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しあわせ図鑑 14

「さぁ、憲吾、そろそろ寝ましょ」 「そうですね。今日はなんだか静かですね」  以前は好きだった静寂が、今日はひどく寂しく感じる。  かつての私は、自宅でも部屋にこもって仕事や勉強をしていた。リビングのテレビの音にも敏感で、美智に「静かにしてくれ」などと生意気なことも言っていた。  今になって思えば――あの頃の私は、なんて自分勝手なひどい男だったのだろう。 「あら、寂しいのね。美智さんとあーちゃんがいないから」 「……そうです。寂しいです」  その通りだ。  母さんの言う通り、美智と彩芽がいないと、寂しい。  家族が揃っている。  それは当たり前のようで、決して当たり前ではない。  幼い瑞樹が、ある日突然その当たり前を失ったことを思うと、胸がぎゅっと押しつぶされる。 「まぁ、素直だこと。明日には会えるわよ」 「はい。……待ち遠しいです」  母さんと二人きりの夜だからか、今宵はいつもより素直になれる。  そんな話をしていると、家の前で車の止まる音がした。 「誰だろう?」 「あら、もしかしたら……」  すぐに玄関から、弾む声が響く。 「パパー!」 「あーちゃんか!」  次の瞬間、小さな足音が廊下を駆け抜け、あやめが私の胸に飛び込んできた。  その後ろには、美智が笑顔で立っている。 「憲吾さん、あーちゃんがね……『どうしてもパパに会いたい』って言うので、実家には泊まらず帰ってきちゃったの」 「よかったのか」 「実家の両親も喜んでいたわ。家族が仲良しなのが一番だって」  ――それって、もしかして美智も私に会いたかったということだろうか。 「だってね、パパのおかおみたかったの」  あやめは屈託なく笑った。  私は言葉を失い、その小さな体をぎゅっと抱きしめてやった。  小さな温もりが、胸の奥まで沁みていく。 「……そうか。あーちゃんに会えて、パパもすごく嬉しいよ」 「あーちゃんも、パパがだいだいだいだいしゅきよ」  満足そうに笑い、私の胸にもたれるあやめ。  その光景を、母と美智があたたかく見守ってくれた。 「芽生もよく、お泊まりしては途中で泣いて、パパを呼んだものよ」 「そうでしたか」 「子供にこう言ってもらえるのって、最高ね」 「はい」  昔は聞き流していた母の言葉が、今は深く胸にしみる。 『美智さんを大切にしてあげなさい。いてくれるのが当たり前だと思わないで』  以前言われた言葉が、よみがえる。 「美智、ありがとう」 「まぁ、私は何もしてないわ」 「いや、すべては美智が私のそばにいてくれるからだ。だから、ありがとう」  心の中で思うだけでは足りない。  伝えたい言葉は、口にして伝えていこう。  宗吾と瑞樹、芽生から学んだことだ。 ***  数日後。  宗吾と瑞樹、それに芽生がそろってうちに顔を出した。  瑞樹は開口一番、弾む声で言った。 「あの、聞いてください。実は今度雑誌の取材を正式に受けることになりました!」  その表情は、晴れやかだった。 「お兄ちゃん、わぁか〜 すごい! やったね」  芽生が笑顔で拍手をする。 「それはすごいわね。よかったわね」  母も心からの笑みを向けた。 「はい! それで……取材は平日の午前中なので、宗吾さんや憲吾さんは難しいと思うのですが、ホテルでの公開取材という形になったので、もし良かったら、お母さん、美智さん、あーちゃん、そして芽生くんに来て欲しいのです。現場の雰囲気を見てもらいたくて」 「本当にいいの? ボクいってもいいの?」 「私が?」 「私たちが?」  母と美智も驚いていた。 「はい。僕に勇気をくれた人たちに、見届けてもらいたいんです」  瑞樹のまっすぐなまなざしに、母と美智は顔を見合わせ、笑顔になる。 「……そう言われたら、行くしかないわね」 「お邪魔じゃなければ」 「嬉しいです。ぜひお願いします」  羨ましい話だ。  私も行きたかった。  すると宗吾が大きな声でぼやく。 「うぉーーー うらやましいな。俺も行きたいが、ミーティングが入っていてな」 「私も残念だが、裁判所に行く日なんだ」 「……憲吾さんと宗吾さんには、よかったら雑誌を1冊、買っていただきたいです」  瑞樹の可愛らしいお願いに、私と宗吾は同時に頷いた。 「兄さん、雑誌を買い占めようぜ」 「そうだな、手分けしよう」 「あ、あの……それはちょっとやり過ぎですよ」 「どうしてだ?」 「なんでだよ」  今日は宗吾と妙に気が合うな。   「兄さんはこっち方面を」 「よし任せろ!」  私たちの様子を見ていた瑞樹が、にこにこと嬉しそうに笑う。 「くすっ」 「ははっ」 「はははっ」  笑い声が重なり、あたたかく広がっていく。    人は、いくつになっても変わろうと思えば、変われる。  そしてその変化は、こうやって家族の間にも、どんどん広がっていくのだ。

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