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春色旅行 20
スロープカーを降りると、空気が少しひんやりしていた。
長崎の街はまだ穏やかな光に包まれており、まるで夢の続きを見ているようだった。
先ほどまで山頂から見下ろしていた夜景は、今は手が届く場所にある。
なんだかそれが眩しくて、目を細めてしまうよ。
「瑞樹、スロープカーにして正解だったな」
「はい、ロマンチックでしたね」
「よっし!」
宿泊先は市内の静かな高台にある、落ち着いた雰囲気のホテルだった。
「なんだか短い滞在時間なのが勿体ないですね」
「瑞樹の誕生日前夜だ。奮発させてくれよ」
「ありがとうございます」
宗吾さんらしい一言。
僕の誕生日をスペシャルにデコレーションしてくれる人。
大切にしてもらえて、嬉しい。
フロントでチェックインを済ませ、三人で部屋に入ると、広々としたツインベッドが二台並んでいた。
「わぁ、ここも素敵ですね」
「静かで落ち着いてるだろう。本当はキングベッドが良かったんだけど、なかったんだ」
すると芽生くんがわくわく顔で提案してくれた。
「ねぇねぇ、ベッド、くっつけちゃおうよ!」
芽生くんの一言に、瑞樹と宗吾は顔を見合わせ、ふっと笑った。
「たしかに、今夜くらい、くっつけちゃおうか」
「うん。三人で、ぎゅーってくっついて寝たいな」
可愛い提案に、僕も宗吾さんも微笑ましい気持ちになった。
「よーし、そっちから押してくれ」
「はい」
二つのベッドをぎゅっと寄せて隙間がないように整えると、芽生くんがぴょんと飛び乗り、真ん中を陣取った。
「ボクはここがいい。パパとお兄ちゃんの間」
最近大人びてきた芽生くんも、旅行の間はたくさん甘えてくれて、それがまたうれしい。
「ねぇ、いいでしょ?」
この旅行は、家族水入らずなんだなとしみじみ思う。
「お兄ちゃんも賛成だよ」
「おぅ、そうしよう」
それから代わる代わるお風呂に入り、寝る支度を整えた。
芽生くんは一足先にベッドの真ん中でうとうとしていた。
僕はパジャマに着替えながら、ふと窓の外に目を向けた。
夜景はさっきより少し遠くなったけれど、それでも街の灯りは優しく瞬いている。
そう……まるでキャンドルの優しい炎のように。
「宗吾さん、今日、本当に素敵な日でした」
「まだ終わってないぞ。日付が変わったら本番だろ?」
「え? いや、ダメですよ。きょ、今日は芽生くんが真ん中にいますし」
「ははっ、瑞樹はエッチだなぁ」
「えっ……あっ! もうっ!」
宗吾さんに笑われて、僕は猛烈に恥ずかしくなった。
「さぁ、もう寝よう。明日は仕事だろう」
「はい」
灯りを落とし、三人で並んでベッドに入る。
すると、うとうとしていた芽生くんがパチッと目を開けて、右手で僕の手を、左手で宗吾さんの手を握って、にこにこと言った。
「お兄ちゃん、お誕生日おめでとう〜」
「ふふ、ありがとう、芽生くん」
「俺からも、おめでとう」
「ありがとうございます、宗吾さん」
僕の声は、少し震えていた。
たぶんお酒も、夜景も……いろんな感情も、混じっていたのだろう。
今はすべてが穏やかで、あたたかい。
手を繋いだまま、芽生くんはすぐに小さな寝息を立て始めた。
僕も目を閉じて、ゆっくりと深呼吸をした。
宗吾さんの手のぬくもりが、どこまでも優しくて泣いてしまいそうだ。
「こんな風に誕生日を迎えられるなんて……」
「瑞樹が生まれてきてくれたこと、俺は何度でも祝いたいよ」
「……ありがとうございます」
「おやすみ、瑞樹」
「おやすみなさい、宗吾さん」
三人の呼吸が、静かに重なっていく。
この温もりと安心が、僕にとっての幸せな存在。
日付を跨いで始まった僕の誕生日。
32歳はどんな1年になるだろう?
朝になるのが、楽しみだ。
未来に希望を見出せるようになれたこと。
天国にいる両親と夏樹に報告した。
きっと喜んでくれるだろう。
お父さん、お母さん、夏樹。
僕は32歳になりました。
お父さんやお母さんの年にどんどん近づいていくのが不思議です。
もう安心してください。
僕はもう前を向いています。
一緒に歩んでくれる存在がここにいるから。
僕の誕生日は静かに幕を開けていく。
豊かな1年になりますように。
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