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しあわせ図鑑 42

 キッチンカウンターの上に並べたカップを拭き終え、俺はゆっくりと手を止めた。  頭の中に、瑞樹と宗吾さんと芽生坊が仲良く並んで帰っていく様子が浮かんだ。  確かに見た光景だ。  三人の背中は柔らかい空気に包まれ、ゆっくりと遠ざかっていった。  それにしても……瑞樹はよく笑うようになった。  いまは宗吾さんと芽生くんを想い、三人で支え合って生きている。  それだけで胸の奥が熱くなる。 「瑞樹は強くなったな」  誰に聞かせるでもなく呟いた。  さっきまで瑞樹がいた場所には、スワッグの花の香りが微かに漂い、灯りを落とした店内に、幸せの余韻だけが残っていた。  ふと、昔の記憶が胸をよぎる。  十歳の瑞樹を初めて迎えた日のこと。  両親と弟を亡くしたばかりで、誰とも目を合わせられず、周囲の様子を伺っては、怖がるように震えていた。  あの時の瑞樹は、まるで冬の海のようだった。  凍えるほどに静かで、深く、悲しみを抱えていた。  特に最初は、感情をほとんど失っていた。  泣くことも笑うことも忘れてしまったように、呆然としていた。  だから俺はただただ抱きしめてやった。  忙しい母さんのかわりになりたかったし、兄として大切な弟を守ってやりたかった。  温もりがあれば、いつか雪は溶けると信じて。  ようやく瑞樹が小さな体を震わせて精一杯泣けた時は、この子を絶対に守ると、胸に誓った。  あの日から長い長い月日が流れた。  今日の瑞樹の様子を見て、感動した。  小さな子に笑顔をふりまき、優しく丁寧に教える姿。  最初は緊張していた子供たちが、瑞樹の優しさに触れ、みんな笑顔になった。  瑞樹が笑顔を運んでくれたんだ。  その事実が、何より嬉しかった。 「兄さん、また来るから」  最後にそう言ってくれた瑞樹の声が、耳の奥に残っている。  まるで、新緑の季節の陽だまりのようだった。  耳を澄ますと、隣の部屋から、優美とみっちゃんの寝息が微かに聞こえる。  優美の熱も下がってきてよかった。  みっちゃん、優美についていてくれてありがとう。  二人とも今日はよく頑張った。  そして俺も頑張った。  花育イベントが無事に終わり、子どもたちが笑顔で帰っていったのを見届けたあと、瑞樹が来てくれたことが何よりも俺にとってのご褒美だったと思った。  家の空気がぐっと柔らかくなっていることに気づいた。  心に花が咲くとは、こういうことなのかもしれない。  俺はキッチンの電気を消し、愛しい妻と可愛い娘の元に向かった。  窓の外を見上げると、雲の切れ間から美しい月が覗いていた。  過去は過去。  今は今なんだな。  きっと瑞樹も同じことを思っているような気がする。  どんなに辛い過去があったとしても、人は心持ち次第でちゃんと前に進める。  その姿を、瑞樹が教えてくれた。  瑞樹が笑っている世界が好きだ。  この先も、優しい夜が続いていきますように。  俺にとっても、瑞樹にとっても。 ****  ホテルの部屋で、ボクは色鉛筆やノートを広げたよ。 「今日のしあわせ図鑑、書くね」  ボクのページには、今日のお兄ちゃんのことを書くつもりだよ。お兄ちゃんは、花育イベントの時、みんなにすごく優しくて、まるでお花の妖精みたいに、笑顔を咲かせていた。  その様子を思い出しながら、丁寧に絵を描いたよ。  お兄ちゃんのことを想うと、心がぽっとあたたかくなったよ。  最後に…… 『ボクも自分を必要とされているとき、ためらわずに手伝える出番を大切にしたいです』  と書いたんだ。  ボクがお兄ちゃんの隣で笑っている絵も描いたよ。  ぴょんとお花に手を伸ばして、お兄ちゃんのお手伝いをしている姿。  ページが少しずつカラフルに元気になっていく。  今日のしあわせは、ずっと忘れない。  大切な人と過ごす時間っていいな。  ボクの図鑑に輝く宝物になるよ。

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