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春色旅行 こぼれ話(帰路)⑥
ピッチャー葉月は、途中まで快調だった。
だが七回裏、突然の崩れて、ツーランホームランを浴びてしまった。
「……あ……」
芽生が小さく息をのんだ。
マウンドを降りていく葉月の背中は、悔しさを隠しきれず、ほんの少し震えていた。帽子のつばで顔は見えなかったが、彼が泣きそうなのがわかった。
「……お兄ちゃん……」
「瑞樹……」
私と芽生の声が、同時にこぼれた。
頑張り屋で、まっすぐで、感情を奥にしまってしまう瑞樹。
降板する葉月の背中に、その面影が重なって見えた。
「……なんか悲しいね。葉月選手、すごくがんばってたのに、かっこよかったのに。くやしいよ」
芽生がぽつりと呟いて、腕で目をこすった。
そして九回表、さらに追加点を奪われて3点差。
芽生だけでなく、観客席の空気も、もうあきらめムードになっていた。
「もうだめかもだよ。負けちゃうよ」
「芽生」
私はやさしく呼びかけた。
「最後まであきらめては駄目だ。……人生は何が起こるかわからない。何もないかもしれない。でも、何かがあるかもしれない」
「なにかって……?」
「たとえば――宗吾と芽生が瑞樹に出会えたように、驚きと幸せが一緒になったこととか……」
芽生は、少しのあいだ黙っていた。そして顔をあげて、空を見た。
「……そっか。うん!」
力強くうなずいて、芽生は大きな声で叫んだ。
「がんばれーっ!! カムイファイターズ、がんばれーっ!」
その声に引っ張られるように、まわりの応援席にも活気が戻っていった。
――そして、ついに奇跡が起きた。
連打、四球、ヒット――
そしてまさかの、サヨナラホームラン!
「わああああ!!」
「おぉぉぉ!」
芽生は歓声の中で跳ね回り、私に飛びついてきた。
「勝った! 逆転した! ほんとうに勝ったんだね!!」
「ああ……信じられないな」
喜びに沸くスタジアム。
私のスーツは汗でしわくちゃになっていたが、そんなことはどうでもよかった。
帰り道、芽生が言った。
「すごくいい試合だったね。お兄ちゃんにも、見てほしかったな」
「そうだな……仕事だったからな」
その瞬間、ポケットのスマホが震えた。
宗吾からのメッセージだ。
『テレビ映ってたぞ』
添えられた写真には、おそろいのユニフォーム姿で大声で応援する私と芽生が、画面いっぱいに映っていた。
「えっ、ボクとおじさん、テレビに映ってたの!?」
「ああ。宗吾が教えてくれた」
なんだか照れくさいが、誇らしくて、くすぐったい。
芽生とのいい記念になったなと、思わずにやけてしまった。
家に着くと、母が迎えてくれた。
「おかえりなさい。……まぁまぁ、素敵に仕上がったじゃない」
「おばあちゃん、テレビ見た? ボクたち映ったんだよ!」
芽生が駆け寄ると、母は静かに微笑んだ。
「私は見てないの。でもね、こうして帰ってきたあなたたちを『生放送』で見られたから、それでじゅうぶんよ。でも、遠くにいる人たちはきっと大喜びだったでしょうね」
「うん! ぼくもうれしかった」
晴れやかな芽生の笑顔に、私も笑みがこぼれた。
「また行きたいね、おじさん」
「ああ、また行こう。今度は……」
「今度は、お兄ちゃんとパパもいっしょに!」
芽生が言葉をつなげてくれた。
私は少し照れ臭くなって目を伏せた。
「……よし。勇気を出して誘ってみるか」
「だいじょうぶだよ、おじさん。きっとよろこんでくれるよ」
「そうか……」
「うん。だって勇気を出したおじさん、すごくかっこいいもん」
その言葉が、胸の奥にあたたかくしみこんでいく。
「ありがとう……自信が出たよ」
芽生はふと空を見上げて、優しく言った。
「上を向いてたら、きっと心って届くよ」
「……そうだな」
父さん、見ていますか。
私と宗吾は以前よりずっと歩み寄れています。
兄弟仲良くやっています。
今日という日を、父さんにも見せたかったです。
それにしても芽生の応援が、こんなに力になるなんて。
やっぱり宗吾、瑞樹、芽生の3人は、かけがえのない私の家族だ。
大切な存在……
幸せな存在だ。
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