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春色旅行 13
俺たちは、早起きしてパーク内を散歩することにした。
ホテルのエントランスを出ると石畳の小道があり、夜中に降った雨がまだ少し残る空気に、薔薇の香りが甘く混じっていた。
小雨に濡れた薔薇は、まるで夢から醒めたばかりのように咲き誇っている。
俺の横を歩く瑞樹が、うっとりした表情で足を止め、目を細めた。
ホテルで借りた透明の傘をさしているので、表情がよく見える。
「宗吾さん……朝の薔薇って、どうしてこんなに綺麗なんでしょう」
瑞樹の言葉には熱がこもっていた。
花びらに光る露、ふわりと立ち上る香りに、瑞樹の心がときめいているのが伝わってくる。
声はわずかに震え、感動が滲み出ていた。
「夜の間は眠っていたのに、朝になるとこんなに綺麗に咲いて香りを放って……不思議ですね。まるで誰かに会う準備をしてたようです。薔薇はきっと朝が好きなんですね」
瑞樹の瞳は、雫をのせた薔薇に吸い寄せられていた。
小道の突き当たりには貴族の館のような荘厳な建物があった。
その中庭には白い薔薇が一面に咲き誇り、清楚で純真な光景が広がっていた。
瑞樹は再び足を止め、目を細めてその白一色の風景に見渡していた。
「この白薔薇……『柊雪』を思い出しますね」
ふと呟いた言葉に、俺も頷く。
「雪也さんの薔薇だな」
「はい、まるでおとぎ話のように、雪が降り積もったような白でした」
中庭の白薔薇を背景に微笑む瑞樹は、天使のように清らかだった。
昨夜、俺の腕の中で小さく喘いだ君も、朝の清楚な君も大好きだ。
その後、中庭を散策した。
入り組んだ小道が何本かあり、その途中で今度は芽生が歓声をあげた。
視線の先には、ローズピンクの小道があった。
芽生はためらいなくそこへ走っていった。
小道の脇に、小さな洋風の小屋が薔薇に包まれるように建っていた。
「あっ! ここ、知ってる! 夢で来たことがある」
芽生の声は確信に満ちていた。
芽生は小屋の前まで歩き、扉の前でふと立ち止まる。
懐かしさとわくわくが入り混じったような表情を浮かべて。
「あのね、夢の中で、キシさんとルイさんが、ここでバラの手入れをしていたんだよ。ふたりは仲良しでとっても優しかったよ」
俺と瑞樹は芽生の話す内容に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
芽生の夢が、現実の中にふわりと滲み出してくる場所を見つけた。
「宗吾さん、今、物語と現実が重なったのですね」
「あぁ、これもまた『まるでおとぎ話』の世界だな」
***
そっとそっと、小屋に近づいてみた。
まるで探検家の気分だよ。
やったー!
『とびらをあけて入っていいよ』って書いてある!
小屋の扉をきぃと音を立てて開くと、花の香りと一緒に、幼い頃に見た夢の続きを見ているような気持ちになったよ。
あの日、夢で迷い込んだのも、今日みたいにバラがキレイなお庭だった。
お庭の奥にはかわいい小屋があって、ルイさんがしゃがんでお花のお手入れをして、キシさんは棚の鉢植えを整理していたよ。
二人とも、なんだかとっても楽しそうだった。
すると……流れ落ちる汗を手でぬぐったルイさんが、そのまま首筋に手を当てて、少しだけ顔をしかめたんだ。
「……うっすら、残ってしまいましたね」
ボクはね、その仕草が気になって聞いてみたんだ。
「ルイさん、そこ、どうしたの?」
ルイさんは少し驚いたように目を見開いた後、ふっと柔らかく微笑んだ。
「メッ、メイくん、いつの間に来ていたの? えっと……これは……薔薇の影ですよ。ピンク色の花の、ね」
その笑顔は、どこか照れくさそうで、少し耳が赤い気がした。
ボクは「ふぅん」と素直にうなずいたけど、その後も気になって、ルイさんの首元を何度か見つめちゃったよ。
ルイさんは、そんなボクの頭をそっとなでて、優しく教えてくれた。
「これはね、とても幸せな証拠なんです」
……
幸せな証拠……
その言葉が、今もボクの胸の中にふんわりと残っている。
「芽生くんどうしたの? ぼんやりして」
「あ、お兄ちゃん」
現実の世界へ戻ると、ボクは思わずお兄ちゃんの首元を見ちゃった。
白いシャツの襟元から見える肌には何もついてなかったけれど……お兄ちゃんはとても幸せそうだなって思ったよ。
ローズピンクのバラに囲まれた世界を抜けると、またホテルに戻ってきた。
「……また夢で会えるかな、あの人たちに」
ぽつりと呟いた声を、お兄ちゃんはちゃんと聞いていてくれた。
「会えるよ。きっとまた、どこかでね」
空は少しずつ明るくなり、雨もやみそう。
「パパ、今日は何をするの?」
パパは傘をたたんで、お兄ちゃんとボクの手を取ったよ。
三人で手をつなぐの、大好き。
「今日は長崎の市内観光をしよう。眼鏡橋や大浦天主堂も見たいしな」
「わぁい!」
「いいですね」
お兄ちゃんも傘越しに空を見上げて、ふわりと笑ってくれた。
「ほら、もう晴れてくるぞ」
足下の水たまりが、きらりと光っていたよ。
もうキシさんたちの姿は見えなかった。
夢と現実って、重なっては離れていってしまうんだね。
でも夢の世界と今はちゃんとつながっているから、さみしくないよ。
だって二人の幸せを感じるんだ。
ボクらのしあわせの中に――
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