い色の花がこぼれるように咲いており、陽の光に透けた花びらは絹のようにやわらかで繊細だ。  少し甘くて少し懐かしい。目を閉じれば母に優しく抱きしめられたような香りの花だ。    母は「ライラックはお母さんのお友達なのよ」と言い、春になるとよく花を見上げていたが、僕には甘い香りのする花が、母のように見えた。 「お母さんの友達じゃなくて、お母さんみたいだよ」  そう言うと母はふんわりと微笑んで、僕を優しく抱きしめてくれた。  幼い声、ぬくもり、笑い声。  あのライラックの下で見上げた空の色。  懐かしい思い出が、どんどんこみ上げてくる。 「白いライラックの花言葉は、青春の思い出と無垢だ」  十歳の時、突然消えてしまった母。  あの頃の僕は、何も知らない子供だった。  今も心の奥に灯っているのは、あの頃の記憶。  それは、もう戻らない母との日々。  けれども、永遠に色あせることのない母の愛。  ライラックの花に、宗吾さんのお母さん用に用意した淡いピンクのカーネーションも少し加えることにした。  カーネーションの花言葉は「愛」と「感謝」だ。 「お母さん、いつも見守ってくれてありがとう。僕はちゃんと生きてるよ」  心の中で、そっと呟いた。  宗吾さんのこと、芽生くんのこと、僕の仕事や暮らしのこと――  話したいことが、山ほどあるよ。  もう一度だけ会いたいという願いを込めて。  もう二度と会えないと寂しさを込めて、作ったブーケだよ。  花束はリビングの真ん中、よく陽が差す場所に飾りたいな。   ****  ブーケを作り終えて棚の上に飾ろうとした時、リビングから足音が近づいてきた。 「瑞樹、おはよう! 何してるんだ?」    宗吾さんの声は、いつも明るく優しい。 「あ、あの、亡き母に母の日のブーケを作ってあげたくて、その、こんなことをするの初めてなんですが……」  宗吾さんは少し驚いたように歩み寄り、僕の手元に視線を落とした。 「この花はカーネーションだよな、で、こっちは……うーん」 「これはライラックです、僕の故郷の花です」 「そうか、お母さんの好き花だったんだな。君を産んだお母さんはライラックのような人だったんだろうな」 「あっ……」 「いいな、すごく素敵だ」  宗吾さんの手が、僕の肩をそっと包み込む。  手のひらの温もりが、じんわりと心にしみる。  しばらくの沈黙の後、芽生くんの元気な声が聞こえてきた。 「おはよう、お兄ちゃん!」  芽生くんが僕が作った花束に気づいたようで、興味津々で近づいてきた。 「わぁ、きれい! どうして花束を作っているの?」 「えっと……母の日だからだよ」 「あっ、そうだった!」  芽生くんは少し考えてから、僕を見上げて言った。 「この白いお花はなんていう名前なの?」 「ライラックだよ」 「なんだかお兄ちゃんのお友達みたいだね」 「えっ」 「うん、お兄ちゃんと仲良しなんでしょ?」  ライラックが友達?    母も同じ台詞を言っていた。  ふと昔の記憶が浮かび上がってきた。  あの時、お母さんと一緒にライラックの木を見上げながら話したことを。 「お母さんの友達じゃなくて、お母さんみたいだよ」と言うと、お母さんは優しく微笑んで、僕を抱きしめてくれた。 「じゃあお母さんを思い出したい時は、この花の香りを嗅いでね」  母が残してくれた思い出の花が、僕を包み込んでくれる。 「お母さん……」 「瑞樹?」  宗吾さんの声が、僕を現実に引き戻してくれた。 「大丈夫か?」  僕は目を細めて、花の香りを一度深く嗅いだ。  あぁ、確かにお母さんの香りだ。 「ありがとうございます。今、亡き母をとても近くに感じていました」 「そうか、瑞樹、君は一人じゃない。俺も芽生もいつも君の側にいるよ」  その言葉に、僕の心はますます温かくなった。 「ありがとうございます」  心の中で母と話していたことが、今ここにいる宗吾さんや芽生くんと繋がっている気がして、胸が一杯だ。  ブーケは、リビングの棚の上に宗吾さんが飾ってくれた。 「ここなら、お母さんから俺たちの様子がよく見えるだろう」  陽が差し込む場所で、ライラックとカーネーションが優しく微笑んでいるように見えた。 「次は宗吾さんのお母さんに手渡すブーケを作ります」 「ありがとう。それを持って遊びに行こう!」 「はい!」      

ともだちにシェアしよう!