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しあわせ図鑑 36
ベイエリアにある人気スポット「赤レンガ倉庫」は、港に面して赤レンガの建物が連なり、エキゾチックな雰囲気を醸し出している。
夏の太陽に照らされたレンガの色は鮮やかで、海風が吹き抜けていく。
観光名所で、函館を代表する景色のひとつだ。
けれど僕は、かつて函館に住んでいた頃、ほとんど訪れたことがなかった。
高校時代、当時付き合っていた彼女にせがまれて、一度だけ来たことがある。ただ、それはもう、とんでもなく昔のことのように感じる。
あの頃の僕は、断るのが悪いと思って、気持ちがないまま付き合うという、相手にも自分にも不誠実なことをしてしまった。生きているのが申し訳なく、なんでも相手の言いなりになって、投げやりになっていた自分を思い出すと、恥ずかしくなる。
でも今は違う。ちゃんと自分と向き合い、自分も相手も大切にしている。
港の向こうを眺めていると、宗吾さんの視線を感じた。
僕の横顔を、じっと見守るように見つめている。
昔だったら、こうしてじっと黙り込んでしまう僕を見て、過去に耽ってしまう僕を見て……きっとやきもきしただろう。
けれど今は違う。
過去を整理している時間だと、静かに見守ってくれている。
――ありがとうございます。
ああ、本当に僕たちは変わった。
いい方向へ、歩み寄っている。
心の中でお礼を言うと、宗吾さんも視線を交わしてくれた。
精悍な宗吾さんに熱く見つめられて、思わず頬が火照ってしまう。
「えっと、なんだか、暑いね」
手で顔を仰ぐと、芽生くんがお腹に手をあててため息をついた。
「あー、ボクおなかいっぱいで、苦しいよ。夜ごはんまでにちゃんとおなかすくかなぁ」
芽生くんの無邪気な台詞が、思考を現実に引き戻してくれた。
「おいおい、あのカレー、最後は全部俺が食べたんだぞ」
その通りだ。結局あまりのボリュームにギブアップしてしまい、芽生くんと僕が残した分を宗吾さんが「任せろ」と快く引き受けてくれた。
やっぱり宗吾さんはいろんな面で豪快で、大食いだ。
「瑞樹ぃ、ほめてくれよ」
得意げにお腹をポンポンっと叩く宗吾さん。
そのお腹は心なしかぽっこりしていて、思わずくすくすと笑ってしまう。
「宗吾さん、ビールを少し控えたほうが……」
「ええっ! いや、これは違うぞ、みんなのカレーのせいだ」
「えへへ、お腹がたぬきみたいだね」
「たぬきだとー⁉」
「ふふっ」
宗吾さんがなんだか可愛く見えてきた。
「あの、僕は……たぬきも好きですよ」
「そ、そうか」
「えへへ、パパよかったね!」
芽生くんが最近がんばっている『お父さん』呼びから、『パパ』に変わるのは、リラックスして甘えている時だ。
僕はそれでいいと思う。
まだまだゆっくりで、少しずつでいい。
まだ小学生だ。
甘えたい気分の時は、たっぷり甘えて欲しいな。
焦る宗吾さんと、笑い転げる僕と芽生くん。
港の風がふわりと吹き抜けていく。
明るい笑い声が赤レンガの壁に反響して、夏の空気の中に溶けていく。
やっぱりこの旅行に来てよかった。
今までで一番ナチュラルに過ごせている。
心が寛いでいる。
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