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しあわせ図鑑 32
ボクはリビングの机の上で、自由研究の『しあわせ図鑑』ノートを開いたよ。
今日一日を思い出しながら、少しずつ書いていく。
今日の弁護士の憲吾おじさん、とってもかっこよかったな。
模擬裁判で、友達を押してしまったらどうするかを学んだけど、憲吾おじさんがいつもボクに教えてくれるルールが、どんなに大切かわかったよ。
正しいことを知って、ちゃんと行動できる人になることが大事だって気づいたよ。
憲吾おじさんは、困ったときに迷わず正しい行動をする大人で、ボクはそんな人に憧れるよ。ルールを知って、行動することは、みんなを守ることにつながるんだね。
今日学んだことを忘れないように、図鑑に丁寧に書き留めておこう!
その時、お兄ちゃんに呼ばれた。
「芽生くん、いっくんから電話だよ」
「いっくん!?」
大好きないっくんだと聞くと、胸が飛び跳ねたよ。
「もしもし? いっくん?」
「めーくん! きいて! いっくんのあさがお、きょうのあさ、さいたの!」
いっくんの興奮した可愛い声に、うれしくなる。
「よかったね! そうだ、いっくんの朝顔は何色だった?」
「えへへ、ママの色だよ!」
「ん? ママの色って?」
「えへへ、すみれいろなの」
「あ、むらさきだったんだね」
「うん、ママみたいにきれいなおはなだよ」
「いいね。ボクも一年生の時、お兄ちゃんみたいな色の朝顔を育てたよ」
ボクはそっと窓の外に視線を向けた。
ベランダには朝顔の鉢が並んでいて、朝起きると綺麗な花を咲かせてくれる。お兄ちゃんが上手に育ててくれるから、毎年ちゃんと種が取れるんだ。
「めーくんのも、きれいにさいた?」
「うん、咲いたよ。そうだ、芽が出て大きくなっていく様子を、毎日絵に描いたんだ」
「いいなぁ。いっくんもかいてみる! めーくん、どうしたらじょうずにかけるかな?」
「えっと、絵を描くために、いっぱい朝顔を見てあげるといいよ。いっくんがいっぱい見れば、朝顔も元気になると思うよ」
「うん、やってみる!」
「がんばって! ボクも応援しているよ」
「めーくんのおうえん、うれしいなぁ」
電話を切ると、ボクは『しあわせ図鑑』のノートをもう一度開いて、最後の一文を書き加えたよ。
「見てくれる人がいると、うれしいです。だからボクもちゃんと見てあげたいです」
****
夜の風が、レースのカーテンをそっと揺らしていた。
窓を開けていると、都会のマンションの中でも、どこからか虫の音が聞こえてくるのが不思議だ。
リビングの明かりの下では、芽生が一生懸命「しあわせ図鑑」を書いている。
真剣な表情で鉛筆を走らせる姿が、健気で愛おしい。
今日も、いい日だったな。
そう思うと、胸の奥がじんと温かくなる。
瑞樹もソファにゆったりと腰掛け、穏やかに微笑みながら、芽生の様子を見守っている。
彼の柔らかな表情が、今日の充実を物語っている。
夜になれば自宅に戻り、家族が集まり、それぞれ寛ぐ。
大切な人たちと同じ空間で過ごす時間こそが、俺にとっての「幸せ」なんだと、改めて思う。
ふと窓の外を見上げると、大きな月が浮かんでいた。
今頃、北の大地でも、この月を見上げているだろう。
「……よし、次は瑞樹の帰省だな」
小さく呟く。
この夏は、瑞樹を函館に帰してやりたい。
瑞樹の原点に触れ、優しい風を感じさせてやりたいし、感じたい。
それを実現する番だ。
芽生を寝かしつけ、二人で寝室に向かう。
瑞樹は淡いラベンダー色のリネンのパジャマに身を包んでいる。
「宗吾さん、そろそろ寝ますか」
「あぁ、そうだ、瑞樹」
「はい?」
「来週、予定通り休みは取れそうか」
「あ、はい。大丈夫です。でも本当にいいんですか」
「当たり前だ。函館、大沼は俺にとって、もはや故郷だよ」
「その言葉、とても嬉しいです」
抱きしめれば、花のような香りがする清楚な男。
俺の大切な瑞樹に、口づけをして夜を迎えた。
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