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しあわせ図鑑 52
瑞樹は風を頬に受けながら、そっとまぶたを閉じた。
そして、ためらうように口を開く。
「……でも……宗吾さん。僕、今でも時々……思ってしまうんです」
声がかすかに震えていた。
憂いを帯びたその横顔に、出会った頃の瑞樹の面影が一瞬よぎる。
――いい。そんなふうに揺れていいんだ。
強くなることばかりが前進じゃない。
立ち止まりながら、自分の足元を確かめる時間も、瑞樹の大切な一部だ。
君はとても優しく繊細な男だから。
「僕だけ……こんなふうに幸せでいていいのでしょうか。みんなを置いてきてしまったような気がして……あの頃の僕も、ここに眠ってる家族も……」
そこまで言って、瑞樹は唇をきゅっと噛んで視線を落とした。
雲に急に太陽が隠れ、風までひんやりと感じる。
「さっきまで、すごく前向きな気持ちだったはずなのに……すみません」
「いいんだよ。続けて」
促すと、瑞樹は小さく息をのむ。
「……本当は、まだ胸が苦しくなるんです。僕だけ先に、幸せになってしまったんじゃないかって……」
普段は弱音を飲み込む瑞樹が、勇気を出して差し出した痛みだった。
俺はためらわず瑞樹のそばへ行き、その細い肩に手を置く。
触れた瞬間、瑞樹が小さく震えているのが分かった。
「瑞樹」
落ち着いた、けれどしっかりとした声で名前を呼ぶ。
「置いてきたんじゃない。これからは……瑞樹が連れていけばいい。一緒にな」
「……いっしょに?」
顔を上げた瑞樹は、どこか幼子のように、あどけない表情だった。
「僕に……できるんですか? もう、この世にいない人たちに」
「あぁ、お父さんもお母さんも、瑞樹が辛い場所に立ち止まったままでいるなんて、望むわけない。瑞樹が幸せになって、前を向いて歩くこと。それこそが一番の供養なんだ」
「……でも」
「大丈夫だ。俺と芽生……みんながそばにいる」
冷えた指先を包むように握る。
その手を温めるように、ゆっくりと力を込める。
「苦しくなったら、いつでも言ってくれ。弱くなる時があっていい。そのぶん……俺が支える。俺たちは、一緒に進むって誓ったんだろ?」
指輪を軽く触れ合わせると、小さな音がふたりだけの合図になった。
瑞樹は堪えきれないように、俺の胸元へそっと額を寄せる。
「すみません……なんだか急に、感傷的になってしまって」
「いいんだよ。自然なことだ。幸せを感じる気持ちも、罪悪感も……どちらも瑞樹らしい、大事な心だ」
「……ありがとうございます。宗吾さんがいてくれて……本当によかった」
「頼りにしてくれるか?」
「はい……!」
震えていた声は、少しずつ明るくなっていく。
胸の奥に溜まっていたものが、ほどけて流れ出すようだった。
若いハナミズキの葉が、光を受けて揺れた。
まるで空からの応援のように。
——瑞樹、よく頑張ったね。
——あなたの幸せが、私たちの幸せ。
……行きなさい。私たちもついていくわ。
天国からの呼び声が、風の音にまぎれて聞こえた気がした。
「瑞樹は、強くなったわね」
地上の母がそっとつぶやくと、勇大さんが頷く。
「うん。俺たちの子は……しなやかで、優しくて……ちゃんと強いよな!」
かつて深い悲しみが沈んでいたこの場所は、
今や瑞樹の未来を照らす光のように、穏やかに明るく見えた。
いい光景を見せてもらった。
俺も空を仰ぎ、目を細める。
誓います。
いつも瑞樹のそばにいると――
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