1838 / 1863
しあわせ図鑑 28
いよいよ明日、私が所属する弁護士会で、小学生向けのサマースクールが開催される。模擬裁判や法律クイズなど、小学生が楽しめる企画が用意されている。
私も助っ人に行くし、甥っ子の芽生も参加する。
そう思うだけで、そわそわと落ち着かない。
心にひっかかるのは、幼い頃、芽生に対していつも威圧的な態度ばかり取って、怖がらせてしまったのを後悔している。
今はすっかり打ち解けてくれているが、やはり心配だ。
私は……少しは人当たりがよい人相になったか。
うーむ。
鏡の自分は相変わらず堅苦しく、窮屈そうな人間に見えた。
「美智、ちょっと駅まで買い物に行ってくるよ」
「こんな時間から? 一緒に行きましょうか」
「いや、大丈夫だ」
そんな理由で私はひとり、ショッピングセンターの眼鏡店を訪れた。
ガラス越しに反射する蛍光灯の光が、店内を煌びやかに照らしている。
気後れしつつも意を決し、銀縁の眼鏡を外して、鏡の前に立ってみた。
鏡の中には、どこか頼りない表情の自分がいた。
やっぱり眼鏡がないと締まらないな。
だが、やはり……
もう少し、柔らかい印象のほうがいいのでは?
明日は芽生以外にも沢山の小学生がやってくることだし、裁判官時代に培った「威厳」よりも、「親しみ」のほうが必要なのでは?
思い切って黒縁、丸眼鏡、べっ甲風と、いくつかのフレームを手に取ってかけてみた。だが、どれもしっくりこない。
鏡に映るたびに、どこか自分ではない誰かを見ているような気がした。
違和感が強い。
すると店員がそっと声をかけてきた。
「お客様、何かお探しのイメージはございますか?」
「……ええっと、そうだな……少し、優しい印象のものを。私は……周囲の人から、冷たく見えると言われることがあるので」
店員は、私の言葉に少し首を傾げた。
「差し支えありませんでしたら、ご職業をうかがってもよろしいですか?」
「……弁護士です」
その瞬間、店員の表情が少し明るくなった。
「あぁ、やっぱり! それでしたら――おかけになった眼鏡がよくお似合いですよ」
「これが、ですか?」
「はい。確かに少し厳しく見えるかもしれません。でも、それが信頼につながると思います。真剣な眼差しが一番、お客様にはお似合いですよ」
私はいつもの銀縁の眼鏡をかけて、もう一度鏡を覗き込んだ。
鏡の中の私は、確かに冷たくも見える。
だが、その奥に、誰かを守りたいと思う意志があるなら、それでいいのか。
なるほど、店員のアドバイスには一理ある。
銀縁のフレームをかけ直しながら、私は心の中でつぶやいた。
……
明日は、少しでも伝えられるといいな。
法律が人を裁くだけではないということを。
……
店を出ると、熱帯夜のようで、すぐに額に汗が滲んだ。生温い夜風に煽られると、眼鏡のレンズ越しに街の灯りがやわらかく滲んで見えた。
外見ではなく中身で勝負するぞ、憲吾。
そう自分を奮い立たせた。
***
帰宅すると、リビングの灯りがやわらかく迎えてくれた。
静かなクラシックと、絵本をめくる紙の音。
美智がソファで彩芽を膝に乗せ、寝る前の絵本を読んでいるところだった。
「憲吾さん、おかえりなさい。遅かったのね」
「……明日の準備をしていたんだ」
「お買いものは無事に済んだの?」
「あぁ」
上着を脱ぎながら、私はふと壁掛けのミラーに映る自分を見つめた。
そして二人に向き直る。
「……なあ、美智は……私の、この銀縁眼鏡、怖くないか?」
美智は少し驚いたように、瞬きを数回してから微笑んだ。
「怖い? とんでもないわ。それは憲吾さんのトレードマークじゃない。見慣れてるし、きっと子どもたちも安心するわよ」
横で彩芽が顔を上げる。
「パパのぎんいろ、だーいすき! かっこいいもん!」
その言葉に、私の頬がデレッとゆるんだ。
「……そうか、そうか」
メガネの奥の目尻が、自然とやわらかくなる。
法律の世界では理を説く私も、この家ではただのパパだ。
それが嬉しいし、それが心地良い。
その時、スマートフォンが震えた。
瑞樹からの電話だ。
「こんばんは、憲吾さん。明日のサマースクールのことで相談がありまして、今よろしいですか」
「ああ、芽生の件か」
「はい。模擬裁判があると伺ったのですが……フォーマルな服装のほうがよいのでしょうか」
「いや、そんなに構えなくていい。芽生らしい服装で来るといい。背伸びせずリラックスして、明日は体験して欲しいんだ。変な先入観なく」
過去の自分がそうだった。
歪んだ先入観で瑞樹を拒絶してしまった。
「瑞樹、その……あの時は、すまなかった」
「え? 何で謝られるのですか。あの……憲吾……兄さん、いつもありがとうございます。実は明日は僕も仕事を早く上がれそうで。終わる頃に迎えに行きますね」
瑞樹が照れながらも『憲吾兄さん』と呼んでくれることに、口元が思いっきり綻んだ。
そして明日は瑞樹にも会えることに、心が跳ねた。
「それは嬉しいな。じゃあその後一緒に食事をしないか」
「え、でも……」
「ご馳走したいんだ。可愛い甥っ子と弟にな」
その瞬間、電話の向こうで声が入れ替わった。
「兄さん! 俺も早く上がれるから、よろしく!」
「なんだ、宗吾もか……わかった、全員奢るから」
「へへっ、瑞樹の甘えん坊作戦、成功だな!」
「えっ、宗吾さん~ そんな、僕は甘えん坊では」
「ははっ、瑞樹恥ずかしがるなって」
「もうっ」
電話の向こうから、笑い声がこぼれる。
私も肩を震わせながら、「まったくお前達は」と苦笑した。
美智がその様子を見て、そっと紅茶を差し出す。
「憲吾さん、明日、楽しみね」
「ああ、久しぶりに賑やかな一日になりそうだな」
今、眼鏡の奥の目は、さぞかし穏やかだろう。
こんなにも明日が待ち遠しいなんて――
心が柔らかくなると、毎日、嬉しい発見だらけだ。
ともだちにシェアしよう!

