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しあわせ図鑑 53
墓地を出て車に向かう道は、午後の光を燦々と浴びていた。
木漏れ日が落ち、蝉の声が忙しなく響く。
あ……この道って……
懐かしい気持ちがこみ上げ、僕は歩く速度をゆるめた。すると宗吾さんが歩幅を合わせてくれる。
「瑞樹、もしかして、もう少しここにいたいのか」
「えっ、どうして……分かるのですか」
「それは俺たちだからさ」
「以心伝心ですね」
「そういうこと」
「この道は、大沼のペンションに続く道で……かつて僕は弟の手を引いて……」
すると前を歩いていたお父さんとお母さんが、「俺たちは車で先に戻るから、瑞樹たちは散歩しながら帰っておいで」と言ってくれた。
たぶん、思い出を辿る時間をくれようとしているのだ。
「ありがとうございます。じゃあ……宗吾さん、芽生くん、付き合っていただけますか」
「もちろん! 寄り道しようぜ」
「わぁ、寄り道って大好き。だって気付かなかったものに気付けるんだもん」
本当にそうだ。
遠い昔の僕の足取りを追えば、見えなかった景色が見えるかもしれない。
まずは、かつて賑わっていた小さな駄菓子屋の前で立ち止まった。
今はシャッターが閉ざされ、看板の色も褪せている。だが明るい光が当たると、少年時代の匂いや声が重なって見える気がした。
「ここに、弟とよく来たことがありました」
「へぇ、を買ったんだ?」
「夏になると……いつも瓶のラムネを」
すると芽生くんが欲しそうに手を伸ばす。
「ボク、のど乾いちゃった」
「そうだね。1本買ってあげるよ」
「わぁ、ありがとう! みんなと一緒に飲みたい」
近くの小さな自販機で三本のラムネを買い、みんなで蓋をポンと抜いた。
三人でラムネを飲む。
あの日のように空き瓶を空にかざしてみた。
瓶底の分厚いガラスを通すと、世界が少し歪んだ。
それから色が淡くなって、遠い昔の写真みたいに霞んで見えた。
ハナミズキの緑も、商店の影も、すべてが丸く柔らかく滲んでいく。
その向こうに、弟と二人で駆け回ったあの夏の情景が、ふっと一瞬蘇った。
ビー玉が瓶の中を走り回る涼しげな音。
ラムネの甘い匂い。
麦わら帽子をかぶった弟の、あの可愛い笑い声。
「昔も、こんな風に見えていました」
僕の声は、切なく響いたのかもしれない。
瓶をそっと下ろすと、景色は普段の色に戻る。
ほっとしたけれど、さっき見えた淡い世界が、まだ胸の奥に静かに残っていた。
宗吾さんはそんな僕の横顔を見つめ、何も言わず寄り添うように立ってくれた。
彼のこういうところが、たまらなく好きだ。
押しつけがましくなく、ただ隣にいてくれる。
「瑞樹、あの頃と変わらないものがあってよかったな」
宗吾さんの言葉に、胸がぐっと熱くなる。
ラムネ瓶の底の丸い眺めは、今と、もう戻れない時間とを、静かに結びつけてくれた。
――そして僕は、生きている今を、ちゃんと手放さずにいようと思った。
次に通りかかったのは、小さな公園だ。
遊具はどれも色あせ、年季が入っている。
でも、それは僕がこの地にいた頃のままだということだ。
「わぁ、ブランコだ。こいでいい?」
芽生くんが走り寄り、勢いよくこぎはじめる。
座面は色あせ、地面は雑草だらけ。それなのに、どうしてこんなに懐かしいのだろう。
「お兄ちゃん、うしろから押して~」
「う、うん」
芽生くんが甘えてくれるのが嬉しくて、少し躊躇いながらもブランコの後ろに立つ。それからあの日のように、芽生の背中をトンっと押してあげた。
「わぁ、高い!」
風を受けると、さらさらな黒髪が揺れて明るい笑い声が響く。
――夏樹、君はもうこの世にいない。
でも、お兄ちゃんにはいるよ。この世を生きている――
そのひと言が、風に乗って胸の奥でそっと震える。
僕の顔に、もう影はない。
この世を生きていく――
精一杯、夏樹の分も生きていく。
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