1844 / 1863
しあわせ図鑑 34
夏の大沼は、よく晴れている。
空は抜けるような青で、木々の影には心地よい涼しさがあり、遠くの湖面には真夏の太陽がきらきらと反射している。
風が吹くと、ひんやりとした水の香りが漂ってくる。
「今日も爽やかな天気だなぁ」
ログハウスの前で、空に向かって手を伸ばしていると、エプロン姿のさっちゃんがやってきた。
「勇大さん、ドーナッツのバリエーションはこんな感じでいいかしら?」
メモ書きには…
森のくまさんのハチミツレモンコーティング
春摘み苺とホワイトチョコ
くまさんスペシャル ダークチョコ
甘いミルクチョコ
「どれも美味しそうだよ」
「ありがとう。夏だけの『森のくまさんカフェ』楽しみね」
「あぁ、さっちゃんと力を合わせて出来るのが嬉しいよ」
「私も……こういうわくわく感、久しぶりだわ」
「ありがとう」
「え?」
「俺と過ごしてくれて」
「あ……こちらこそ」
俺とさっちゃんはまだまだ新婚だ。
年齢なんて関係ないのさ。
心がフレッシュならいつでも、いつまでも!
この夏、ずっと夢だった、さっちゃんのドーナッツを並べたカフェをオープンすることになった。さっちゃんが作るドーナッツには愛情がいっぱいこもっていて美味しいから、観光客や地元の人にも振舞いたい。
今年はお試しで、まずはお盆休みの1週間、キッチンカーで営業してみる。
炎天下の中でホイップやチョコをコーティングする作業は大変だが、香ばしい匂いと甘い香りに包まれる時間は、魔法みたいに楽しいのさ!
キッチンカーを借り、食品衛生責任者の資格を取り、保健所の「移動販売車営業許可」を取ってと準備に忙しかったが、とても充実していた。
何かを始めるっていいもんだな。
人はいくつになっても、スタートできるんだ。
それを実感するよ!
年齢と共に出来ることは限られるかもしれないが、絶対何かある!
「勇大さん、早速ドーナッツのコーティングをしてみるから、味見してくれる?」
「もちろん、俺はさっちゃんスペシャルのコーヒーを入れるよ」
長い間、引き籠っていたのが嘘みたいに、今は体が軽い。フットワークが軽くなると、それだけ毎日の生活に小さな幸せを見つけられる。
大好きな人がいてくれるだけで幸せだ。
その人と当たり前の日常を過ごせるのが、どんなに尊いことか俺は知っている。
「そうだわ、午後は、お墓の掃除に行きましょう」
「そうだな、もうすぐみーくんたちが帰省するしな」
「えぇ」
お盆休みに、みーくんが家族をつれて帰省してくれる。
そのことが、俺達夫婦にとって、楽しみだ。
****
春休みに長崎のコンテストでもらった航空券。
これは、僕が自分の力で手に入れたものだ。
手元の航空券を見ていると、ふと昔のことを思い出した。
高校の時は、全く逆の感情で航空券を見つめていた。
これ以上ここに厄介になってはダメだ。僕がいなかったら、お母さんも宏樹兄さんも潤ももっと余裕のある生活ができたはず。
だから、家を出よう。
とにかく函館から離れようと、必死に手に入れた航空券を思い出した。
あれは自由への切符ではなく、別れの切符だった。
あの頃、あんな風に狭い視野でしか考えられなかった僕は、子供だった。
みんなに大切に愛されていたのに、いつも後ずさりしてばかりで……逃げるように東京にやってきたのを後悔している。
いや、もう過去のことを後悔するのはいい加減にやめよう。
今できることがあるなら、今したいんだ。
「宗吾さん、芽生くん、行きましょう」
「おぅ、出発だ」
「えいえい、おー!」
「ははっ、芽生、どこへ行くんだ? まるで鬼合戦みたいだな」
「えへへ。気合いれたんだよー! いっぱい楽しむぞーってね」
「くすっ、うん、沢山楽しんで欲しいな。僕の故郷で」
さぁ、出発しよう!
函館、大沼へ。
大好きなお父さんとお母さん、お兄ちゃんたちのいる、僕のふるさとへ。
ともだちにシェアしよう!

