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番外編 空色クリームソーダ②

前置き  もう少しだけ番外編続けさせてくださいね。 ****  グラスの中で白いアイスが少しずつ溶けて、淡い水色へ変わっていく。透明感のある色は、まるでいっくんの心のように澄んでいて、少し緊張しながらも楽しみにしている気持ちを映しているようだった。 「ほんとうにきれいだねぇ、パパ」 「だろ? いっくんの好きな色だもんな」 「うん」  ふたりで顔を近づけて、そっと眺める。水滴がグラスについて、光をきらきらと反射していた。 「おっと、そろそろ飲まないと、アイスが溶けちゃうぞ」 「あ、そうだね」  その時だった。  いっくんがストローをくわえようと身を乗り出した瞬間、背の高いグラスが、ぐらりと揺れた。 「ひゃっ……!」  いっくんが小さな悲鳴を上げる。  青い顔をして、両手を口にあてた。  グラスが倒れかけて……  バシッ!  オレは反射的に手を伸ばし、寸前で受け止めた。 「おっと、ギリギリセーフだったな」  倒れる音も、こぼれることも、何も起きなかった。  小さな喫茶店は静かで、ただ氷が小さく揺れる音だけが聞こえた。 「……パ、パパ……っ」  安心したのか緊張の糸が切れたのか、いっくんの瞳に突然大粒の涙があふれだした。 「ど、どうした? こぼれなかっただろ。大丈夫だよ?」  いっくんの涙は止まらない。 「でも……だって……こぼしたら……パパにも、おみせのひとにも……めいわくかかると……おもって……っ……やっぱり、いっくんにはクリームソーダだめだったぁ」  声が震えて言葉も切れ切れ。  あぁ、そうか。  その理由に胸が痛んだ。  こんなに小さな子が、いつも周りに気を遣っている。  すみれと二人きりの時に、いろいろあったのだろう。 「いっくん……」  オレは椅子から腰を浮かせ、いっくんの手をそっと包み込む。 「困らないよ。パパはこぼれたって濡れたって、ガッカリなんてしない」  いっくんは涙で濡れた目を、ぱちっとオレに向けてきた。 「でも……」 「でも、じゃないだろ」  オレは笑顔を作って、いっくんの頭をくしゃっとなでた。 「パパは、いっくんと楽しく過ごせたらそれでいいんだ。それに、こぼれるより先に、今みたいに守るからな。パパは強いんだぞ」  オレの「強いんだぞ」に、いっくんの顔がやっと緩んだ。  安心したのか、鼻をすすりながら泣き笑いをする。 「……パパ、つよいもんね」 「あぁ、誰よりもな」 「じゃあ……もういっかい、もうちょっと……のんでもいい?」 「もちろんだよ。パパと一緒に飲もう」  オレはそっとグラスを持って、倒れないよう支えながらいっくんに渡した。  いっくんは涙をぬぐいながら、こくん、とストローを吸う。 「わぁ、つめたくって、あまくって、すごくおいしいよぅ」 「だろ?」  いっくんが、しあわせそうに笑ってくれた。  よかった!  いっくんの涙も、不安も、全部支えていける父でありたい。  この水色のクリームソーダのように、いっくんの澄んだ心を守りたい。  そう静かに誓った。  オレたちは仲良く手をつないで家へ帰った。  いっくんはすっかりごきげんになって、スキップしている。 「パパ、きょう、たのしかったねぇ!」 「あぁ、パパもすっごく楽しかったよ」  玄関の扉をそっと開けると――  家の中は静かで、午後の光がやわらかく差し込んでいた。 「……あ」  いっくんが小さく指差す。  リビングのソファで、すみれが槙を抱いたまま気持ちよさそうにうたた寝をしていた。  槙は甘えん坊の顔をして、すみれに包まれ、すみれの寝顔も、安らかだった。  いっくんは、オレの手をぎゅっとつかんで、 「しー、だね」  と、そっと囁いた。  目を細めると、いっくんは続けて、もっと小さな声で言った。 「ママにね、きゅうけいしてほしかったの。まきちゃんげんきいっぱいで、ママつかれてたから……きょうはねむれてよかったね。いっくん、すっごくうれしい」  その言葉に、胸が熱くなる。  いっくんは、どんな時でも周りのことを先に思う。  小学校に上がったばかりの小さな心が、こんなにも家族を気遣っているなんて。  泣きそうになりながら、いっくんの頭をそっと抱き寄せた。 「……いっくんはえらいな。でもな、まだいっくんも子供なんだ。だから安心して甘えてくれ。いっくんのことはパパが守るよ。いっくんだけじゃない。ママも槙も、みんなパパが守る」  そう言うと、いっくんは笑顔になった。けれどすぐに少し不安そうにオレを見上げた。 「あのね……でも……じゃあ……パパのことは……だれがまもってくれるの?」  オレは一瞬固まってしまった。  参ったな、こんな質問受けるなんて。 「パパ、ぜんぶひとりでまもるって……つかれちゃわない? パパのこと、すぐに、まもってくれるひとはだぁれ? おじいちゃんもみーくんもとおいとこにいるよ」  その瞳は、泣き出しそうなくらい真剣だった。  いっくんの優しさは、瑞樹兄さんの優しさに通じるな。  本当に誠実で優しい子だ。  オレはそっとしゃがみこんで、いっくんの視線と同じ高さになる。 「ちゃんと、いる」 「ほんとうに……いるの?」  オレは胸を張って答えた。 「あぁ、パパを守ってくれるのは、いっくんだ」  いっくんの目がまんまるになる。 「え、ぼく?」 「あぁ、いっくんが笑ってくれるだけで、パパは元気になる。今日みたいに手をつないでくれるだけで、胸がぎゅっと熱くなって、パパはもっと強くなれる。いっくんの小さな手が、パパの心をしっかり支えてくれるんだ。いっくんがいるから、パパは家族を守れるんだ」  そう言うと、いっくんは照れくさそうに、でも嬉しそうに胸に手をあてた。 「……じゃあ、いっくん、パパをまもる」 「ありがとな」  いっくんを抱きしめると、オレの胸に顔をうずめてくれた。 「パパぁ……」  オレの胸に伝わるあたたかさに、心の奥までじんわりと満たされる。 「パパ、だぁいすき」 「パパも大好きだ!」  すやすやと昼寝をするすみれと槙。  オレの胸に抱かれるいっくん。  夏休みの午後は、ひだまりのような心温まる時間となっていく。  オレの元気の源は、いっくん、君だよ。

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