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春色旅行 こぼれ話(瑞樹編)⑤
白金の街に、白薔薇の甘やかな香りが漂っていた。
春から初夏へと移ろうこの季節に、街をあげて開催される『白薔薇フェスタ』
その一角、ミニブーケづくりの体験コーナーで、僕はスタッフの一員として、せっせと働いていた。
会場には午前中から沢山の人が訪れて、思い思いの花を手に取っていた。
白薔薇は可憐でありながら芯のある花だ。
小ぶりのブーケでも、持つ人の心をそっと明るく灯してくれる。
「このバラ、とても綺麗ね。でも……私の手でも……うまく束ねられるかしら」
ふとやってきたのは、車椅子に乗った白髪のおばあさん。
震える手で一生懸命バラを選んでいたが、一輪、ぽとりと落としてしまった。
「あっ」
その瞬間――
「どうぞ」
僕はすっとしゃがみ込んで、バラを拾い、にっこりと笑って手渡した。
「ありがとう……でもね、こんな歳になっても、自分でやりたいのよ」
「もちろんです」
その気持ちわかる……
僕は静かに頷いた。
「少しだけ僕にお手伝いさせてください。最後はご自身の手で、結んでいただけたら……」
言葉も手の動きも、決して前に出すぎないように気を配った。
あくまでおばあさんの手元を見守りながら、そっと支えるスタンスで。
白薔薇と少しのグリーンを束ね、細いリボンを結ぶ――
この時間はおばあさんにとって、貴重な瞬間になったようだ。
「できたわ! できた!」
満足そうな声に、胸をなでおろす。
「ありがとう。見守ってくださって。それにしても、あなたみたいに謙虚で慎ましい人がいるなんて……この世も捨てたもんじゃないわねぇ」
おばあさんの言葉に、僕は慌ててうつむいてしまった。
そんなに褒められることをしたわけではないので、照れ臭くて頬がほんのり赤くなる。
「さぁ、顔を上げてごらんなさいな」
「あ、はい」
おばあさんは柔らかく微笑みながら、続けた。
「上を向いてるとね、ご先祖さまがちゃんと見つけてくれるのよ。空を仰ぐってことは、天の人たちに『元気だよ』って知らせることなのよ。今日はお顔をよく見せてくれたお礼に、そんな言葉を贈ってあげるわ」
「……ありがとうございます」
迷信のような言葉を深く胸に刻むと、おばあさんの手元の白薔薇が、ふっと微笑んだような気がした。
「瑞樹、お疲れ。俺たち休憩だってさ」
声をかけてくれたのは、同じスタッフの菅野だった。
「ありがとう」
屋外のテントの下に移動すると、初夏のような日差しが肌が焼けていたこと気づいた。
わっ、腕も頬も、ほんのり赤くなっている。
「ほら、冷たいやつ」
「ありがとう!」
菅野が差し出してくれたペットボトルを、ほてった頬にあててみる。
キン、と冷えていて気持ちいい。
僕の隣では、菅野が水をごくごく飲みながら、スマホで野球中継を観ている。
しばらくすると、突然、菅野が「おぉぉぉ!」と大きな声を出した。
「えっ、な、なにごと?」
驚いて目を見開くと、菅野がとびっきりのスマイルでスマホの画面を僕の目の前に差し出した。
「はい、これ! 瑞樹ちゃんにぴったりの特効薬!」
画面に映っていたのは――
おそろいのユニフォームを着て、スタンドで応援している憲吾さんと芽生くんの姿だった。芽生くんは大きく手を振り、憲吾さんも少し照れくさそうにメガホンを振っている。二人とも、すごく楽しそうで、画面越しでも元気が伝わってくる。
「……まるで、僕へのエールみたいだな……なんて」
僕はつい頬を緩めて呟いてしまった。
「あ……ごめん。親ばかだよね、こういうのって」
「はは、いいんだよ。瑞樹ちゃんはもっと親ばかしていいからな。そういうの、俺、大歓迎!」
菅野が肩をポンっと小突いてくる。
だから僕も笑い返して、そっと肩をぶつけ返した。
空は青く風は爽やかで、白薔薇が遠くで揺れている。
元気が出てきた。
午後も頑張れそうだ。
そんな気持ちになれたのは、ほんの小さな、でも確かなご褒美のおかげだ。
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