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しあわせ図鑑 54

 ブランコがゆっくりと止まり、芽生くんが元気よく地面へ足を下ろす。 「ありがとう! お兄ちゃん」  その一言に、胸の奥がきゅっと鳴った。  芽生くんに「お兄ちゃん」と呼ばれるたびに、思い出すよ。  失ったものと、今ここにあるものを。  そして、今あるものが、どんなに僕を支えてくれているかを――  宗吾さんが時計をちらりと見て、明るく誘う。 「そろそろ帰ろうぜ! 暗くなる前に」  『帰ろう』と言ってくれる。  大沼の家のことを当たり前のように、帰る家だと。  それが嬉しくて、僕も自然と笑顔になる。 「……はい」  公園を出ると、まだ昼間なのに、空にはほんの少し夕暮れの気配が混じっていた。  昼と夜のあいだ。  過去と現在の境目みたいな空だ。  歩き出しかけて、ふと足が止まる。  忘れ物をしたような気がして――  振り返り、夏樹とよく遊んだブランコのある小さな公園を、もう一度だけ見た。  ――さようなら、じゃないんだ。  ありがとう、だね。  胸の中でそう告げて、くるりと背を向け歩き出した。 「瑞樹? 大丈夫か。辛くなったのか」  宗吾さんの声に、いいえと首を振り、顔を上げる。 「この道は懐かしくて、いい思い出ばかりです。さぁ、帰りましょう」  この道は、僕が歩んできた人生だ。  三人で肩を並べて歩き出すと、足元に伸びる影に、芽生くんの成長を感じた。  あれ? また背が伸びた?  あと数年で、もしかしたら追い越されてしまうかもしれない。  でも、それでいい。  それぞれの形のまま、同じ方向へ伸びていけるのなら。  それがいい。  この旅行で、過去を悲しむのはもう終わりにしたい。  なぜなら、過去も、連れていけることに気付いたんだ。  置いていくのが辛く寂しいのなら、この胸に抱いたまま、今を進んでいけばいい。  この道の先には、いつも僕の居場所があるから。  そう思った瞬間、宗吾さんの手が自然に僕の指を絡め取った。  強くはないが、しっかりと。  そんな宗吾さんらしい握り方。  胸の奥が、違う意味できゅっと鳴った。  触れられるたび、宗吾さんへの愛が溢れる感じ―― 「……宗吾さん」 「怖くないさ、俺がいるから大丈夫だ」  低いボイスに、心拍が早くなる。  宗吾さんの決め台詞に、僕は弱いんだ。  芽生くんは、それを見逃さなかった。 「あ、また手つないでる!」 「芽生、どうしてだと思う?」 「分かるよ。お兄ちゃんが少し寂しそうだったからだよね。ねっ、お兄ちゃん」  ううっ、図星すぎて返事が詰まる。  宗吾さんは、悪びれもせずに言った。 「そうさ。瑞樹が昔を連れていく覚悟ができたのなら、俺も手伝おうと思ってな」 「えっ……」  どうして宗吾さんには、何もかもお見通しなのだろう。  分かってもらえる、理解してもらえるって幸せなこと。  指を絡めたまま、宗吾さんの方へグイッと引き寄せられる。  肩が触れる距離は近く、息がかかる。  僕が赤面する様子を、芽生くんがニコニコ見ている。  可愛いえくぼを作って。 「お兄ちゃん、帰ったらアイスを食べようね」 「……どうしてアイス?」 「だって、ラブラブのあとはクールダウンが必要でしょ」 「ええっ」  宗吾さんが吹き出した。 「ぶはっ、誰に教わったんだ、それ」 「お父さんだよ」 「なーんだ俺かよ!」  笑い合う声に、張りつめていた空気がほどけていく。  宗吾さんの手は離れず、指先で僕の甲をゆっくりと撫でてくる。  ――あぁ、だめだ。  そんな風に触られると、僕…… 「瑞樹」  名前を呼ばれるだけで、胸が熱くなる。 「帰るぞ」  それは確認ではなく、宣言だった。 「はい……」  小さく答えると、宗吾さんが満足そうに微笑んだ。  芽生くんが、僕の反対側の手を握ってくれる。 「お兄ちゃん、帰ろっ、大好きなおじーちゃんもおばーちゃんも待ってるよ」 「そうだね、帰ろう」

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