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しあわせ図鑑 27
朝起きると、一晩中宗吾さんに深く抱かれたせいか、身体が鈍く重かった。
「瑞樹、大丈夫か。朝食の支度は全部俺がするよ」
「大丈夫ですよ。これくらい」
「だが、俺のせいで」
「くすっ、僕も同罪ですので」
どうやら宗吾さんの背中に夢中でしがみついた時、微かに引っ搔いてしまったらしい。彼の逞しい背中には、僕の爪がつけたらしい赤い筋が何本もついていた。
「ここ……痛くないですか、僕……夢中で……すみません」
「全然! むしろ勲章だ!」
にやりと笑う宗吾さんに、頬が火照った。
「も、もうっ、えっと、アイスティーを作ってきます」
寝室の扉を開けると、キッチンには夏の朝日が明るく差し込み、フローリングの光の小道を描いていた。
リビングの窓を開けると夏風が吹き込み、カーテンを爽やかに揺らした。
それから歯磨きをして顔を洗い、冷たい水で手を濡らすと、少し生ぬるい水に真夏を感じた。
キッチンに戻り、紅茶の茶葉をポットに入れて、沸騰したお湯を注ぐ。グラスには氷を沢山いれて、紅茶を注ぐ。
琥珀色の液体が揺れると、氷が小さくカランと音を立て、透明感のある光を反射した。
まな板を出して、レモンを薄く丁寧にスライスしていく。
すると、隣の椅子に座っていた芽生くんが身を乗り出す。
「わぁ、きれい。お兄ちゃん、ボクもレモンいれたいな」
芽生くんの声には、期待と興奮が弾んで混ざっていた。
「えっ、今なんて?」
「ボクもそろそろミルクを卒業して、レモンにしたいな」
僕は一瞬手を止め、深く息を吸い込むんだ。
胸の奥で、幼い日の記憶が波のように押し寄せる。
――「ねえ、お母さん。ぼくもレモンがいい」
10歳の頃、母の紅茶を覗き込み、淡く揺れる琥珀色に目を奪われた。
そこには薄切りのレモンが浮かんでいて綺麗だった。
「そうねぇ、みずきはまだミルクが似合う年頃よ。だから、もう少し大きくなったらね」
母の笑顔につられて、幼い自分も微笑んだ。
楽しみは取っておこう。
だが、その約束は叶わぬまま、この世に置き去りにされてしまった。
そんな思いでがあったので、芽生くんが同じ言葉を口にした時、驚いてしまったようだ。
僕はそっとレモンを氷の上に落とす。
小さな泡が立ち、光に透けた輪がゆらりと落ちていく、
とても美しい光景だった。
「わあ、きれい……」
「どうぞ」
「いいの?」
「もちろんだよ」
芽生くんは両手でグラスを抱え、恐る恐るひと口飲んだ。
口の中でレモンティーのすっぱさが広がったようで、一瞬困った顔になったが、その後甘さと酸味が混ざった感覚にひかれて、笑顔がぱっとはじけた。
「あ、おいしい。これも『しあわせ図鑑』に書きたいな」
きっとアイスレモンティーは、透明感のある絵具で描かれるのだろう。
夏の光を映す琥珀色と小さなレモンの輪が、目に浮かぶよ。
あ、そうか…… 僕が叶わなかった夢も、こうして次の世代に託せば生き続けるんだね。
アイスレモンティーは、過去と未来をつなぐ。
向かいに座る宗吾さんが、同調するかのように静かに微笑んでくれた。
言葉はなくても、全てを受け止めてくれる眼差しに、僕の胸はまたく満たされていく。
愛に満ちあふれた夏の朝。
僕は誓うよ。
これからも、叶わなかった夢を一つずつ、この二人とともに、僕の家族とともに叶えていこう。
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