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しあわせ図鑑 25

「瑞樹、もうあがったか」 「あ、はい、お待たせしました」  脱衣場からリビングに戻ると、宗吾さんが何故かそわそわしている。 「よし、芽生、今日は時短で一緒に入るぞ」 「えー パパと?」 「そうだ」 「うわー パパとだと狭いよ」 「おーい、寂しいこと言うなよ」  よく似た者同士の会話に、思わずくすっと笑ってしまう。 「ほら、瑞樹も笑ってるぞ」 「わかったよー お兄ちゃん、次は一緒に入ろうね」 「うん、いってらっしゃい」  僕がドライヤーで髪を乾かしている間、浴室から楽しそうな声が聞こえてきた。宗吾さんと芽生くん、本当にいいコンビだ。明るく前向きな二人といると、僕も自然と前向きになれる。  いろんな意味で……今宵は僕も積極的になれそうだ。  って、また先走ってる自分に気づき、少し赤面する。  速攻で風呂から上がった芽生くんの髪を乾かしてあげると、大きな欠伸をしていた。 「芽生くん、眠いの?」 「うん、今日はホテルにお出かけしたし、その後あーちゃんの変な遊びに1日中付き合わされたからね」 「変な遊びって?」 「おままごとで、お父さん役とお兄さん役と弟役と、ペット役までだよ~ ちゃたの友達わんこ役を演じるのは大変だった」  くすっと笑ってしまう。芽生くんは優しいね。いいお兄ちゃんだ。  歯磨きを終えた芽生くんは、目をごしごしこすりながら子供部屋に向かう。 「おやすみ、お兄ちゃん」 「おやすみ、芽生くん」  少し経ってから子供部屋を覗くと、あどけない寝顔でぐっすり眠っていたので、跳ね飛ばされたタオルケットをそっとかけ直し、静かにドアを閉める。  そのまま寝室に戻ると、宗吾さんが腕を広げてくれた。その腕に吸い込まれるように身を寄せた瞬間、心臓がトクンと跳ねる。 「瑞樹、今日はおつかれさん」 「宗吾さんこそ、大きな会議でしたよね。大丈夫でしたか」 「あぁ、ベストを尽くしたつもりだ」 「よかったです」  宗吾さんの胸の中にすっぽりと収まり、背中をぎゅっと包み込まれる。その力強さと温かさに、早くこの身を委ねたくなる。  僕は宗吾さんが、大好きだ。好きで、好きで、たまらない。  愛が胸の奥から溢れてくる。  ベッドに仰向けにされ、部屋の明かりが落とされる。ところが、瞼を閉じると、今日の出来事が胸の奥でざわつき、忘れていた恐怖が蘇りそうになった。嫌悪感に藻掻く僕を、宗吾さんが心配そうに覗き込む。  目を開けると、彼の優しい視線の奥に、隠し事は許されない鋭さが光っていた。 「どうした? 今日の撮影で何かあったんだろう?」  心臓が跳ねる。どうしてわかるんだろう。まだ何も語っていないのに。  小さく目を見開き、声を震わせる。 「えっ、どうしてわかるんですか……」 「夕食の時、取材の話の最中に少し言葉を詰まらせただろう。芽生の前では話せないことも、俺には話してくれ」  観念して深く息をつく。胸の奥に押し込んでいたものを少しずつ吐き出すように、ぽつりぽつりと告白する。 「実は……今日の取材カメラマンが……あの、ストーカー事件の時の報道カメラマンだったそうで。その人が僕の顔を見たことがあると……」 「なんだって! そんなこと言うなんてプロ失格だ」  宗吾さんの声は震え、低く響き、眉が険しく寄せられた。その瞬間、冷たい記憶が胸の奥に蘇りかけ、思わず目を背けそうになる。でも最後まで続けなければと思った。 「でも……途中でカメラマンの林さんが来てくれて、注意してくれました。そこからは大丈夫でした。僕らしさを出せましたし……芽生くんの応援もあったから」 「カメラマンの林って、あの林か」 「はい、彼のことは信じられました」 「そうか、林で良かったな」  宗吾さんの表情はまだ強張っていたけれど、目には僕の言葉を受け止めようとする必死さがあった。 「それにしても、大変だったな」 「はい、いきなりで動揺して鋏を落として、手が震えて拾えなかったんです」 「俺に……話してくれて、ありがとう」 「宗吾さんに隠し事はしたくないので」 「……瑞樹」  微笑みながら、僕は宗吾さんを見上げる。 「宗吾さん、大丈夫ですよ。心配しないでください」 「瑞樹……君の優しさは強い。だから、君の行いの善さは巡り巡って君を助けるはずだ」  胸の奥が一段と熱くなる。僕をこんなふうに信じてくれる人がいるなんて。  小さく「……はい」と答え、その胸に抱きついた。  すぐに強く引き寄せられ、深い抱擁を受ける。そっと頭を撫でられ、目を閉じる。心地よい密着に酔いしれながら、深く、深く息を吐く。 (僕はもうひとりじゃない。宗吾さんがいる。見守って、守ってくれる人がいる)  今日の嫌な出来事も、柔らかく遠ざかっていく。残るのは、尊さと愛おしさに満たされた宗吾さんの肌のぬくもりだけ。 「瑞樹、頑張ったな」  耳元で低く囁かれる声。手をそっと握られ、体の奥の緊張が少しずつほどけていく。 「もう震えてないな」 「はい」 「ん? 汗ばんでいる気がするが、何か期待しているのか」 「えっ」 「それは、こんなことか」 「あっ、あっ……だめ。だめです」 「本当にダメなのか」 「あ……ダメ……じゃないです」  額や頬に小鳥が啄むようなキスを受ける。  キスの一つ一つが僕の身体に、甘い期待と痺れを残す。 「んっ……あぁ」  声が震え、言葉にならない気持ちがあふれてくる。  宗吾さんの指が、僕の顎をやさしく持ち上げる。視線が絡み合い、 「大丈夫だ。力を抜いて、俺に身を預けてくれ」  体の力を抜いて、小さく頷くと、再び唇がぴたりと重なる。  ゆっくりと、そして次第に深くなる口づけ。 「んっ、あっ―」  背中に回した僕の手を宗吾さんがぐいっと引き寄せ、胸の厚みにぴたりと押し付けられる。  鼓動がひとつに重なっていく。 「……瑞樹、可愛いな」  耳元で甘く低く囁かれ、頬が火照ってしまうよ。  その後も何度も唇を重ねられ、吐息が絡み合った。  今日の緊張も不安も、腕の中の温もりにすべて溶かされていく。    次第に口づけだけじゃ物足りなくなって、僕の方から誘うような言葉を…… 「宗吾さん……今日は思いっきり抱いてください……心ゆくまで」  上擦った声に応え、宗吾さんが強く抱きしめてくれる。 「おいおい、そんなに煽るな、制御できなくなる」 「それでもいいです」  胸の奥が震える。  僕は抗えない。  全身で彼を求めたい。  全身で彼を受け止たい。  愛の言葉が重なるたび、僕と宗吾さんの心は一つになる。  それは、最高に甘く幸せなことだから。

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